take

□アンダンテ
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夕陽に照らされるベルフェゴールが好き。紅く燃えて落ちていきそうな陽の光に照らされると金無垢の髪がとろける琥珀みたいで。

「ベルせんぱい」

ヴァイオリンケースを閉じるぱちんという音がしてベルフェゴールは振り返るとそこに夕陽のせいだけではないだろう、頬を染めるフランが立っていた。

「どした?もう帰るんだろ?」

ベルフェゴールの答えに返答はせず、フランは厚い前髪の奥に隠された瞳を探る様にしぱしぱと瞬きをして、ちりちり胸の内を焦がす感情を言葉にして産み出した。

「せんぱい…ミーは、せんぱいが好きなんです」

もう、何回この言葉を伝えただろうか。
今回こそは、今回こそは。
しぃんと注ぐ沈黙はまるで深夜の空の下みたい。
満点の星だけが降り注いで、他のどの音も止んでしまって。
自分の鼓動の音がとくりと刻まれる度、星が一緒にまたたいている気がする。

ベルフェゴールは音をたてて椅子から立ち上がると、鞄を肩にかけ直しフランの額を弾いた。

「はいはい。ほら、もう帰るぞ」
「…っむぅー…」

今回もやっぱりそうだった。
フランは唇を噛んで俯くと滲む視界をきつくこすって誤魔化し、ヴァイオリンケースを持った。

「もう大分、暗くなるの早くなったなー」「…そうですねー」

フランは隣を歩くベルフェゴールをちらりと視線だけで見上げると、きゅうと締め付ける胸の痛みに息が苦しくなった。
今まで、何度ベルフェゴールに想いを伝えただろうか。
好きだ、と。
だけれどその度に軽くあしらわれては話題をすり替えられてしまい、本気で相手に等してもらえなかった。
ベルフェゴールが学園内外から絶大な人気がある事は嫌という程知っていて。
だからこそ周りに埋もれてしまえば、きっともう言葉を交わす事すら出来ないと、日頃自分から誰かに話しかける事等ほとんどない自分がなけなしの勇気を振り絞って伝えた言葉はいつだって意味を成さずに宙を舞う。
拒まれている事は分かっていて、その度心が、がしゃりがしゃりと音を立ててはひび割れる。
だけれど、それでも。
泣きだしたい想いから必死に目を逸らしては諦めきれない感情を言葉に乗せて伝えていた。
だって、彼はずるいのだ。

「…ラン、フランっ危ねぇ…っ」
「え…っぁっわ、わ…」

ベルフェゴールはフランの腕を強く引くと自分の胸に収め、頭を肩口に押し付けた。力強いその指先に、頭皮にじわりと伝わる体温に震えるフランのすぐ傍をスピード超
過の車が音をたててすり抜けて行った。
ぼんやりと歩いていたため車に気付かなかった自分を助けてくれたのだと、一泊遅れて理解すると今度は抱き締められている体勢に暴れ出す鼓動が伝わらないようにと身体を離した。

「すみませ…、あの、もう大丈夫ですからー…」
「何ぼーっとしてんだよ、怪我は?」
「無いですー…ありがとう、ござます」
「ん」

くしゃりとフランの髪を撫でるとにぃ、と笑みを零してさりげなく車道側を歩きだすベルフェゴールの後をとことこ追いかけながら、染まる頬を見られないよう少し俯いた。
新しく出された課題曲が少し難しいとか話をして、自分の頃と同じ曲を出しているとベルフェゴールが答えた時、丁度駅近くの交差点に出る。
ここをすぐまっすぐ行けば、駅前にベルフェゴールの住むタワーマンションがあり、ここを曲がりまだ少し距離が離れた所にフランの住む学生寮がある。立ち止まる事なく曲がろうとするベルフェゴールに慌ててフランが声をかけた。

「ちょ…せんぱいのマンションこっちじゃないじゃないですか…」
「は?分かってるつーの、そんな事」

何を今更、ときょとんとするベルフェゴールに少し赤くなってそれでもなんとか答えを返す。

「あの…っえ、とこっちに用事あるんですか?」
「は?お前、今さら何言ってんの?寮こっちじゃん」

さも当たり前と言わんばかりのベルフェゴールの発言にフランは眉を下げて想いを探りながら口を開いた。

「一人で帰れるから大丈夫ですー…こっち来たらせんぱい遠回りじゃないですかー」「駄目。何回も言ってっけどお前一人にしたら危なっかしいから。さっきみたいな事もあるし」
「ちゃんと真っ直ぐ、前見て帰りますから大丈夫ですー」

ぼんやりとしていた事を指摘され、一瞬口ごもりながら、それでもフランは送迎を辞退するが再び、髪をぐしゃぐしゃと掻き回しだした、ベルフェゴールによって意見をそっと伏せられてしまった。

「いいから、お前は大人しく俺に送られてたら、いいんだよ」

言うなり、フランの手をひき歩き出してしまい、それに引き摺られる様に後に続いた。

ベルフェゴールは、ずるい。
こちらの気持ちをやんわりと拒んでおきながらいつだってこうして自分を甘やかす。一緒に帰る約束をしているわけでもないのに、さも当たり前みたいに授業が終わればメールで自分を呼び出し、必ず寮まで送り届ける。
頭を撫でて髪を梳き、指先を絡ませて歩いた。

触れ合う場所から変な汗をかいてしまいそうだとフランは少し赤くなった。
何度も、想いを伝えているのだから今更だと思うが、触れ合った指先が熱くて泣いてしまいそうになる。

もしかしたら、もしかしたら、と錯覚しそうになって。
想いを問い詰める事も、思わせ振りなこの手を振り払う事も出来ずにフランはそっと握り込まれた指先を握り返した。
ずるいのは、きっとお互い様。

寮に着き、ベルフェゴールは繋ぎ合った指先を離すと示指の先だけで頬を掠めるようで撫でた。

「じゃあな。また明日」
「…ありがとうございました…また、明日」

しばらくベルフェゴールが立ち去るのを待っていたが、どうやら向こうも同じらしくフランがエレベーターに乗り込むまでそこをじっとしていて、気まずさに耐えかねてフランがエレベーターに乗り込むと扉が閉じる瞬間までベルフェゴールはそこに居た。

うぃん、と上昇音と共に居住空間へと運ぶ箱の中でフランは自分の指先をじっと見つめていた。
ベルフェゴールと触れ合った指先。
手を離した今もそこに神経の総てが持って行かれたように熱く、心の根が切なく疼く。

「子どもにするのと、同じ…なんですよね」

きっと、深く考えている訳ではないのだろう。
ベルフェゴールはこちらがこんなにも泣きたくなる程苦しくなっているだなんて思ってはいない。
拒むくせに、引き寄せて。

「せんぱい…すき」

それでも結局、出す答えは同じ。
触れ合った指先にそっと唇を寄せるとほのかに残る体温がまたフランの気持ちを絡め取った。

フランを寮まで送り届けた後、ベルフェゴールは自宅マンションに向かって歩いていた。
それはすっかり習慣として身についていて、どちらかが委員会等で時間がずれてしまって別々に帰る時は無事着いたかどうか、気になって他の事が身に入らない。
以前、着いたかどうかをメールで送れと言った事があったが、一瞬ぽかんとした様子を見せた後に「子どもじゃないのだから大丈夫だ」といたく怒っていた。
確かに、子どもではない。
だけれど危なっかしくて、それ以上にその自覚がなくて。
自分の音楽に対しては真摯に向き合い、磨き、静かな炎を翡翠の瞳に宿しているが、それ以外の例えば華奢なつくりの身体と端正なパーツの揃うベビィフェイスが人から見てどう映るだとか警戒心むき出しの子猫みたいな態度が却って、自分にだけ心を開いて欲しいと欲を持った人間を惹きつけて
止まないのだとかそんな事にはついぞ気がつかない。

この自分の中の、暗い深淵にも。

日頃、揺れの少ない湖面の瞳に波紋を広げていく様にじわりと感情のいろがつき、熟れ始めた果実の唇がそっと好きだと自分に告げる。
きっと分かってはいない。
その時、自分がどんなに濡れた瞳をしているのかを。

「…えっ獄寺さん、伴奏出来なくなっちゃったんですかー」

昼休み、放送で呼び出されたフランに告げられたのは五日後に近づいた学校見学会での演奏での伴奏者のキャンセルだった。
事情を聞けば、どうやら急な用事で実家に呼び戻されたらしく、フランに申し訳ないと伝えておいてほしいとの事だった。
難しい曲ではないので、どうにか別の伴奏者を見つけて間に合わせて欲しいと言われた所で、話は終了してしまいフランは職員室の帰り途方に暮れる事となってしまった。

確かに、曲は学校見学会に来る中学生やその保護者に向けてのもので、誰でも聞いた事のあるポピュラーなものを、という事だったので技巧的には音楽科の生徒であるならば何度か音合わせをすれば形にはなるだろう。
ましてやコンクールではないので言い方こそ悪くなってしまうがある程度のまとまりさえあれば大丈夫だ。
だが、困った事にフランには、こんな急な事を頼める友人に中てがなかった。
獄寺とて、ピアノ専攻の一年代表、という事で最初から教師に決められての伴奏だった。
かと言って、ヴァイオリンの無伴奏独奏をする勇気等ないし、第一そんな事であれば、いくら学校見学会といえど自分ではなくこの学校が誇るベルフェゴールがすべきだろう。

一人、たった一人顔見知りでピアノ演奏をする人間が学内に居るには、居るのだ。

フランの頭の中に真っ先に浮かびあがったのは学園が誇る、もう一人の天才。
だが自分等の伴奏を頼む等恐れ多くてとても出来ないし、第一そんな事をしてしまえば女子生徒からどんな妬みをかってしまうか計り知れない。
第一、その人物の顔をまともに見てしまっては必ず別の人物を連想してしまうだろう。
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