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そして、冒頭に戻る――である。
8月も終わろうとしているが、日中の熱気を残したままの空気は湿り気を帯びて、体にまとわりつくように暑苦しい。
この階段を上がり切って地上に出たとしても、大差はないだろう。
拓は、再びため息を吐いた。
(ホントに俺は何をやってるんだ…)
平日の夜だからか、店はとても暇そうだった。
『今はどの子も空いているので、指名料をプラスして戴けたら、お好きな子 選べますよ?』
ニコニコと言うよりはニヤニヤといった笑いを浮かべた黒服にうんざりしながら、拓は 一番地味そうな、でも性格は良さそうな女の子の写真を指差した。
ホントは誰だって良かった。
黒服は、一瞬 怪訝な顔をしたけれど、すぐに笑顔を取り繕って頷いた。
指名料を払ってまで、何故この子を?と、言いたそうな顔だった。
(でも、俺の人を見る眼は間違ってなかったぞ?)
とても無口なヘルス嬢だった。
とは言え、ヘルスに来たこと自体 初体験なのだから、普通はヘルス嬢が話しながら仕事をするのか、それとも無言なのかなんて知らない。 それでも個室を出る時、下手に慰めて来たりたするような子でなかっただけ、嬢のチョイスは間違っていなかったのかもしれないが、帰り際 気の毒そうに拓を見る憐みの目は忘れられない。
けれど、彼女の考えていただろうコトと、拓が凹んでいる理由は、実はまったく違うものだった。
風俗店で、勃たなかった――そんな結果は最初から判っていた。
拓はゲイなのだから、女の子にどれだけ奉仕されようが、感じるのは違和感や嫌悪感ばかりで、体が反応するはずがない。 ヘルス嬢相手に勃つなら、ゲイなんてやっていないというのだ。
そうではなく 拓が凹んでいたのは、売り言葉に買い言葉とは言え、怒りに任せて こんな所まで来てしまった自分自身と、部屋を飛び出す時に 雄一が止めてくれなかったことに対してだった。
潮時――という言葉が、拓の脳裏を掠めて行く。
(永すぎた春…か? もう5年だしな…)
三島由紀夫の小説は、結婚で終った。
自分たちの永すぎた春≠ノは、どんな終止符が打たれるんだろう。
気持ちが無くなった訳ではない、と拓は思う。 あんな無神経な浮気男でも、嫌いになったわけではない。
ただ、いつからか お互いの距離感が掴めなくなっていた。 ずっと傍にいる≠ニ、誰よりも近くにいる≠ニ 思っていたのに、ふと気づけば遠い所にいるような気がした。 手を伸ばさずとも触れられるような間近にいるのに、どうしても越えられない透明の壁が二人の間にいつの間にかできていたような そんな感覚を覚えるようになって どのくらい経つだろう。
「西岡?」
悶々と考え込んでいた拓は、階段を上がりきり ビルの出入り口に立った瞬間に名前を呼ばれ、心底驚いた。