10000筆頭企画

□薄闇の芳香
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とある都市の裏道にある、もう一つの店が並ぶ街。眩い光を一身に受ける中心街とは違い、ここには淡い灯りしかなかった。それはどこか、淫猥な雰囲気を生んでいた。
そんな隠れ家的存在の店の中に、とある男が働く店があった。

「いつもので良いか」

「お願いねー」

言葉少なに交わされる会話、それはこの店の特徴でもあった。
バーであるこの店は、各々が個人的な時間を過ごす様な所であった。なので、一人で来る人も居れば恋人を連れて来て、店の片隅で酒を片手に過ごしていたりする人も居る。
今来た客は猿飛佐助と言って、後ろに男を引き連れていた。彼はこの店の常連客であり、今日は接待だと言ってここに連れて来たと連絡があった。

「どうです? ここ。話をするのには打って付けじゃないですか?」

「そうですね、良い場所です」

隣に居た男は、笑みを浮かべて佐助の言葉に同意した。飄々とした、万人受けする様な口振りは相変わらずで小十郎は口角を上げた。
シェーカーからカクテルをグラスに流し込み、接待をする相手に話しかけている佐助にそれを渡した。

「お待たせ致しました」

「どうも、小十郎さん」

「行きましょう、猿飛さん」

接待相手である男は、グラスを持った佐助を連れて奥の方へ行った。奥の方はあまり電飾がなく、些か小十郎は不安な気持ちになった。
他人のことには鋭く気付く佐助だが、よく変な輩に引っ掛かるのが彼であった。線が細く、いつも笑顔を浮かべていることかららしい。
それでよく、小十郎の所に愚痴を零しに来ていることから仲良くなったようなものだ。あの男に変なことをされないと良いが、と思い小さく溜息をついた。
それから、暫く小十郎は暇な時間が続いた。店に居る客は注文をする訳でもなく、彼もグラスを洗いそれを磨くしかすることがなかった。

「小十郎さん」

すると、不意に声がかけられた。聞き覚えがありすぎる声の方向に、小十郎は顔を上げた。

「接待は良いのか、接待は」

「お手洗いってことで、少し抜けてきちゃった。大丈夫、もうこっちのもんだから」

「……どうだか」

もう既に勝ち誇った様な顔をしている佐助に、苦笑を零す。口がよく回る彼は、よく営業などに使われるということを知っていた小十郎は彼の言い分が本当なのだろうと思った。
きちんとした功績を残していることは、佐助からの自慢話でよく知っていた。酒が入ると、日頃の愚痴や自慢話から色々なことを話してくるからだ。

「ここに来るのも、何か久し振りな感じするなー」

「最近、来てなかったからな」

飄々と話し始める佐助に、小十郎も言葉少なに話す。彼がこうして客と砕けた口調で話すのは、佐助だけであった。
カウンターの方は奥の方より明るく、身体や輪郭の細さが露わにされた。端正な顔に浮かぶ笑みは、接待相手に向けるものとはどこか違った。だが、それに小十郎が気付くことはなかった。
他人に向ける笑みと小十郎に向ける笑み、双方に持つ意味が大きく違うことは佐助も自覚していた。それを認めるまでここに来れなかった、というのは彼には内緒だった。

「ま、でもこれからはいつも通り来るからね」

「どういう風の吹き回しだ?」

「もう、そんな言い方しないで良いでしょ? まるで、俺がここに来ちゃいけないみたいに聞こえるじゃない」

からかい合いの様な会話は、二人にとって穏やかな時間を生むものだった。
密かに小十郎に想いを寄せている佐助にとっては、この時間こそが一番大切なものなのだ。接待相手など、構っている暇はないのだ。それに気付かない小十郎がこうして話してくるのが、想いを伝えられない一番の原因でもあるのだが。
客と関係を持つ、などということは真面目な彼がやる筈がないのだ。もう少し不真面目でも良いのに、と思うがそこも佐助が好きになった所だ。否定は出来ない。

「そう悲観的に受け取るな。異動でもしない限り、俺はここに居る」

「うわ、そんな縁起でもないこと言わないでよね。そんなこと言って、本当になっちゃったらどうすんの?」

「猿飛が悲しむな、だろ?」

そうですけど、と佐助は口を尖らせた。カウンターに乗せていた肘を離し、身を翻した彼を小十郎は苦笑しながら見ていた。

「じゃあ、もう俺行くね。帰りは期待してて、俺の勇姿見せつけてあげるからさ」

「程々にな」

「んじゃねー」

佐助はひらひらと手を振って、接待相手の居る席へと戻って行った。
仮面をきっちりと付けて去って行った彼の背を見ながら、小十郎は不思議な気持ちになっていた。
こうして客と砕けた口調で話すのは彼だけだし、閉店した後にどこかにご飯を食べに行くということをするのも彼だけであった。
客と関係は持ちたくない、と思うが佐助とは明らかにプライベートにおいても顔を合わせていた。どうして彼なら許せるのだろう、と思ってみるが答えは出なかった。何故、彼なら素の自分が出せるのだろうかという問いもまた然りだ。
もやもやする思考を断ち切り、小十郎は集中する為に長い息を吐いてからグラス磨きを始めた。それでも、佐助の顔が頭から離れることはなかった。
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