涅局長の研究体保管庫
□実験体の資格
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「ホゥ」
少女が実験室に立ち入るなり、中に居たマユリは感心したような声をあげた。
「起こらなかったんだネ」
「はい、耐性があったようです」
ネムが頷く。なんのことかと首を傾げると、マユリは少女の目を覗き込んでにやりと笑みを浮かべた。
「千五百十二番、先程保管庫で注射させた薬品と相性が良いようだネ。
他の連中は今頃拒否反応を起こしている頃だろうが、体質なのか病のせいかそれとも・・・良いネ、素晴らしい」
「拒否反応・・・」
少女は保管庫を出るときに聞いた断末魔を思い出す。
ネムが部屋の隅で準備作業を進めていた機械の中の空洞に立たされ、一旦手首の鎖を外され、代わりに何本ものコードを繋がれたり針を刺されたりした後、瞬く間に少女はその機械の中に固定され閉じ込められた。
「では、始めるとしよう」
キーボードの前に立ったマユリの声に呼応するようにネムが機械を起動させる。そのがしゃんと言う音を皮切りに、ほとんど知覚できないものから気が狂うかと思うものまであらゆる刺激が少女を襲った。
電気刺激、光の点滅、音、何か薬品らしき噴霧、それらが強弱入れ替わり立ち替わり機械から発され体の中を駆け巡る。程度も種類も安定せぬ身体的苦痛が精神の病的な不安を呼び起こし、それがまた身体へ影響し更なる苦痛へと跳ね返ってくる。
これまでの孤独と病で何年もかけて味わってきた現象を高密度で圧縮したような膨大な刺激に錯乱しながら、少女はやがて意識を失った。
「マユリ様。」
「フム・・・まあ、こんなものかネ」
マユリの言葉に続いてネムが手元の資料に何かを書きつける手を止めた。
「データは取ったネ?」
「はい、マユリ様。概ね予想通りかと。すぐに解析に回します」
「目が覚めるまで保管庫に放り込んでおき給え。起きたらまた使う」
「はい」
*
ぐったりした少女の体を抱え上げ、保管庫に運んでからネムはマユリのいる局長室に戻った。父は資料を山と机の上に置いたまま、壁の棚の前で膨大な蔵書を漁っていた。
(これは・・・)
ネムは背を向けたマユリの後ろで机の上の資料に目を留める。
「あったあった」
軽く背伸びをして研究書の一冊を手に取ったマユリに、ネムは躊躇いがちに声をかけた。
「マユリ様・・・何故あのような危険を伴う実験に、千五百十二番さんを使われたのですか?」
「先程のか?・・・いや、新薬試験のことかネ」
「下手をすればあの時点で彼女は亡くなっていました。他の実験体ならまだしも」
「何を言っているのだネ?同じ区画の実験体に優劣などない。使うと言ったからには徹底的に使うヨ、当然じゃないかネ」
「しかし今」
ネムは書類に目を落とす。
「マユリ様はあの病に立ち向かう方法を探しておいでです。矛盾しているように思われます」
純粋な疑問を投げかけると、マユリは金の目でネムを睨み、たっぷり険を含んだ声音で返した。
「五月蝿いヨ。研究の邪魔だ、黙っていろ」
「・・・すみません」
マユリがやや乱暴に研究書を置くと、その衝撃で書類が数枚舞い上がる。
机の上から落ちかけたそれらを素早く受け止めて元に戻し、ネムは頭を下げた。
久々に父が研究に夢中になっている。喜びと疑問と寂しさが綯い交ぜになった名前のない感情を抱きかかえたまま、ネムは一歩下がった。
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