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□資料室の怪談 3
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「ふぅん…で? 体調はもういいのか? なんか顔色悪ぃ気もするけど…」

「…そうか、な?」

 この週末は、金曜のあの夜から、ずっと甲斐の家に入り浸り状態のままで、とても自堕落な休日を二人で過ごしてしまったから、正直 週明けだというのに、疲れ気味だと言うのは否めないし、今朝などは甲斐の家から一旦自宅に戻り着替えだけを済ませて出勤するという3日越しの朝帰りだったのだから、寝不足やら何やらで多少 顔色も悪いかもしれない。
 甲斐は、スーツから何から全部貸してくれると言ったけど、身長差だってあるし、何より甲斐のスーツを着ているコトがバレたら、きっと二人の関係も何もかも露見して会社に行けなくなるだろう、と固辞すると、「そんなに簡単にバレたりしないですよ」と甲斐に笑われた。
 しかし、社会人経験の浅い甲斐にはまだ判らないかもしれないけれど、晃から言わせれば 女子社員達の観察眼の鋭さを侮るコトなかれ、なのだ。
彼女達には、1週間前の何曜日に誰がどんなスーツにネクタイだったかを思い出せる特殊能力が備わっている。
 つまり、晃が甲斐のスーツを着ていれば、あっという間にそれがバレ、休み明けの月曜にスーツの貸し借りをして出勤する二人 イコール できているという構図が組み立てられ、虚実もハッキリしないうちに噂が広まるのだ。
 しかも、晃と甲斐の場合は事実なだけに、噂が広まれば晃は嘘を吐き通せない。
 周りから好奇の目で見られながら、それでもこの会社に勤め続けるなんて到底できないと晃は思うのだけれど、甲斐はバレても構わないと言う。

『別に悪いコトをしてるわけじゃないし、マイノリティだから迫害されるなんて今時流行らないスよ。俺は先輩を愛してるって、堂々と言えるけどな』

 などと、恐ろしいコトを平気で言うものだから、晃の方が慌ててしまった。 もちろん、甲斐の気持ちはものすごく嬉しかったのだけれど。
 甲斐は元々ノンケだから、今までと違う恋愛に何かしらの正当性を必要として、そこに純愛を当てはめてしまったのではないかと、晃は思う。
 純愛ならば総てが許されるだろうし、障害があっても乗り越えようと強い意志を持って立ち向かえる。 だから、バレても構わないなどと平気で言える―――そこまで考えて、晃はフッと自嘲した。

(それは、何年か前の自分じゃないか。 甲斐は、そんなタイプじゃない。もっと確固たる自信、自分自身を肯定している者だけが持ちうる自信の元に甲斐は あぁ言ったんだ。 俺とは違う…)

 あまり思い出したくも無い昔のコトを思い出しそうになって、晃は慌てて頭を振り雑念を追い払うと、ホワイトボードの表面に大きく引き伸ばした資料を貼るために止まったままだった手を動かし始めた。
 その直後、後ろから話しかけられて、驚いた晃の手からマグネットクリップが転がり落ちた。

「お前、最近――っと…」

 床を転がるマグネットクリップを追いかけようとする晃より先に、遠藤がしゃがんで、それを拾った。
 いつの間にか物思いに耽っていた晃は、遠藤の存在を完全に失念していたのだ。
 張りかけの資料が剥がれないよう抑える晃の元へ近づいて来た遠藤は、晃の手に拾ったマグネットクリップを握らせながら言った。

「新社屋への移転準備で、うちやお前のトコは工場の移転も絡んでくるから、大変なのは判るけど、あんま無理すんな…」

「う、うん…」

 手渡されたマグネットクリップで、資料を止めようと遠藤に背を向けながら、晃は焦り出していた。
 毎回、会議室の準備は甲斐が手伝ってくれていたから、今日もそろそろ来る頃だと思う。
 誤解はされたくない。 晃はただ、遠藤が早く立ち去ってくれることだけを願う。
 その時、突然、うなじに熱い手の感触を覚え、晃は全身が粟立つような不快感に襲われた。
 それとほぼ同時に振り返り遠藤の手を払いのけると、ホワイトボードから資料が剥がれ落ち、マグネットクリップが再び床を転がって行く。

「や、めろよ…そういうの」

「何で?」

 その手を払いのけたままの格好で遠藤を睨みつけると、別段怒った様子も無く、問い返してくる。

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