「つき合わせちゃってごめんな?」
ブラブラと隣を歩くハルがポツンと零す。
食事会での元気はどこに行ったのかと聞きたくなるくらいハルは大人しくなっていて、その横顔はここへ来る前のセックス直後のどこかぼんやりしていた顔とオーバーラップする。
「別に…旨いもの食えたし、面白い話もいろいろ聞けたしな」
「ルキの興味のありそうな話なんてしたったっけ?」
「ハル先生は猫かぶりだった、とか?」
「なんだよ、猫かぶりって」
「だって七菜子さんたち言ってたじゃん、ハルが素を出すのは珍しいって。俺はまんま今のハルしか知らねえから気づかなかったけど、アンタあんなにエロいのに普段はどんな良い子ちゃん面してんの? あ、塾で授業してた時みたいな感じ?」
ハルにはいつも振り回されてるから軽い仕返しのつもりで、からかいながら自分の肩を少し下にあるハルの肩にぶつける。
きっと、「猫なんて被ってない」とかってムキになるんだろうと思ったのに――
「べ、別に素なんか出してないしっ」
「へ?」
返って来たのは予想外の返答と、ほっぺたを赤く染めたハルで、俺は考えていたのとは違うその反応にきょとんと目を丸くした。
直後にハルはハッとしたように顔の前で両手をブンブンと振りだした。
よく分からないけど、慌てるハルを見るのはちょっとおもしろい。
「ち、違うからっ、そうじゃなくて…正樹が……そう、正樹が勘違いしてるだけなんだって」
「勘違い?」
「正樹の言う長続きしなかった友人ってのは、全部セフレだった奴だから」
「……」
それは…まぁ続かなくても不思議はないか。ハルは見た目がタイプかどうかでセックスの相手を選ぶけど、それ以外にもノリでやっちゃったりもしてるみたいだから一回こっきりしか合わないヤツなんてゴロゴロいるに違いない。
そいつらと会ってるのを沼田に見られたとしても、その後一切の関係を断てば友人として長続きしないと勘違いされるのも頷ける。
それでもなにかフォローを入れておくべきだろうかと口を開いた。
「ハルならセフレとでも仲良しになれそうな気がするけどな」
「セックスだけの関係だよ、そっち以外で仲良くなるなんてないよ」
「いや、行きずりはさすがにそうだろうけど、何回か会ったヤツはそれなりに親しくもなるだろ?」
「まさかっ、
セフレに心まで開く必要あるの? 股だけで十分じゃない?」
「っ…」
プイッとそっぽを向いたハルに、逆に聞かれて言葉に詰まった。
答えられなかったからじゃない。
ハルの言い草にカチンときたからだ。
セフレに対するハルの見解は当然現在のセフレである俺自身にも当てはまるわけで、それはそのまま俺のコトを言われているような気がしたんだ。
元々はハルから誘ってきたくせに。
再会したのだって、ハルが俺を見つけたからだ。
おまけに、まったく無関係な三角関係に気づいてしまうくらい俺を巻き込んでおいて、そんな言い方はないだろう。
そっぽを向いたままのハルの横顔に言いようのないどす黒い感情がムクムクと沸き起こり、俺はつい口走ってしまった。
「で? セフレは股だけ開いて適当にあしらって、一番セックスしたい奴には心を開いて親友面かよ」
「ハ?」
不思議そうに俺へと振り返ったハルの薄い肩を掴んで、通りからは見えない物陰に押し込んだ。
「あんたって本当に最低だよな」
建物に挟まれた通り道にもならないような狭い路地の外壁に押し付けられたハルは、突然の俺の行動を咎めるみたいに声を上げた。
「なんの話? なに怒ってるんだよ」
「知らねえよ」
本当になんで自分がここまで怒っているのか分からなかった。
ハルがいろんな男と体だけの関係を持ってるコトなんて昔から知ってたし、そういうのが悪いだなんて思ってもいない。
だけど、ハルの体だけが目当てで、ハルがなにを思ってなにを考えているのかなんて気にしたコトもないだろうそいつらの中の一人に、俺自身もカウントされていると思ったら無性に腹が立ったんだ。
俺とハルだってセフレであるコトには変わりがないのに。
「離せよ…痛い」
グッと掴んだ肩をもぞつかせながらハルは下から俺を睨みつけた。
「痛いの好きだろ」
「なに言って――っ」
掴んでいた肩を離す代わりにハルの小さな顎を掴んでキスした。
驚いて半開きになっていた唇の隙間に舌を捻じ込んで強引にハルのそれを絡めとる。
「んっ、ンぅ…」
文句を言うみたいに呻いていたハルだったけど、唾液が鳴るくらい口内を舐めつくし舌を絡ませ合っているうちに、抵抗していた両手はだらりと下に落ち瞳はとろんと潤み始めた。
顎を掴んでいた手でシャツの上から胸を弄り、ツンと上向いた乳首を押しつぶすように捏ねる頃にはハルは完全に俺に身を任せていた。
エッチが好きで快感に弱い体は簡単に籠絡できてしまう。
でも――
「くそっ!」
ハルの体から飛び退くように離れた。
「ルキ…?」
薄っすら開いた瞼から、やや焦点の合わない瞳が咎めるように俺を見上げる。
それから逃げるようにハルに背を向けた俺は、無言のままその場から走り出した。
なにやってるんだ、俺。
俺に怒る権利なんてないのに。
初めての時から、俺はハルをユキの代わりに抱いてただけだ。
ハルもたまたま俺に目を付けただけで、お互いに納得して続けてた関係だった。
今だって、たまたま再会したからってだけで、あの日に会わなければハルにとっても俺にとってもお互いは過去の思い出ですらなかったかもしれない。
どう解釈しようとしたって、俺たちの関係は単なるセフレだ。
自覚はあったはずなのに……
「他の奴らと一緒くたにされたから怒るって…なんなんだよ、俺」
一頻り走り通しで上がった息に足を止めた俺は、舗道のガードパイプに腰を下ろして大きなため息を吐いた。
走っているうちに冷静になったのか、自分の思考と行動があまりにも子供じみてて急に恥ずかしくなってきた。最初から全部割り切って始めた関係だったのに、いつの間にか俺はハルの友達になったつもりでもいたんだろうか。
「ちょっと親しくなったからって、親友面はどっちだよ」
けっきょく俺は、二人の関係が単なるセフレを越えたものだと勘違いしていた自分の思い込みを、真っ向から指摘されたようで悔しかっただけだ。
そんな俺とは違って、割り切った関係を理性的に続けられるハルに逆ギレしたなんてカッコ悪すぎる。今さらながら自分が如何に子供で、見た目に反していてもハルは年相応の大人だったんだと痛感した。
みっともない。
勝手な思い込みで、ハルに八つ当たりまでしてしまった。
「…謝りに行くか……」
たぶんハルは、俺がなにを怒っていたのか本当に分かっていなかったんだろう。
余計なコトは言わなくてもいいから、ちょっと虫の居所が悪かったんだってくらいで謝れば、ハルは許してくれると思う。
俺たちは割り切った関係のセフレなんだ。
俺にとってハルはユキの代わりで、ハルにとっての俺は沼田の代わりだ。
それでいい。
俺たちは、互いにとって特別なんかじゃなくて、ただ都合の良いセフレなんだから。
来た道を歩いて戻ったけど別れた場所にハルの姿はなかった。
家に帰ったんだろうとハルのマンションへ足を向けてみたら、思った通り部屋の電気が点いている。
「帰ったんじゃなかったの?」
若干トゲのある声ではあったものの、俺の訪問にハルは玄関ドアを開けてくれた。
「ごめん…」
「謝って済む問題じゃないよね?」
意外にもキツめの返しに、下げた頭を上げられなかった。
でも――
「煽るだけ煽っておいて置いてけぼりってナニ? 通りから見えちゃいそうな場所で青姦って、ちょっと期待したのに」
「…………」
怒ってる理由、そっちなのか?
ハルは、俺が思っている以上にハルだったようで、俺は一気に脱力した。
クスッと笑ったハルが、俺の頭をポスポスと叩く。
「…なんてね、本当はちょっと反省してたんだ」
「反省? あんたが反省しなきゃならないコトなんてないだろ? 悪いのは俺だし…その、ちょっと虫の居所が――」
「悪いのは俺だよ、ルキじゃない。あんな言い方したら、ルキとの関係も全否定してるって思われて当然だったよね、ごめん。でも信じてもらえるか分からないけど、ルキは他の…今までのヤリ目のセフレ達とは違うから、それだけは本当だよ」
どうやら俺がなにを怒って拗ねていたのか、ハルには全部バレていたらしい。
「お見通しかよ、カッコ悪ぃな俺。だけどさ、俺もちょっと勘違いしてた。ハルの中で俺と他の奴らが違ってたとしてもセフレはセフレだろ? なのに自分だけは特別、なんて思い上がってたからつい腹立てちまって…ごめん」
「なんで? ルキは特別だよ。ルキは世界中で一番俺を理解してくれる人だと思ったから、あの時に声を掛けたんだし、ルキのおかげで今日まで俺は一人じゃないって思って来られたからね」
「……え?」
ちょっと待て、なにか変だ。
ハルの言っているはっきり言葉にしないでも伝わってくるニュアンスと、今日まで俺が考えていたそれ≠ヘ同じもののはずなのに、ハルの物言いになにかが引っかかる。
ハルが俺を特別≠セと言う理由はなんだ?
境遇が近いから、だろ? 俺もハルも、好きな相手に好きだと伝えられない。
ハルは沼田のコトが好きで、親友だからこそ告白できずにいる。一方の沼田は七菜子さんのコトが好きで、だからハルは自分の気持ちを抑えてでも二人で幸せになって欲しいと願っているんだと――でも
なにかが違う。
ハルは伏せていた目を上げて、まっすぐ俺を見ていた。吸い込まれそうなほど大きな瞳に見つめられながら俺は頭の中に浮かんだ疑問をぐるぐると巡らせた。
俺が世界中で一番ハルを理解できるって?
あの時って、中学の頃の塾の帰り道にハルが俺を誘ったあの時のコトか?
他のセフレと違ってハルが俺を特別だと言い、関係を続けたかった本当の理由は……
それって、それって――
「ハル…俺、ずっとあんたは沼タヌキのコトが好きなんだと思ってたけど……違う、のか?」
「正樹? 正樹のコトは好きだよ。こんなにタイプが違うのにずっと仲良くしてくれた大切な友人だからね。でも…もし、ルキが言ってるのがそういう意味なら、違うよ」
「…………」
そうか、そういうコトだったのか。
ようやく気づいた真実は、頭をガンっと殴られたような衝撃を俺に齎した。
中学の頃は、俺の性指向を見抜いたハルが面白半分に声を掛けてきたんだとばかり思ってた。再会した時も、会った早々で誘ってきたのは単なる懐かしさくらいだと。
でも違った。
ハルには、あの頃も今も俺が必要だったんだ。
俺がハルを必要としたのと同じ理由で。
そう近い≠フではなく
同じ境遇の俺たちなら、お互いを理解し合えるはずだから――
「やっと分かった。あんたが好きだったのは……」