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□『 Memory in spring  〜 TURNING POINT番外編 〜』
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 あ〜、それにしても寒いな。
 日差しはないこともないけど、拭きっ晒しの屋上に居たんじゃあんまり太陽の恩恵も感じられない。
 無意識のまま手摺を掴んでいた手を離し、両腕を擦っていたらしい。
「寒いのか?」
 先輩が手摺に凭れたまま、俺の方を向いて聞いてきた。
「へ? あ、あぁ…そっすね」
「寒いのに、なんで奏多はコート着てないわけ?」
 そう。実は俺、コート無しの制服姿だったりする。
「今朝、遅刻寸前で…コート忘れてきたんすよ」
「真冬にコート忘れてくる奴なんて俺、初めて見たわ」
 う、確かに。俺だってそう思うから反論できない。
「しょうがねぇな、貸してやるよ」
 言うなり、先輩が着ていたコートを脱ぎだしたから慌てた。
「や、それはダメっすよ、先輩が寒いじゃないっすか。卒業式前なのに風邪とかインフルとかヤバいし――」
「奏多ほどひ弱じゃねえから大丈夫だ」
「俺もひ弱じゃないっすよ」
 多少、成長不良気味ではあるものの至って健康体だし、俺は別に卒業式に出席できなくてもそんな問題じゃないし、先輩の有り難くはあるものの恐れ多い申し出を必死に断る。
 俺の頑ななまでの固辞に諦めたのか、先輩は少し考える素振りを見せてからコートを脱ぐのをやめた。
 そうして前を開いたまま、何を思ったのか俺の後ろに回り込んで――
「はひゃっ!?」
 いきなり背中に先輩の体がピッタリとくっついて、両腕が俺の腹の辺りに回された。
「え、え…先輩?」
「これだったら、二人とも暖かいだろ」
 うん、確かに暖かい。暖かいけど、男二人でこれってなんか変じゃないか?
 突然の先輩の奇行ともとれる行動に焦った俺が身じろぐと両手はあっさりと離れ、代りに柵の手摺りを掴んだ。
 先輩の両腕の間に挟まれる形で、俺が身動きできないことには変わりはないけど、さっきよりは密着度が減った気がする。
「おまえがコート忘れたりするから…苦肉の策だ。我慢しろよ」
「我慢なんて……めっちゃ暖かい、です」
 俺より10センチ以上背の高い先輩が盾になってるせいで、寒風から完全に遮られた俺は相当暖かい。
「なら、いいよな。俺も暖かいし」
「……」
 なんだか変な空気の中、試合は淡々と進んでいく。
 両チームとも三者凡退やヒットも出ないまま、最終回の表、三年生チームの攻撃だ。
 ツーアウト二塁だから、ここでヒットがでれば追加得点されかねない。なんとかあと一人を打ち取って、最後の攻撃で2点を返したいところだよな。
 三年生チーム優勢のままだけど、グラウンドはそれなりに盛り上がってるみたいだ。
 先輩の存在を背中に感じながら試合の動向を見守っていると、バッターがツーストライクからの三球目を大きく打ち上げた。
 一瞬、ホームランかとヒヤリとしたけど、打球は綺麗な弧を描きながらレフトのグローブに吸い込まれるように収まった。
「危ねえ〜。点差広がるかと思った――え?」
 ふと後頭部にくすぐったさを感じて振り返る。
「……」
 今、なんか頭に触ったような気がしたんだけど、先輩はまったく素知らぬ顔だ。俺の気のせいかな? 風も吹いてるし、そっちか?
「なんだよ?」
 振り返った俺に、先輩は片方の眉を眇めて聞いてきた。
「いや…気のせいでした」
 そう答えると、先輩は何故だか苦笑した。
「なぁ、奏多――」
「はい」
「おまえはさ…ずっと、そのままでいろよ」
 どういう意味だろう。突然の言葉に首を捻りながらも俺は思ったことをそのまま返していた。
「よく分からないっすけど、身長はこのままじゃ困るかな」
 途端に先輩は大笑いし始めた。
「俺の心配なんていらないようだな」
「?」
 笑い続ける先輩を不思議な思いで見上げていると、こつんとおでこを小突かれた。
「ほら、アイツの打順じゃないのか?」
「えっ、あぁ…」
 言われるままに見下ろしたグラウンド。9回裏、在校生チームの最後の攻撃は孝輔からだった。
 今度は右打席に立った孝輔は、何かを確認するように数度バットをスイングさせる。そうしてゆっくりバットを構えた。
 ピッチャーが振りかぶって投げた初球は見送りのストライク。
 勝利を目前にした三年生チームから、野次にも似た歓声が上がった。
 続く二球目も同じく見送った孝輔だったが、投球が僅かにずれてボールの判定。
 遠目から見ても分かるくらい大きく息を整えた孝輔が構え直し、対するピッチャーが投げた三球目。次の瞬間――
 孝輔のフルスイング直後に、カキーン!と高い金属音を響かせて打球がグングン延びて行く。誰もが息を飲んで見守る中、球は放物線を描いてホームランラインを越えた。
「やった!孝輔、すげえっ――」
 見事なまでのホームランに興奮して思わずその場で飛び跳ねた。直後――
「ぅぐっ!」
「痛ぇっ!」
 俺は、真後ろにいた先輩のアゴにかなりの勢いで頭突きしていた。
「うあっ、すみません、大丈夫っすか?」
「おまえね…ダチの活躍で喜ぶのは分かるけど、興奮しすぎだろ、子供か。しかも石頭だし…痛てて」
 まぁ、石頭は石頭かもしれない。俺、そんなに痛くなかったし。
 でもそうなると申し訳なさは余計と募るもので…
 拳を突き上げてダイヤモンドを回る孝輔の姿をチラ見しながら、俺はもう一度先輩に謝った。
「ホントにおまえは……」
 ぽすんと、下げた頭に先輩の手が乗った。
「楽しかったな、一年だけだったけど」
「え…」
 先輩は笑っていた。
 笑っていたけど、その声が妙にしんみり聞こえてしまって、俺は先輩を上目づかいで見上げたまま言葉が出なかった。
 でも見下ろしてくる先輩はいつもと同じ笑顔で、俺はそのことにホッとする。
「高校は一年だけだったけど、これからも遊びに連れてってくださいよ。木下たちとも――」
「そうしたいけど…ごめん、無理だな」
「え、なんで?」
「俺、県外の大学に行くんだわ」
 その言葉に俺は驚いて顔を上げた。
「内部進学じゃなかったんですか!?」
 そう聞いていた。だから、これからも一緒に遊べるものだと俺は思い込んでいた。
「うん、最初はそのつもりだったんだけどな。なんつうか、ずっとこのままでいたいけど、このままじゃいけないって思ったから――」
「?」
 先輩が何を言いたいのかは分からなかったけど、進路の変更をこんな卒業間際まで教えてもらえなかったことが淋しくて、また言葉を失う。
 内部進学とは言え受験前だからと前ほど一緒に遊ぶことはなくなったけど、それでも遠く離れてしまうとは思っていなかった。
 初めてできた兄のような存在だった先輩とは、これからもずっとつき合っていけるものだとばかり思い込んでいただけに、俺のショックは大きかった。
「そんな顔、してくれるんだな」
「あ、当たり前じゃないすか。だって、先輩は俺にとって憧れで、すっごく大切な、兄貴みたいなもので……俺、もっと…ずっと一緒に――」
 思いもしなかった突然の別れにいろんな感情が綯い交ぜになって込み上げてきて、目頭と胸が同時に熱くなってきた俺は、うまく言葉も続けられずに俯いた。
 ずっと頭の上に乗せられたままだった先輩の手に、優しい仕草で撫でられる。
「ありがとな、奏多……ったく、共学だったのになんでこんな気持ちになったんだかな」
 グズグズと鼻を啜り上げたせいで先輩の呟くような声が聞き取れず、みっともなく涙の浮かんだ顔で先輩を見つめる。
「先輩、…なんて?」
「なんでもねえよ。ほら、試合終わったみたいだぞ。一点差で三年生チームの勝ちだ」
「え、嘘…」
 いつの間に?
 涙を滲ませ、鼻の頭を赤くした顔で振り返り見たグラウンドでは、両チームの選手が握手を交わしているところだった。
「せっかくのアイツのソロホームランも無駄だったな」
 ニヤリと笑って見せた先輩に、俺もつられて笑った。半泣きのそれはみっともない笑顔に違いなかっただろうけど。
「元気でな、奏多。もうガキじゃねんだから、そんな顔して泣くなよ」
「泣いてないっすよ、これは寒さのせいです」
 無理過ぎる言い訳に、先輩が笑う。
「俺、奏多のそういうとこ好きだったよ」
「俺も、先輩大好きです」
「…そっか、ありがとな。元気で残りの高校生活、エンジョイしろよ」
 先輩は俺の頭をわしわしと撫で繰り回すと「ほら」と肩を軽く押した。
「アイツんとこ、行くんじゃねえの?」
「あ……先輩、は?」
「俺は…もう少しここで別れを惜しんでいく、かな。この学校と……」
 そう言って先輩は振り返り、また手摺に凭れるようにしてグラウンドを見下ろした。俺にはまだ分からないけど、きっと学校を卒業して行く者だけが持つ感傷のような思いに浸りたいのかもしれない。
 これ以上、一緒にいるのは返って邪魔になるような気がした。
「先輩、こっちに戻ってきた時は絶対に連絡くださいね」
 最後にそう声を掛けると、先輩は振り向かないまま手だけを上げてヒラヒラと振って見せる。俺は、先輩らしいその姿にひっそりと笑うと屋上を後にした。


 
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