恋話あります

□『婚約させられました』
1ページ/4ページ

両親に呼ばれて自宅の談話室にやって来たセイリティアは、突然の話に「は?」と間の抜けた声をあげた。
ここはエスティア帝国の帝都エスティスにあるカリュキルス子爵家の邸宅だ。セイリティアは帝国貴族の子女である。いつも兄のお古を着て少年みたいに過ごしているが、十五歳の女の子だ。
だから両親の切り出した話題は本来驚くような珍妙なものではなく、貴族の娘としてそんな日が来ることを覚悟してしかるべきものだった。
「――婚約した!?」
「そうだ。もう一度言おう。ウッドルース子爵家のご子息と婚約した」
「あたしが!?」
「我が家には他に年頃の娘はいないわよ」
「な、なんで!?政略結婚とか、やむにやまれぬ事情的な何かがあったの!?」
いきなり婚約を決定事項として申し渡された身としては当然の疑問であろう。理由があるのならば仕方がない、これが貴族の娘の義務なのだ、とセイリティアも心得ているつもりだ。
しかしセイリティアの父はすげなく「ない」と答えた。
「だがあえて言うなら――男装して歩いている娘らしくない娘の将来が心配だったのだよ、セイ…」
「そうよ。何度女らしくしなさいと言ったと思っているの。何度社交界に出なさいと言ったか覚えている?そういう所で出会いを求めようとしない娘がいかず後家になったら……恥ずかしいでしょうっ!」
母の剣幕にセイリティアは「うっ」と口ごもる。反論の余地がない。
「だけどね、相手の方もお見合いを繰り返していらっしゃるから、うちの娘はこんな性格なんですがいかがでしょうと相談したのよ」
「えっ?相手の男ってどんな人なの?」
「百回近い見合いを失敗し続けている方よ」
なんだろう、そのものすごーく駄目そうな男は……とセイリティアもうなだれた。自分がとても素敵な人と結ばれるとは思っていなかったが、とても駄目な人に嫁がされるとも思っていなかった。
むしろいかず後家でさえなければもう何でもいいと言わんばかりの母の言葉に打ちのめされてしまった。あたしそこまで追い詰められてないよ(多分)と言い返す気力も失せてしまった。
「まずは見合いを、と思ったんだが、ほら。それじゃ破談になって終わりだろう?だから一足飛びに婚約してしまおうという話になってな」
「それに婚約しただけでは上手くいかないかもしれないでしょう?まずはお互いのことを理解する所から始めないと」
非常識な決定の後に常識的な説明をされても、説得力がない。しかしそういう話ではなかった。
「だからセイ、あなた明日から先方のお屋敷で住み込みの花嫁修行をすることになったのよ」
「……はあっ!?」
「男装禁止。脱走してもうちの別宅も含めて全て立ち入り禁止だから、行く所なんてないのよ」
「まあ、近いうちに婚礼を挙げるからな。世間体には少々目をつぶろう」
「もとから評判悪いものね、男装娘」
急すぎる話にセイリティアも抗議の声をあげる。明日と言われても困る。さまざまなものを省略しすぎていた。
「急すぎるよ!」
「何日も前から準備していたぞ」
「先に言うと逃げられそうだし」
「奇襲作戦成功だな」
「ご立派な戦果ですわ、あなた」
直前まで隠していた両親は、セイリティアの反応に満足げである。反撃方法も思いつかないうちにセイリティアは、あれよあれよとすっかり準備万端整った状態で家から放り出されるハメになったのだった。


朝からばたばたして、着慣れないドレス姿でセイリティアは馬車に押し込められた。
兄がセイリティアと同じように「ど、どういうことだ―!?」と叫んでいたから兄は共犯ではなかったようだ。
セイリティアはめったに着ないドレス姿でふてくされているが、亜麻色の髪と茶色の眼をしていて、容姿そのものは美少女と呼んでも差しつかえない。普段は男装しているのであまりそう思われないだけだ。
ただしふくれて足をぶらぶらさせている姿を見たら、誰もががっかりすることだろう。
同乗している侍女のミーナも、張り切って主を飾り立てたのに、と残念な気分で眺めている。
「ミーナはいつから知ってたの?」
「ひと月ほど前ですわ。奥様に申し使って準備しておりました」
「あたしの荷物なのになんでちっとも気づかなかったのかな…」
「まあ、セイ様がちっともお召しにならない衣類や、ちっともお使いにならない化粧道具や、あとは――」
「うう、もう言わなくていいよ」
つまり数台の荷馬車に積み込まれている荷物は普段セイリティアの使わないものばかり、ということだ。そしてこれからはその好きではないものを使うしかないのだろう。今着せられているドレスのように。
セイリティアが落ち込んでいるうちに、馬車はウッドルース子爵邸に到着した。貴族の屋敷が建ち並ぶ区画内にあるとはいえ、このあたりはセイリティアも来たことがない。
門をくぐり抜けて、玄関前の車宿りに馬車が横付けされる。セイリティアがこの時間に来ると聞いていたのか、すぐに初老の執事が扉を開けて姿を見せた。
「ようこそいらっしゃいました。お待ちしておりました」
執事はセイリティアの表情など気にせず、落ち着いた物腰で出迎える。セイリティアは愛想笑いも出来ないまま応じた。
「それで誰から挨拶すればいいの?」
「そのことなのですが、大変申し訳ございませんが、大奥様は昨夜から体調を崩されていらっしゃいまして、顔合わせは後日ということにしていただきたく存じます」
「え?大丈夫なの?」
「お医者様は二、三日ゆっくり休息をとれば回復するとおっしゃっておられました」
大奥様というのは先代の子爵の奥方で、セイリティアの婚約者の祖母にあたる人物のことだった。
何も聞かずに来たも同然のセイリティアは、ウッドルース子爵家の家族構成すら知らないことに今さら気付く。なのでここで聞いておくことにした。
「ええと、他には誰がいるの?子爵様と子爵夫人と」
「いえ、お二人はバレリアにいらっしゃいます」
ウッドルース子爵はバレリアにある騎士団の団長を務めているそうだ。年に一度帝都に来るだけで、ずっと騎士団にいるらしい。
先代の子爵は故人であり、子爵の弟は領地を任されていて都にはいない。
「じゃあ大奥様と子爵の息子の二人だけ?」
「いいえ、若君の弟君のオルクレイド様と妹君のアイルシャーム様もご一緒にお暮らしになられていらっしゃいます」
「弟妹がいるんだー……というか、若君の名前も知らなかったよミーナ!」
「ラ、ラグライド様ですわっ」
セイリティアは知らなかったがミーナは聞いていたようである。誰の婚約者なんだか、とセイリティアはうんざりした。
「じゃあその三兄弟は?」
「ラグライド様は王宮騎士団に、オルクレイド様は内務省に、アイルシャーム様はお茶会にお出かけでございます」
「……そうなんだー」
ラグライドとオルクレイドはそれぞれ城勤めをしているようだ。そしてアイルシャームは社交的な娘なのだろう。セイリティアと違って。
「ちなみにお三方には今夜お伝えする予定になっております……」
執事が「押し付けられました」という顔で目を泳がせながら言った。大奥様が言うはずだったのに、体調を崩したので代役を仰せつかったのだろう。
セイリティアも執事には同情したものだ。


あてがわれた部屋で荷物の確認をしたり、屋敷の造りを見て歩いたりしているうちに日が暮れた。
セイリティアはウッドルース邸の女中が呼びに来たので、初顔合わせでもあるしと、外出用のドレス姿のまま食堂へ向かった。半日でドレスに嫌気がさしていたが、仕方がない。
食堂にはすでに三兄弟が揃っていて、まだセイリティアのことは知らされていないのか一様に戸惑う様子で目を向けてきた。
「こちらはカリュキルス子爵家のセイリティア様でございます。そして右手側手前からラグライド様、オルクレイド様、それから対面にいらっしゃるのはアイルシャーム様でございます」
控えていた執事が丁寧に初対面の四人を紹介した。セイリティアはともかく、三兄弟は困惑の表情を隠しきれないまま挨拶を交わした。
セイリティアがアイルシャームの隣りの席につくと、まだ言いがたい様子だった執事も観念したようで、本題を切り出した。
「セイリティア様はラグライド様のご婚約者でございます」
「な、何っ!?」
当事者がまず声をあげた。
「え?いつ決まったの?」
次男は困惑を深めていた。
「一カ月くらい前からお見合い攻撃が止まっていたと思ったら!お祖母様、こっそり話を進めていたのねっ!」
そして末娘は祖母の企みに合点がいったとばかりに納得していた。
「俺は聞いてないぞ!?」
「あたしだって昨日の夜いきなり言われて追い出されたんだよ!百人の女にふられ続けてる駄目男なんて、あたしだって嫌だー!」
ラグライドが怒って立ち上がるのでセイリティアは先手を打つ。ラグライドは「なっ!?」と絶句し、オルクレイドに「きっとお見合いのことですよ。百回くらい失敗したじゃないですか」となぐさめられていた。
「あの、ええと、セイリティア様?お兄様はそこまで酷く駄目な方ではありませんのよ。妹が兄を誉めるだなんてと思われるでしょうが、妹だからこそ黙っていられないのですわ。ラグ兄様はとりあえず、イケメンのモテ顔ですわっ!」
「顔だけ男みたいに言うなっ!」
「え?主に性格が駄目でふられ続けてるの?あたしは逆のほうが良かったなぁ」
アイルシャームの意見を聞いてセイリティアはラグライドとオルクレイドの顔を眺める。双子のようにそっくりと言うには雰囲気が正反対だったが、顔立ちはよく似ていた。アイルシャームもそうだが黒髪黒瞳で、鋭い目つきをしているのがラグライド、穏和な笑みが似合うのがオルクレイドだ。
確かに二人とも美形と呼べる容姿の持ち主で、ラグライドは女性に敬遠されそう、オルクレイドは女性にモテそうだとセイリティアは思った。
ちなみにアイルシャームは美少女だった。
「そんなことないよ、兄上はやさしいよ。とてもわかりにくいやさしさだけど」
「ええ、愛想がなくて怒りっぽくて無口なくせに毒舌という誤解されやすい性格ですが、ラグ兄様は本当はやさしい方ですの」
「おまえら、誉めるふりして俺をこき下ろしてないか……?」
弟と妹に援護を受けて、ラグライドはひねくれた解釈をしていた。だがセイリティアも二人の話では、充分性格に難ありとしか思えなかった。
「でも人当たりの良さそうなオルク兄様は性根が曲がっていますから、ラグ兄様のほうが万倍ステキですわっ」
「気をつけてね。アイルは人懐っこいふりして近づいて、話出したら相手を逃がさないから。延々とくだらない話を語り続けるよ」
しかし弟と妹がにらみ合い始めるので、本人たちは本気で誉めていたのかもしれない。ラグライドは「後にしろっ!」と怒っていたが。
黙って成り行きを傍観していた執事がすかさず「食事を運ばせましょう」と言って中断させた。セイリティアもとりあえずは、夕食を食べてしまうことにした。


「おまえも人のこと言えないだろうがっ!」
「先手必勝かと思って」
食後談話室に移って話し合った結果、セイリティアが何故ラグライドと婚約させられたのか知ったら、ラグライドは怒っていた。
男装していて、社交界を敬遠していて、嫁のもらい手のアテがなくて――自分で語ってセイリティアも情けなくなったものだ。
「見合いじゃぶち壊されるから婚約させてしまえだなんて、お祖母様も先手必勝ですよね、兄上」
「……まともな女を出さないくせに、あのババアっ」
「え?女嫌いじゃないの?好みがあったの?妹より美人じゃなきゃ女に見えない、とか?」
なんで見合いさせられまくっているのかとセイリティアは首をかしげる。まさか男色家ではないと思いたい。
「顔なんかどうでもいいっ!」
「きっと妹より大人しい女性がいいなって思ってるのに、おしゃべりな人ばっかりだったんだよ」
「ま、愛想は良いけれど何を考えているのか計り知れない腹黒い方はラグ兄様の好みではないと思いますわ」
「おまえら、話が進まないから黙れ……」
ここの三兄弟は仲がいい。次男と末っ子はいがみ合うふりでじゃれ合っている。そして長男は怒ったり振り回されたり仲裁させられたりしているが、弟妹から慕われているようだ。
「それより好みがあるなら好きな人はいないの?それを先に言おうよ。今なら間に合うよっ」
「……いたら見合いを何度もさせられていない」
「じゃあ好みを申告して選別してもらえばっ!」
「ラグ兄様の好みの女性像ですか!?わたくし、気になりますっ!」
セイリティアは婚約解消の切り札になるのではと期待したが、ラグライドには好み以前に興味がなさそうである。
オルクレイドが解説を加えた。
「あのね、兄上は相手がどうこうじゃなくて、押し付けられるのが嫌なんだよ。見合い相手のことなんてロクに見てないんだよ」
「嫌なら自分で探しておいてよ!」
「おまえはどうなんだ!」
セイリティアはついラグライドに当たってしまったが、自分も同類だった。だからこんなことになっているのだ。
「じゃあ誰かいい人知らない?」
「え、兄上がいるよ。かなりおすすめだよっ」
「そうですわ。わたくしも兄妹でなかったらラグ兄様のお嫁さんになりたかったくらいですものっ」
オルクレイドとアイルシャームは見合いどころか婚約まで駄目になったら困る、とばかりに兄を売り込んできた。
しかし全く乗り気ではないラグライドはセイリティアの問い掛けに応じた。
「騎士団の連中なら紹介できるが、どういう男がいいんだ?」
「えーと、うーん、強い人!」
「兄上は強いよ」
「数年前までバレリアでお父様にしごかれていらっしゃったんですのよ」
話はいまいちかみ合っていないが、ラグライドはかまわずに進めた。
「強い男か……オルクみたいにニコニコしているのに、その顔のまま怒って周囲を威圧する男がいる」
「それは強いというより怖い人だと思うな……」
「奴は最強だと思う」
「兄上、お祖母様も同系統だと思いますが、そういう女性を紹介されたらどうするんですか」
「逃げる」
ラグライドはオルクレイドの質問に即答してから、今の話はなかったことにしていた。紹介してはいけない人種だと気づいたらしい。
セイリティアはそれ以前に大奥様がどんな恐ろしい人なのかと気になってしまうのだが。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ