桜ノ少女
□過去編1
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私の一番古い記憶は、泣いている母親らしき女の人。泣きながら、何度も謝り、けれどもう決意をしたような顔で私を見ていた。
『ごめんね。もう……もう、私も限界なの。だから、ここにいて……。ね?いい子よね、悠南……』
自分は何か叫んでいて。だけど、その声は消え入りそうなほど掠れていた。
細い背中が遠退いていく。私は、親に捨てられた。
――どうして。
『お母、さ………』
か細い声が出た。
呼んでも届かない。母親も、戻ってくるわけがない。
不意に頬に何かを感じてそこを手で触れる。
雨だった。
冷たくて残酷な雫が、悠南を濡らしていく。
疲れきって涙さえも出ない幼い少女は、糸の切れた人形のように、倒れた。
***
その男は、ある任務で夜兎の星にいた。
……が、道に迷っていた。
面倒くさくてぶらぶら歩いていると、なぜかいつの間にか森の中にいたのだ。
「おろ?」
自分が方向音痴だということに気がついていない男は、首を傾げた。
「おかしいな……。まっすぐ歩けって言われたから歩いたのに」
まっすぐ歩くということは、普通は道に沿って歩けという意味のはずだが、男は違うように解釈したらしい。
道をさっそくはずれ、ズンドコズンドコ、文字通り一直線に来たのである。
「う〜ん、分からん。まあいいか」
早々に考えるのを止め、来た道を戻ればいいものを、彼はそのまま懲りずにまっすぐ進み出した。
そもそも携帯を持っているのだから、それを使えばすぐに部下を呼び出せるのだが。
「ああ、森の中に住んでるのか!なるほど」
春雨の一員である彼は、夜兎の中に紛れ込んでいる種族を滅ぼすために来ていた。
「面倒くさいなあ。サボろうかな」
居眠りするのに最適な木を見つけた男は、サボり宣言をする前に、木の枝に一飛びで乗った。
そのまま寝転び、欠伸をして寝ようとしたが、何を思ったのかむくっと起き上がった。
「………一、ほっとく。二、助ける。三、殺す」
真剣な顔で呟く男が見ているのは、子供だった。
木に登ったことで視界が広がり、見えたのである。
倒れている、幼い子供が。
「子供は殺したくないな。趣味じゃないし、未来があるし」
どこか年寄りくさいことをぼやきつつ、男はひらりと飛び降りた。
子供に近寄り、しゃがみ込んで顔を覗き込む。
「女か。夜兎かな。………いや。夜兎の中に紛れ込んでいる、陽桜(ひおう)族――」
陽桜族の人間は、桜のように美しいという。夜兎のように白い肌を持ち、強いことで見分けもつきにくいが、決定的な違いがある。
――太陽の光を浴びても、平気だということだ。
さらに夜兎よりも少食で、普通はチャイナ服も着ておらず、陽桜族独特の衣服を纏っているらしい。
「一人でここに倒れているということは、そう判断してもよさそうだな」
男は溜息をついた。
「あーあ。起きてくれよー。子供は殺したくないんだよ。……あ、そうか」
男は、連れて帰ればいいっ!!と叫んだ。
「我ながらいい思いつきだ。夜兎と見分けはつかないし部下は口が堅い、最高だ!」
自画自賛しながら、男はうきうきと子供を抱えた。
だが。
彼は、自分が置かれた立場をすっかり忘れていた。
「………帰り道が分からーん………」
深い森の中、男の嘆く声が虚しく響き渡った。
(2014/8/27修正)