[.
まったく、昨日は酷い目に合った。と、晃は小さくため息をつきながら つぶやいた。
それが、資料室の隠し部屋に閉じ込められたコトを言っているのか、それとも帰宅後、明け方まで甲斐の「思う存分」に付き合わされたコトを言っているのかは判らない。 きっと、両方なのだろう。
あの後、林丘が呼んできてくれた江田島が、件のドアを蹴破って二人を助け出してくれた時に聞いたのだけれど、あの中二階の隠し部屋は甲斐の推察通り5年前まで普通に書庫として使っていたそうだ。
と言っても、かなり古い資料しか置いてなかったために、実際に使われるコトはほとんどなかった上に、作りが古い階段を踏み外してケガをする人も多かった。
そんな時、ドアに設置されていたクローザーのダンパーが壊れ、歪んだドア枠のせいで立て続けに何人かが閉じ込められた経緯もあり(軟禁状態に陥ったのは、晃と甲斐が初めてではなかったようだ)、一階の資料室の棚がいっぱいになったのを機に、一時的に閉鎖しようと置いた書棚がそのまま定位置になってしまっていたらしい。
入社4年目の晃は そんなコトを知るはずもなく、ふざけ半分で江田島が作ったほら話にひっかかったと言う訳だ。
同じく入社4年目の江田島は、その話を総務の先輩から聞いて知っていて、今回 新社屋への引っ越しの為に中二階の資料を運び出そうと、5年ぶりに出入りできるようにしたのだけれど、まさかドアを解放した初日に軟禁される奴がいるとは思わなかった、と笑った。
あまりにもマヌケな話過ぎて恥かしいからと、今回のコトは、江田島と林丘の胸に納めてもらうことにした。
「おはよう…」
カバンをデスクに置いた後 休憩スペースにコーヒーを買いに行くと、何やら皆んながワイワイと騒いでいた。
「早瀬さん、おはようございます」
「何か、にぎやかだけど、どうかしたの?」
晃に気づいて挨拶してきた、生管課の女の子に何の騒ぎか聞いてみる。
彼女は少し笑いながら、教えてくれた。
「それが…資材課の子が、昨日 幽霊を見たって言うんですよ」
(また、幽霊か…。 もう勘弁してほしい)
晃は少しウンザリしたものの、自分から聞いてしまった話だけに知らん顔もできず、「俺は、その手の話は苦手だな」と笑って見せた。
「私は、信じてないから平気なんですけど、きっと空耳とかだと思うんですよね」
「へぇ…」
曖昧な返事をした晃は、さっさとコーヒーを買って この場を離れようと自販機に向かった直後、いきなり腕を掴まれ 驚いて振り返った。
「…甲斐」
そこにいたのは甲斐だった。
今朝、晃は甲斐のマンションから、一旦 自宅に戻ってから出社していため、恐らく甲斐の方が早く会社についていたのだろう。
「先輩、ちょっといいですか?」
甲斐に促されて、晃はコーヒーを買うのを止め、何事かと甲斐の後をついて行く。
「なぁ、また幽霊話が出てるみたいだな。みんな好きだなぁ、つか、シーズンオフだってのに」
晃が、笑いながら言うと、歩きながら振り返った甲斐が、少しだけ眉間に皺を寄せて困ったように笑った。 それは、あまり見たコトのない甲斐の顔で、何かあったんだろうかと、晃は訝った。
そんな晃の思いを知ってか知らずか、甲斐は何も話さないまま歩き続け、正面玄関脇のフリースペースまで来ると振り返り、ようやく口を開いた。