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□おれが見えますか
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不知火は会議室から逃げ出すように地下室へと向かい、重い扉を開く。
人間一人で開けるには苦労するが、不知火には関係のないこと。
無機質な寝台の上で力なく横たわっている葛城。
切なげな表情を浮かべながら葛城に近寄れば、開けっ放しにしていた扉が閉まった。
鈍い音が止んだと思えば息を切らす誰かの姿。
ふんわりとした髪は瓜二つの奴がもう一人居るが、それではない。

「鉢屋、来たのか」

目玉だけが動き、鉢屋の姿を捉えた。
見たかと思えばすぐに葛城へと視線が注がれる。

「なんとなく、なにをしでかす気でいるのかはわりますよ…。隣の部屋で聞いてたんですから」

「盗み聞きか…。いい度胸してんじゃねぇの…」

切なげに笑う不知火。

「……今なら間に合うぞ」

ふと鉢屋を見る。
その顔は死人のように空の笑顔だった。

「昔、約束したじゃないですか」

真っ直ぐ目を見つめ、訴える。
自分は逃げないとでも言うように

「いつの話だ…」

「会った頃の」

「んなくだらねぇこと覚えてんじゃねぇっての…」


小さく笑いながら、葛城の上に手を翳す。

「……どうする気ですか」

問わずにはいられなかった。わかっていても。答えを知っていても

問いたかった。



「さよならしよう」

「…!?まさか…裏切るつもりじゃ…」

さよならの意味には二つ。

「いいか、葛城。今から還ろう」

「し、らぬい…おまえ…」

葛城の記憶から“さよなら”。

「戦を知らない人間に還ろう」

帝都から、“さよなら”。

虚しい微笑みを顔面に貼り付け音も立てずに涙を落とす。
何をされるか、大体の察しがついた葛城はやっと絞り出した声で鉢屋を呼んだ。
「止めてくれ」そう言っても鉢屋は酷く悲しげな顔をしながらただ見守るだけだった。

帝都を裏切れば、どうなるのか。
それは幹部に居る者なら嫌でもわかる。
立花仙蔵に体中にある血と言う血を絞り取られ干からびるか、
善法寺伊作に薬に浸され毒で悶え苦しみながら死を迎えるか、
潮江文次郎に体中を八つ裂きにされ剣の錆になるか。
どれもこれも地獄への道へは他ならない。


「じゃあな、かつらぎ」

ぽたりと雫が落ちたのと同時に地下室にぶわりと広がる眩しさ。
鉢屋はグッと目を閉め、光に耐える。
また瞳を外気に晒した時、葛城が驚愕と悲哀の念を込めて瞼を閉じたと同時に伝う水は声のない叫びのように鋭く光った。

「あの、蒼空さん、もしかして、ほんとに、ほんとに…」

鉢屋は震えた声で必死に声を絞り、目尻に涙を溜めて現状を把握しようと精一杯だった。

「こんな淀んだ色じゃなくて、もっと、鮮やかな色にしたんだ」

空の笑顔で呟かれる。
記憶を塗り替えたのだ。新しく。
くすんだ画用紙を、白い絵具で塗り変えて。
その上に鮮やかに映える色を、いくつもいくつも塗り重ねたような、そんな記憶を葛城澪に与えたのだ。

「出よう。バレそうだ」

亡骸に値するその四肢を抱き起こし、宝物のように大事に抱え込んだ。
泣いたことなど嘘のように、いつもの顔へと戻る。
地下から地上へと階段を登っているその背だけでもただならぬ“威”を感じ、怯んでしまう。
それが鉢屋三郎の師であり、匠である。
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