短篇集

□星と鳥籠
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1.阿近の場合

 阿近の上司は気が短い。
 
 「もう夕刻が近いじゃないかネ!まだなのかネ、君の所の報告書は!?」
 「すっすみません、今日中には」
 「暢気な事を言ってるんじゃないヨ!今日は忙しいんだ、君の鈍い仕事を待っている暇などないんだヨ!早くし給えヨ!」
 
 その日は確かに忙しい日だった。
 実験の予定は立て込み局内の実験室は軒並み一杯、その他局員の報告書の提出日も何人もが重なった上に新しく手に入った検体の調査観察も必要だった。
 おまけに阿近に直接関係はないが、瀞霊廷通信で上司が連載している『脳にキく薬』の原稿の締切日でもある。
 忙しさに上司の苛立ちが増すのも理解はできる。
 バンバンと腹を空かせた子供のように机を叩く回数もいつもの二割増しである。

 仕事に追われる局員の間で素直に怒りを表現しきった幼稚で迷惑な上司は、部下達の机の間を回って進捗の確認をする。
 モニターを覗きこんだり書類を横から手に取ったりと、心持ち早い歩調で大研究室を一周した後、新しい検体を見てくると言って出て行った。
 百年以上の付き合いになる阿近の予想では、上司は帰ってくる頃には検体を見るどころか個々の分析と利用方法の決定まで終わらせているだろう。阿近達局員の仕事は、それらのデータの確認整理だけだ。

 幼稚で迷惑な阿近の上司は、技術開発局内での仕事にかけては優秀を通り越してもはや神がかった能力を見せる。
 薬学に機械学に霊器子論にと幅広い才能を発揮する頭脳、そしてその頭脳の回転の速さ。
 殆どの局員は入局数日でその驚異を目の当たりにし、迷惑をかけないように、或いは勝気な者なら追い越すつもりで局の仕事に励む。そしてどんな者も必ず何かの理由で数え切れないほどの叱責を受ける。
 誰の予想も野望も、この局内で上司に追いつくことはない。
 いつも連れている副官でさえ彼の手による一つの研究成果なのだ。「娘」と公言される彼女は彼の義骸技術と義魂技術によって生まれた最高傑作。
 彼女の尋常ならざる苦労を思うと阿近でさえ心配になるが、羨むこともある。
 あの瀞霊廷一優秀な科学者に、美しくも強靭な体と優秀な頭脳を与えられ、あまつさえ我が子とまで言われる彼女。その能力と立場に、阿近は嫉妬する。

 手元に山と積まれた仕事を片っ端から片付けていると、呼び鈴の叫び声が聞こえた。
 この忙しい時に来客かとつい扉の方を睨んでしまう。

 「あ、お忙しい中すみません。原稿頂きに来たんですけど、涅隊長は・・・」

 九番隊副隊長、瀞霊廷通信の編集の仕事も兼ねている檜佐木修兵だった。
 その顔を見た瞬間に阿近は上司の仕事の心配をする。
 確か昨日の時点でまだ書いていないと言っていた。今頃にやにやしながら検体を前に実験の予定を組み立てている頃だろう。阿近は慌てて地下の保管庫へ走った。

 「局長!」
 「何だネ?この大変な時に」
 
 そう言うわりには何だか顔が輝いている。
 檜佐木が原稿を取りに来た事を伝えると、あア、と上司はとぼけた声を上げた。
 
 「ああって、どうするんスか?」
 「私は今忙しいんだヨ。もう完成しているから、局長室の机の上から持って行ってくれたまえ」
 「・・・わかりました」

 忙殺されていた今日の仕事のどこにそんな暇があったのか、阿近は愕然としながら局長室へ原稿を取りに向かう。
 いつの間に、などと問えば、上司はしれっとした顔で言うのだろう。

 ―――私を誰だと思っているんだネ?

 「そうだ。」
 保管庫を出ようとすると、上司の声が追ってきた。
 「原稿の横に先日君が提出した実験報告があるから、ついでに持って行き給え」

 「?瀞霊廷通信の参考資料ですか?」
 「いいや、それは君にだ」
 「・・・はぁ」

 局長室で原稿と報告書を手に取り、とりあえず待っている檜佐木に原稿を手渡す。
 涅隊長はいつも早くて助かります、と急ぎ足で出て行く檜佐木を見送ってから、手元に残る自分の報告書に目を落とした。所々に自分のものでない角張った字で書き込みがなされている。

 「・・・これ・・・」

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