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□『 呼び桜 』
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  『 呼び桜 』

 出掛けに降っていた雨は、授業を受けている間に止んでいた。
 俺は携帯の通話を切ると小さく舌打ちをして、塾の玄関先でぼんやりと暗い夜空を眺める澄桜(すおう)の元に駆け寄った。
「ごめん、澄桜。 母ちゃん、職場から呼び出しあって来られなくなったって」
 俺の声に気づいた澄桜は緩慢な動作で振り返り、口許だけを引き上げて笑い「いいよ、歩いて帰ろう」と言った。
 幼馴染の澄桜と俺が、隣町の進学塾に通い出したのは中二に進級してすぐだったから、そろそろ一年になる。陽の長い夏の間は二人一緒に自転車で通ったりもしたけど、それ以外は俺の母親と澄桜の母親が交代で行き帰りの送迎をしてくれていた。
「智広(ちひろ)のお母さん、仕事で忙しいのにいつも俺まで送り迎えしてもらっちゃって、ごめんな」
「何言ってんだ。 気にするような事じゃねぇじゃん」
 澄桜は口許に笑みを浮かべたまま視線を落とす。もうずいぶん長い事、澄桜の母親が塾の送迎をする事はなかった。
 澄桜と俺の家はわりと近所で、親同士も知り合いだから付き合いは長い。
「うちの親があんなだから、智広んちには迷惑ばっか掛けてるよな」
 俯いたままの澄桜が申し訳なさそうに呟いた。
「そんな事ない」
 澄桜の声があまりにも悲しげで、ついムキになって否定したけど、それが返って知っています≠ニ告げているのと同じだと気づいたのは、言い終った直後だった。
 そう、俺は知ってる。澄桜の両親がもうずっと前から不仲で、今は離婚調停中だって事。
 うちの親は何も言わないけど、中学生ともなると口さがない連中もいて「澄桜の両親はそれぞれに恋人がいて、澄桜をほったらかして出歩いている」という噂がそこかしこでされていた。
 でも澄桜は俺にとって親友だし、澄桜の両親だって俺からしたら優しい小父さんと小母さんで、正直そんな噂はどうでもよかった。
 ただ、ここしばらく澄桜の元気が無いようで、俺からしたらそっちの方がよほど心配で大きな問題だった。悩んでいるなら話してくれてもいいのにと思うけど、元々澄桜は口数が少ないし他人に心配かけたくないと考えるタイプだから、例え俺が聞いたって「何でもないよ」って笑うんだろう。
 だから俺は敢えて澄桜の心配をしていないフリをする。その代わり、いつも傍に居て澄桜を笑わせようとした。 澄桜が笑っていれば俺も安心できるから。
 ずっとそう思っていた。なのに…。
 中二の三学期に入った頃から、澄桜は目に見えて笑わなくなった。以前は俺の下らないバカ話に腹を抱えて笑っていたのに、今は話をろくに聞いてもいない時がある。
「もうすぐ4月だってのに、夜は寒いよな」
「うん…」
 俺はチラリと横を歩く澄桜を見た。小学生の頃は大差無かった身長は、今では15p近くの差をつけられ澄桜の視線は少し上にある。
 それでもその横顔は子供の頃と変わらず、作り物の人形のように整っていて、長い睫毛が頬に影を落としていた。母親譲りの女顔がコンプレックスなんだと澄桜はよく言っていた。実際、小さな頃はいつも女の子に間違われていた。肌が透き通っているみたいに白くて、今は冷たい雨上がりの空気のせいか頬が化粧でもしているみたいにほんのり紅い。
 それでも今はもう女の子には見えない。綺麗な顔をしているけど、急に伸びた身長もそうだし、長い手足は筋張っていてどこから見ても普通に男だ。
「何ジロジロ見てるんだよ」
 
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