10000筆頭企画

□薄闇の芳香
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先程まで浮かべていただらけた笑みを引き締め、仕事の時の表情を作る。

「済みませんね、待たせてしまって」

小十郎との会話を終え、少しだけ浮いた気分で佐助は席に戻って来た。接待相手は柔らかな笑みを浮かべて、いえと一言だけ言った。
結果は上々であった。上からの指令である契約書にはきちんとサインはして貰ったし、小十郎とも話せた。このまま夜を終え、明日会社に行くことが楽しみで仕方なかった。同僚である熱血漢に、輝いた瞳で見られることを想像して口元が緩んだ。
密かに思いを寄せる彼が淹れたカクテルは、佐助の好みに作られたものであった。というよりも、佐助が作ってとせがんだ為に出来た様なものだ。
普段ならあまり飲まない方である彼も、小十郎の作ったものであると酒が進む。何の躊躇いもなく、グラスに入ったそれを飲む。
すると、全身が痺れた様な感覚が襲った。その痺れは何故か甘く、疼きと形容しても間違いはなかった。
だんだんと上がっていく体温と、荒くなる息。何がどうなっている、と佐助は目の前に居る接待相手を見て息を呑んだ。

「席を外してくれて、とても感謝していますよ」

接待相手だった男は、とても妖しい笑顔を浮かべて佐助を見ていたからだ。どんどん火照る身体の熱を感じながら、彼は眼光を鋭くした。

「何の、つもりで……!」

「何のって、その薬の正体がわからないんですか? まあ、わかれば理解出来ると思いますけど」

薄っぺらな笑みを張り付けて近付いて来る男を、佐助は力の入らない腕で出来る限り拒絶した。だが、その腕を掴まれ耳に唇を寄せられた。

「媚薬、ですよ。一目見た時から、狙っていました」

その言葉に、佐助の背筋が粟立った。気持ち悪い、とつい言葉にしてしまいたい程であったが、唇からは荒い息しか出てこなかった。

「嫌、離せ……! 誰か、助け……」

「来ませんよ、誰もね」

佐助は出せる限りの声で助けを求めるが、閉店時刻が間近になった店には客はまばらにしか居なかった。そして、この店は各々が個人的な時間を過ごす所だということを思い出して絶望した。
これでは、誰も助けになど来てくれないのだ。このままだと、こんな所で見知らぬ男に抱かれてしまうのだ。
まだ、小十郎に想いを伝えていないのに……。

「お客様」

その時、凛とした声が耳を捉えた。涙が溜まる瞳を上げ、そこに居た人物を見て笑みが生まれた。

「当店でのそういう行為は、お控え頂けますか」

「……そうですね。じゃあ、行きましょうか」

「い、嫌に……決まって……!」

「媚薬を使って強姦などという行為が、許されると思ってんのか? てめぇは」

あくまで善人ぶる男に腕を掴まれる。それだけで、そこから甘い痺れが全身を回りどうしようもなくなってしまう。
そんな男に騙されることなく、小十郎は佐助の腕を自分の方に引っ張って地を這う様な声を出した。
小十郎の声と表情に気圧された男は、舌打ちと共に逃げる様に店を出て行った。

「……大丈夫か?」

男の背を忌々しげに見て、それが店から居なくなったと同時に小十郎は佐助に声をかけた。腕の中に居る彼は、熱い息を吐き身体を若干震わせていた。
怖い目に遭ったのか、と対処があと一歩遅れていた時のことを考えてぞっとした。間に合って良かった、と胸を撫で下ろす。
身長の関係からか、その胸の辺りを佐助は弱い力で握っていた。どうしたのか、と顔を覗き込む前に埋めていた彼の表情が露わになった。
涙で潤んだ瞳、紅潮しているのは頬だけではなく唇も赤く色づいていた。熱い息を吐き出す唇は震え、何かを強請る様にも見えた。

「小十郎、さん……」

「猿、飛……」

「俺、もう……駄目。我慢、出来ない」

そのまま上目遣いで見られれば、小十郎の中にある雄の感情が揺さぶられない筈もなく。だが、幾ら彼が我慢出来ないと言って身体の関係を持つことは些か抵抗があった。

「良い、から。小十郎さん、なら……良い」

「だが……」

「寧ろ、して? 俺の好きな、小十郎さんにされるなら……良いよ、だから」

告白と共に紡がれた誘い言葉に、小十郎は夢中で佐助の唇を奪った。
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