童顔を誤魔化すための伊達メガネのブリッジを指で押し上げながら顔を上げると、目の前に立つ スラリとした美形と目が合う。
そこに居たのは、全体的に端正な顔立ちの男だけれど、フワリとした茶髪には緩いウェーブがかかっていて、それがやや目じりの下がった目元の甘さとマッチして、女の子が黄色い悲鳴を上げそうなアイドル顔に仕立てていた。
拓は、その顔に見覚えがあるような気もしたが、すぐには思い出せない。
(誰だっけ? 大学生くらいか?)
拓に大学生の知り合いは いないから、もしかしたら雄一に連れられて何度か行ったコトのあるゲイパーティーで会った男かもれしない。
けれど、そんな場所で名字を名乗るコトなどないはずなのだが…。
とりあえず挨拶でもしてやり過ごすか、と 口を開きかけた時、男の言った言葉に、拓は口ではなく、目を大きく開いていた。
「いいの? 教師が こんな店から出て来ちゃって」
「!」
(なんで? なんで コイツ 俺が教師だって知ってんだ? …まさか…とは思うけど、もしかしたら…うちの生徒か?)
ここは繁華街の外れ、言い換えれば 繁華街から繋がる歓楽街の入り口で、高校生がウロウロできるような場所ではない。
それなら、この男は一体?
よく判らない展開に心臓が一気に心拍数を上げ、パニクりかけた拓に、男は見惚れてしまいそうな笑顔で言った。
「学校にチクっちゃおっかなぁ? 写メも撮ったし」
ビンゴ!
その瞬間、思わず拓は天に向かって そう叫びそうになった。 思い出したのだ、この笑顔を…
去年 選択科目で美術を専攻していた生徒。 2年の…香月裕人(かづき ひろと)だ。
高校生とは思えないほど大人っぽく 実際の年齢より年上に見える香月は、成績もそこそこ良く、何よりこのルックスだから学校ではかなりの有名人だった。
拓は教師と言っても非常勤講師で、常任教師のサポートが仕事のために1年生しか受け持たない。 それも、美術を選択した生徒だけだ。
学校に出勤するのも週4日だけだし、生徒と接する機会など授業以外はあまりなかった。
だから、一様に生徒の顔は覚わらない。 いや、端から覚える気がないのかもしれない。
先輩(と、言っても親くらいの年齢だけど)である常任美術教師の安川は、よく拓に向かって「教師は、生徒の顔を覚えるコトが最初の仕事なんですよ」と言ってくるが、接点が少なすぎて受け持ちの生徒以外は覚えられないのだから仕方ない。
いや、正直を言えば、拓には そこまで教師の仕事に対する思いは無かった。
昨今のご時世の中、ご多分に漏れず 拓たちが卒業する時も就職難は猛威を振るっていた。
一過性の流行り風邪のような就職難ではなく、完全な氷河期だった。 新卒が一番有利と言われていたから、なんとしてもどこかへ滑り込まなければと皆が躍起になっていた時だったのだから、意に染まない職業であっても職に就けるだけマシだという そんな就活時代を経験した。
美大出身で教員免許も取得したけれど、他の教科に比べても狭き門の美術教師なんて さほど興味もない仕事だったし、教育委員会と私学会館に非常勤講師の登録をしたのも友人に誘われてなんとなくだったのだが、採用通知が来たから この仕事に就くことにした。ただ それだけだった。
「どうしたの? 西岡センセ。 首になるかもって ビビっちゃった?」
からかう風でもなく、拓の顔をのぞき込むようにして、落ち着いた声で香月は言った。
拓が黙ったままでいると沈黙を肯定と捉えたのか、香月は確信を突いた質問を、まるで今日の昼飯のメニューを聞くような気軽さで聞いて来た。