自宅マンションへ続く緩やかな坂道を、拓は とぼとぼと歩いていた。
自分から告げたコトとは言え、恋人と別れるコトがこんなにも精神的にくる≠烽フだとは思っていなかった。
よくよく考えてみれば、拓にとって雄一は 心も体も結ばれたいと願って、そして それが叶った 初めての相手だった。
高校生の頃に付き合っていた同級生との関係は、過ぎた友情と好奇心の上に成り立っていたような、俗にいう恋愛ごっこ≠セったと、雄一とつき合うようになってから、気がついた。
それは、それで懐かしく、過ぎ去ったコトで 綺麗な思い出に美化されて残っている。
だから、本当の意味での恋愛は、雄一との日々だった。
今は、思い出や後悔や、苦しさ、哀しみ、安堵などが ない交ぜになって、辛いばかりだけれど、月日が経てば 総ての想いが浄化され思い出になって行くのかもしれない。
(でも、まだ 今は…)
坂を上り切った拓が 一つため息をついてマンションのエントランスに入ると、自室の郵便受けに朝刊が差し込まれていて その上から何通かのDMやチラシが無造作に押し込まれているのが目に入った。
それをまとめて引き抜くとエレベーターの上昇ボタンを押す。
エレベーターは ちょうど拓の部屋のある3階に止まっていて、すぐに1階に降りて来て 扉が開くと同時に、正面に取り付けられた車いすの昇降用の鏡に映る自分と目が合った。
そこに移る無表情の自分に、拓は違和感を覚えた。
胸の中は こんなにも辛いのに、どうしようもない感情が真っ黒な泥水のように湧きだし、ぐるぐると渦を巻いているのに、それなのに この顔は何事も無いかのように、無表情でいつも通りの拓だった。
胸の内の泥水が更に増すのを感じながら、拓は鏡から目を逸らせ 背を向けると3Fと表示されたボタンを ぐいっと押した。
途端にエレベーターは動きだし、僅かな浮遊感を感じる間もなく3階に着いた。
そうしてエレベーターを降り、自室へ向かおうとした拓は、目指すその場所に思いがけない人を見つけ、信じられない思いに足を止めた。
「……香月?」
思わず その名を呼ぶと、弾かれたように顔を上げた香月は、拓を見ると一瞬だけその顔に躊躇いの色を見せたけれど、すぐに笑顔に変わった。
躊躇いの理由は、剥き出しのキャンバスと朝刊に郵便物をそれぞれの手に持った 拓の姿を見てのコトだろうと、察しがついた。
「香月、どうしたんだ? つか、何でここが判った?」
「拓ちゃん、具合悪くて休みだって聞いたから…住所は 担任に無理言って教えてもらった」
香月の担任は安川だ。
多分、お見舞いに行きたいとでも言われて、あっさり教えてしまったんだろう。
(安川先生に、個人情報漏えいなんて意識はなかっただろうけど…)