take

□月の光。
1ページ/1ページ



頭の中に刻まれた、真っ黒なおたまじゃくしの群集。いつからか存在するそれが示す、その通りに鍵盤に指を滑らせた。

途端、静寂に包まれていた空間に甘く、どこか物悲しい旋律が響き渡る。

誰の曲だったか、いつの時代の音楽か、そもそも誰に習ってどこで覚えたのか何て記憶になかった。忘れる程に遥か昔、思い出せなくても勝手に指が動くくらいに、弾き慣れた、弾き込んだ曲。

「あれ、蛙ピアノ弾けんの」

「…ベルセンパイ」

ヴァリアー邸の使われなくなった倉庫。その一番奥にひっそりと置かれた、埃を被ったグランドピアノ。少しばかり年期の入った代物だが、質の良い高価なものであることが音と鍵盤を叩いた感触で分かった。つい夢中になって手を休めることなく旋律を奏で続けていれば、あまり人が行き来するような場所でもないのに、ベルセンパイが関心したような様子で入ってきた。

「ミーがピアノ弾くなんて意外ですかー。」

「別に。何か悲しそうな曲だな。綺麗なのに。」

高らかな靴音を立てて、ベルセンパイはグランドピアノの傍に近寄った。真っ黒な天板に肘をついて顔を覗き込んでくる。

「何て言うの。その曲。」

「分からないですー。手が勝手に動いちゃうんですよ。」

言いながらすでに手が五つの鍵盤を押していた。和音が空間に広がって、曲が終焉に向かっている。

「ふーん。まぁそういう曲ってあるよな。」

「え、センパイピアノ弾けるんですかー。」

驚きの余り鍵盤から指を離した。ペダルは踏んだままだったから、弾きかけていた曲の一部がそのまま空間に残った。

「だって俺王子だもん。それぐらい余裕だし。」

席を立つように促されて、ピアノ椅子から立ち上がった。するとベルセンパイが入れ替わりにその席に座り、殺しをするとは思えない程綺麗で長い指を鍵盤に滑らせた。
ペダルを踏み、激しく鍵盤を叩きつける。その瞬間先程まで自分が弾いていたのとは全く違う、激しくて、でも華麗なアップテンポの曲が始まった。

複雑に並んだおたまじゃくしを、センパイは間違えることもなく簡単そうに弾いていく。楽譜がなくても分かる。超絶技巧でもない限り、弾くことなんて出来ない。並みの人では決して弾けない。

嗚呼、やっぱりこの人は天才なんだ。

ただ奏でられる音楽に、いつの間にか聞き惚れていた。激しく叩きつけているのに、飛び出す音はあくまで繊細。

淡い月の光が、薄汚れた窓から差し込んで、演奏者を包み込んだ。キラキラと輝く黄金と、時折揺れる前髪から覗く美しい瞳。幻想的なその姿に、自分が弾いていた曲を思い出した。

フランス生まれの音楽家が作った組曲の三曲目に収録された、幻想的な静かな曲。当時好きだった夫人に送ったとか、詩を本に作ったとか色々説はあるけど、確か200年くらい前の曲。

「俺はこれくらい激しい曲が好き。」

「…センパイらしい曲ですねー。」

「さっきのはお前らしいよな。けど、寂しそうで俺は嫌い。」

そう言うと椅子から立ち上がり、出口に向かって歩き出した。ミーは、後ろ姿を見るだけ。

「もっと楽しそうにしろよ。良い曲だけど、明るい曲弾くとかさ。笑った方がいいぜ。」

最後にそう言い残して、扉は音を立ててしっかりと閉じた。


月の光。


知らない癖に。センパイを想うと自然に
悲しい曲になってしまうなんて

ミーの想いは儚くて淡い、
幻想的な『月の光』のよう。



‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐



桐原様から開設記念に頂きました!
うわわ…有り難すぎる…!本当に有り難うございます…!

情景の表現が綺麗で凄く素敵です´`*
ピアノが弾ける男性って、何とも魅力的に感じますね。

こんな私ですがこれからも仲良くしてくださったら光栄です。
この度は有り難うございました!





[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ