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また雨だ。
着替えもせずソファで眠ってしまった拓が目を覚ますと、カーテンを開けるまでもなく降りしきる雨の音が耳に届いた。
前日から続く雨は一度も止むことなく降り続いている。
起き上がり、ケータイを確認したが着信はおろかメールさえ来ていない。
連日の睡眠不足のせいで、すっかり寝入っていたらしく時計は昼近くを指していた。
香月の誕生日に合わせて、今日は有給を取ってある。
ノロノロと起き上がり、シャワーを浴びて身支度を整えると拓は重い足取りで雨の中を出かけて行く。
甘いものが苦手な香月がバースデーケーキなど欲しがらないコトは分かっている。
でも近所にあるパティスリーのフォンダンショコラだけは香月が好んで食べるから、誕生日はそれを用意しようと決めていた。
ビターチョコレートにクローブやシナモンなど数種類のスパイスを効かせた甘さ控えめなフォンダンショコラと、自分用に小ぶりの苺が3つのったショートケーキを買う。
レジで会計をしてもらっている時、頭のどこかで「こんなもの用意したって香月は帰って来ないかもしれないのに」と、もう一人の自分の声が聞こえたような気がしたが、それを無視して雨の中とぼとぼとマンションに向かう。
途中、マンションの駐車場の脇に佇んで、停まる車の無い空間を眺めていたが雨足が強くなってきたために拓は一つため息をついて部屋へ戻った。
静まり返った部屋の中にも叩きつけるような雨音だけは忍び入ってくる。
台風でも来ているのかと思うような強い雨に洗われる窓ガラスを見つめながら、事務的な動作でケーキの入った箱をローテーブルに降ろす。
しばらくの間、何の感慨もなく雨の降る様に視線を向けていたが、ふと思い出したように部屋の隅に置き放しになっていたショルダーバッグから小さな包みを取り出した。
黒い包装紙で包まれた小箱にはシルバーのシフォン地のリボンが掛けられている。
それをケーキの箱と並べて置いた。
「裕人、ちゃんと食ってんのかな…」
テーブルの上で重ねた腕に顔を伏せ、ため息を吐きながら呟く。
こんな風にすれ違ったまま香月の誕生日を迎えなければ、友人に教えてもらったレストランに食事に誘うつもりだった。
でも実際は香月とのいざこざのせいで、予約を入れるコトすら忘れてしまっていた。
それでも今日この日に肝心の香月がいないのだから、予約なんてしなくて返って良かったのかもれしないと自嘲う。
何か用意しようかとも思うが、元々 料理が得意ではない拓はこんな時に何を作ったらいいのか検討もつかない。
料理の腕前は香月の方が断然上だ。
一人暮らしが長い割にはあまり自炊をしなかった拓とは違い、香月は親から放任されていた子供時代から自炊をしていたらしい。
シェフをしている従弟叔父のシュウに手ほどきを受けていたせいもあってか、その腕前は素人目からすればなかなかのものだった。
二人で暮らすようになってからは家事は当番制にしているが、仕事で拓が遅くなったりした時など当番でもない香月が夕飯の支度をしていてくれるコトは珍しくなかった。
大学に通いながら稼業見習いのバイトを続ける香月は、同年代の学生に比べたら遥かに忙しい毎日を送っているはずなのに、拓の何倍も生活のために時間を割いている。
拓の方が僅かだが通勤距離が長いからとか、電車通勤だからとか、些細な理由をもっともらしく並べては雑事を引き受けてくれる香月に申し訳なさを感じながらも甘えてしまっているのが現状だ。