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□※少年は恋をする
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「フラ、ン」

紅く夕陽の射し込む教室で名を呼ばれ、振り返れば帰り支度をする自分の手首を引かれ、腕の中に抱き込まれた。

一般教室であれば、通りすがる生徒や教師の可能性を考慮して多少の抵抗を見せたりもするが、今いる練習室の扉には『使用中』の札をかけてあるし、施錠もしてある。
心置きなく、愛しい温もりに瞳を閉じて身を任せれば髪に頬を擦り寄せられた感じがして、あ、とフランは薄く瞳を開いた。

翠の髪を掻き分けて、こめかみあたりに口づけを受け止め、そこから額に、目尻に、と位置が下がっていくと共に芽生えた予感は徐々に明瞭なかたちへと姿を変えて、鼻先にちょんと唇を当てられた時にはすっかりとした確信になっていた。

「フラン」

フランのまぁるい肩を抱き込んでいた掌が頭を一度撫でて、そこからするりと頬をすべり細い顎を宝物のように支えて少し、仰向かせる。

「ベル、せんぱい」

長い扇形の睫毛が陰を落とす目元は膜を張ったように潤み、ほんのりと朱に染まっていて、前髪に隠された瞳を満足げに細めてからゆっくりと顔を傾ければ、フランがぎゅうっと瞳をきつく閉じて眉を寄せた。

そのままベルフェゴールが唇を重ねると未だとけない緊張と羞恥で、力がこもり固く閉ざされた唇が一瞬びくりと震えた後、ぎこちなく応えるように自らも押し当て、擦り寄せる。
日頃、毒づく事に精を出す唇をベルフェゴールは舌で軽く突つくと、またしてもかちかちと音がしそうな程に身を硬くしながら薄く開き、そこにぬるりと舌を滑りこませた。

「ぁ…ん、ふ…」

根元から絡められ、吸い上げられて、身体中の力も抜けてしまったフランはくったりとベルフェゴールにもたれ掛かると更にきつく抱き寄せられ、指先だけで自分を抱き締める腕にしがみついた。

「ほら、息しろ」
「ぁ、ん、は…っ」
「…下手くそ」
「う、るさ…ですー…んっふ」

ちゅう、とリップ音を立てて唇が離れると、瞳を開いたフランを見て、ベルフェゴールはくすくすと笑みを落とし、甘く囁いた。
「目、とろんってなってんぞ」
「なって…ませんー…ミーはチョコでもアイスでもないんですー…」
「はいはい」

再び、腕に抱き込まれて、胸に頭を押し当てるとベルフェゴールの少し早まった鼓動が自分のそれに重なっていくようでフランは深くいきを吸い込み、瞳を閉じた。
髪に頬を寄せられると、口づけの合図だと
気づいたのは、ここ一月ほどで、フランはその度に壊れてしまいそうに早鐘を打つ心臓をぎゅっと押さえ込み、必死にベルフェゴールに連いて行くように、応えていた。抱き締められると胸一杯に想いが膨らんでいくのに、その真ん中の柔らかいところがきゅうんと締め付けられて何だか泣きたくなってしまう。

「明後日は?駅前のホールで定期演奏会だっけ?」
「ですー。高等部に上がって初めての演奏会なんですよー」
「伴奏は?ピアノ専攻の一年だろ?」
「はいー。隣のクラスの獄寺さんですー」「ふぅん。最終音合わせは?明日か?」
「いえ、明日は練習室が取れなかったので、さっきしてきましたー。結構面白い感じなんですよー」
「ふぅん」
ベルフェゴールはフランの瞼を指先でそっと抑え、もう片側に唇で触れた。
答えた瞬間、纏う空気を硬化したそれに変え、視界を柔くではあるが塞がれたフランは何か自分は悪い事を言っただろうかと惑い唇を薄く開いた。

「せんぱい…ミー何かしましたか?」
「別に…何でもねーよ…」
「嘘、ですー。急に機嫌悪くなったじゃないですかー」
「うるせ…」

そこでベルフェゴールはフランの腰にまわした腕に力を込めきつく抱き込んだ。

「お前の一番いい音出せんのは俺の伴奏だろ」

拗ねた様な響きのそれにフランは戸惑いが擽ったい愛おしさに形を変えていくのを感じた。
思わずくすりと笑みを零せば再度閉じた瞼に口づけの雨が降る。

「せんぱいに伴奏してもらうにはミーはまだまだですよー。獄寺さんとも意思疎通させていくの結構時間かかったんですからー」
「俺ならお前の単純思考位すぐに分かるし」
「何ですかーそれー」
「順番は?」
「後ろから二番目ですー」

ベルフェゴールの発言に柳眉を寄せて抵抗を示しながらフランは口を尖らせて答えた。

「二番目…そうか、今回はヴァイオリン専攻科中心の演奏会だったもんな…。って事はあいつくんのかよ」

ひやりと落とされた言葉。はっきりとした名前を出さずともそれが誰であるのかなんて十分過ぎる位に分かっていた。
比類なき天才。
学園始まって以来の逸材。
その存在をあらわす称賛は限りなく耳にした。
まるでヴァイオリンを自分の身体の一部の様に操っているとも、弓を魔法の杖のごとく従えてそこに新しい世界を作り出している様だとも言われている。
学生という身分でありながら、既に海外のコンサートに幾度となく招かれただとか、
著名なピアニストが自ら伴奏をかってでただとか根も葉もしっかりと存在する噂はいつでも流れており、学園内では知らぬ人などいないであろう存在。

そして何より、フランの恋人であるベルフェゴールの双子の兄、であるのだから。

ベルフェゴールは日ごろからフランに必要以上に近づくなとやや無理のある警告を促していた。
実際、恋人という関係を抜いて、ただ単に学園内の先輩、後輩という括りにしてしまえばどうしてもピアノ専攻であるベルフェゴールよりも、同じヴァイオリン奏者であるフランとラジエルの繋がりの方が濃いものとなる。
その上、特別授業という形をとり、ラジエルが講師となり指導を行う事もあった。

ラジエルとベルフェゴールが互いに強い感情で反目し合っている事はよく知っていて、その相手と関わりを持つという事がなんとなく面白くないと言う事自体は理解出来る。
ラジエルのレッスン自体は同じヴァイオリン奏者としてこの上なく有意義な事で、その事自体は苦い思いを持ちながらもベルフェゴールとて演奏者として認める部分はあるらしく容認してはいたが受け入れては居なかった。
だがそれ以上にベルフェゴールはラジエルがフラン自身に何か含みがあると思っているらしく、
それについてはただ首を傾げる事しか出来なかった。
自分自身、確かに特待生という肩書があるせいか、他の一年生に比べて、名前を知られている部分は多少ある。だがラジエルやベルフェゴールの様に国内外から注目を受けている事など欠片もなかったし、逆に成績や授業態度に目立った問題がある訳ではない。

もし、自分がラジエルの目に特別目がとまるきっかけがあるとすれば間違いなくベルフェゴールの隣に居るという事であろう。
ラジエルと、ベルフェゴール。
学園に名を流麗に響かせる二人の天才。
ラジエルの偉業が称えられる時、対となる様にベルフェゴールが赫々たる成績を収めたし、ベルフェゴールが金字塔を打ち立てた時、対極の位置でラジエルの活躍が囁かれた。

廊下で時たますれ違えばベルフェゴールはフランを構いたがったし、フランはピアノ専攻科の定期演奏会に足を運んでいた。
目立つ存在のベルフェゴールの傍近く居る自分が知らず知らずにラジエルの目に触れている、いう事は想像に難くない。
交際を隠してはいたが、ベルフェゴールの血を分けたラジエルの目を誤魔化せているとはとても考えられなかった。

「こら、何黙りこんでんだよ」
思索に耽るフランを面白くなさそうにベルフェゴールはフランの額を弾いた。
「ったぁ…。何するんですかー」
「うっせ、ぼーっとしてっからだろ」
「ぼーっとなんてしてないですー」
「してたっての…。なぁそれよりさ…」
自分から振った会話を断ち切るとベルフェゴールはフランを再度抱き込んで、髪をかきわけそっと囁いた。

「な…、定期演奏会終わったらさ、俺の部屋来いよ」
「え…」

ベルフェゴールと交際を始めて丁度二月。その間、テストやら互いに定期演奏やらが立て込んで学外で会う時は、食事をするだけという付き合い始めにしては味気ないもので。

ベルフェゴールの部屋。
どんな、だろうか。
駅前のタワーマンションに住みハウスキーパーに掃除を任せていると聞いて驚いた事がある。

提案にフランは俄かに心を浮き立たせたが、すぐに一つの問題に行き当たり視線を下げた。
「あ…でも、せんぱいの部屋って寮からちょっと離れてるんですよねー。演奏会が五時過ぎまであるので門限が…」
「だから、さ…」

そこで再度フランの耳元に唇を寄せ、先ほどよりも甘くささめいた。

「泊る準備、してこいよ」

その言葉にフランはじわ、と瞳を開いた。
泊る。
泊る、とは。
夜も、一緒で。
その意味が分からない程子どもではないが想像をするには経験が無さすぎる。
嫌、ではないと思う。
と、いうより想像が…つかなくて。

ししっ、と独特の笑みにも反応を示せずに居るフランを見遣りベルフェゴールは抱き込んだ腕を少し緩めて髪を撫でた。

「やっぱり、演奏会の後だし夕飯だけ…ぅおっ」

立てた提案を自ら取り下げようとしたベルフェゴールの首に突然腕を回そうとしたフランの手が当たりそうになり反射的に避け、震えながら抱きつくフランを抱き返した。

「…無理させたいわけじゃねーよ」
「違…っ違います…」
そこでフランの腕をそっと外すと、泣きそうになりながら再度腕を回そうとするフランを今度は自ら自分の胸の中に抱き込んで髪を梳いた。

「…部屋、来るか?」
一つ、フランが頷いた。

「着替え、ちゃんと持って来いよ?」
頬を薄く染めながらもう一つ、フランが頷いた。

自分の想いが正しく伝わった事にほっと息をつくフランの瞼に触れるだけの口づけをすると、改めて抱きしめ先程よりも少し柔らかく開かれた唇で触れあった。
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