タンジョウビ

□あなたに心を奪われて
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三月三日、BL学園の卒業式。
俺たち三年生は、今日この学園を卒業した。
寮を出るのは一週間後だから、この学園島を離れるのはまだ先のことだ。
だが、やっぱり少し寂しい気はする。
ただ逃げるようにこの学園に入学したが、啓太や篠宮、たくさんの人に出会えて、俺も少しは変われた気がする。
篠宮はいつも俺を気遣ってくれた。
知らずに自分の腕を傷つけていた俺を、いつも支えてくれた。
啓太は真正面から俺にぶつかって、俺を導いてくれた。
俺のために涙を流して必死になってくれた。
そして…あの人に会わせてくれた。
俺を認めてくれたあの人に。


「岩井くん」
「…河本さん」
卒業式を終え、片付けのために美術室に向かおうとしていた俺を、クラブ棟の前で待っていたのは、花を抱えた河本さんだった。
「どうして、ここに」
「卒業おめでとう。今日が卒業式だって聞いてね、お祝いに来たんだ」
「…ありがとうございます」
「君はここを卒業したら、どうするつもりなんだい?どこか行く当てはあるのかな?」
俺の絵を認めてくれて、絵を展示する場所まで与えてくれた人。
啓太がいたから出会えた、俺の特別な人。
最近はこの人の笑顔が見たくて絵を描いていた気がする。
俺はいつの間にかこの人を…特別な意味で好きになっていた。
ある時、河本さんも俺を好きだと言ってくれた。
けれど…、河本さんが好きなのは俺の描く絵で、俺を好きな訳じゃない。
河本さんが好きなのは…俺自身じゃない。
「卒業してからのことは、まだ決めていません」
「まだ…って、すぐ寮も出なければいけないんだろう?どこで絵を描くつもりなんだい?」
ほら、河本さんが気にしているのはいつも絵のことばかりだ。
「俺は、その……急ぐので…」
少しも急いでなどいなかったが、どうしていいかわからず、そこから逃げ出してしまいたかった。
河本さんがあまりに俺を気遣ってくれるから、いつも勘違いしてしまいそうになる。
河本さんが好きなのは俺の絵で、俺自身ではないのに。
俺を…愛してくれているのではないかと───。
「岩井くん!待ってくれ!」
足早に立ち去ろうとした俺の腕は、河本さんの力強い手で強引に引き寄せられた。
男らしい手に握られた腕から熱が伝わり、俺の心臓はドキドキと音を立てた。
「待ってくれ。君と話がしたいんだ」
「俺は話すことなんかありません」
見つめられる瞳から、河本さんの真剣な気持ちが伝わってくる。
けれど、俺も真剣にあなたのことが好きなんです。
これ以上、絵に執着されるのは辛い。
「……わかった。せめてこれを受け取ってくれるかい?」
「…桃の花?」
河本さんが差し出した花は、桃の花。
桃色が鮮やかな花が、数本の枝に幾つもちりばめられていた。
季節を彩る、やわらかな色だ。
「君の誕生花だ。花言葉は…『あなたに心を奪われた』…」
「あなたに…心を…?」
あなたに?
俺に?
俺の絵、にか?
俺の心は、すでにあなたに囚われているのに。
「絵のことなら心配しないでください。場所がどこでも、絵は描けます」
「違うんだ、岩井くん!」
何が違う?
あなたが大切なのは、俺の絵で、俺ではないんでしょう?
「もう、離してください!」
本当に、好きなんです。
あなたが。
だから、これ以上一緒にいるのは辛い。
一緒にいたいけど、けれど。
一緒にいると苦しい。
「………岩井くん!」
「離、し…」
離してという言葉よりも、想いはこう叫ぶ。
好きです、と。
それでも、離してください。
そうしてくれないと俺は…。
「…あなた、が………」
だめだと思うのに、止められなくなる。
離してくれないと。
もう、これ以上は…。
「俺は、あなたが…」
心を奪われ囚われて、あなたに溺れた。
腕を掴んで引き止めるぐらいなら、カラダごと奪って壊してください。
それが無理なら、もう会わないでほしい。
──そう言葉にできるほど、この気持ちは簡単じゃない。
だから、好き…も簡単には言えない。
この不安定な関係も、俺には大切だからだ。
「岩井くん?」
「…なんでもありません」
飲み込んだ言葉は、なぜか胸を締め付けた。
「離してください」
その言葉だけは、喉からスルリと流れて来る。
好きとはいえないのに。
俺が離してと言う度に、河本さんの手には力が込められ、もっと深く奪われたくなる。
「離さない」
そう聞こえたのは、幻聴じゃない。
だけど俺を包んだぬくもりは本物なのか?
河本さんの胸の中に招かれて、腕に包まれた。
意図がわからない。
そこまでして俺の絵がほしいのか?
こんなにも俺の心を掻き乱して、これ以上何を?
心配しなくても、これからも絵は描き続ける。
河本さんが望むなら、何枚だって絵を描く。
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