V
翌日から、香月は美術準備室にやって来るようになった。
昼休みも放課後も、もうすでに当たり前のように部屋へ入って来ては、拓ととりとめもない話をして帰って行く。
それの何が楽しいのか拓には判らないけれど、香月の訪問は拓が出勤する日は 欠かすコトなく続いていた。
(毎日、毎日、何が楽しくて こんな所に来るんだか…)
放課後、シナモンとミルクの入ったコーヒーを片手に、1年美術のカリキュラムの用紙を眺めながら、拓は香月のコトを考えていた。
去年、美術の授業を受けていた時の香月は、あのルックス以外は取り立てて目立つ生徒ではなかった。
至って真面目に授業を受けていたし、サボるコトも無かった。 ただ、これは後で思い出したコトだけれど、香月はすこぶる絵が下手だった。 デッサンや下絵は まだマシなのだけれど、色を付けると凄いコトになる。
「そう言えば、1年の2学期は静物画だったな…」
今年度のカリキュラムに目を通しながら、去年 香月が提出した静物画を思い出して、拓は吹き出しそうになった。
それは生徒が、胸像、花と花瓶、果物と陶磁器の 3つのグループに分かれて静物画を描いた授業だったのだけれど、香月は果物と陶磁器を選び それを描いていた。
完成後、提出された絵を見て、拓は最初 冗談かと思った。 その絵はリンゴは赤、レモンは黄、と言った具合で混色を知らない幼児の描いた絵のように、絵の具の色そのものだけで描かれていたのだった。
(あれは凄かったなぁ。 ビビットにもほどが あるっつの)
その時も思ったのだけれど、香月の絵は稚拙な色使いのせいか、本当に幼児の絵を見ているようで 何故か微笑ましい気持ちになる。 今 あの絵を思い出しても可笑しいだけではなく、どこか気持ちが和んでいくような気がする。
だいたい、あんなに図体がデカくて、押しの強いモテ男が あんなマズイ絵を描くのかと思うと、それだけで何だか可愛くて愛おしく感じるじゃないか。
年齢より大人びている香月の見えない幼児性を垣間見たような気がして可笑しかった。
クスクスと一人笑いながら、マグカップを口許に運んだ時、ノックも無く部屋の扉が開いた。
「拓ちゃん、いる? ……何、笑ってんだよ」
いきなりの本人登場は 拓の笑いのツボにストレートに入ってしまい、堪え切れず笑い出すと、それを見た香月は怪訝な顔をしながら、いつものように安川の机の椅子を引いて拓の向かいに座った。
「いや…なんでも……」
まだ笑いは収まらない。
拓が笑い続けているのがおもしろくないのか 香月の唇がほんの少し突き出され、それは拗ねた幼児がするしぐさのようで、さっき思い出した香月の絵との相乗効果で、目の前にいる大きな香月のコトを、いい子 いい子したい衝動にかられる。
(コイツのコトを こんなに可愛いと思ったのは初めてだな)