美術準備室にあった拓の私物は、ノートパソコンと僅かな文房具と、何種類かのコーヒーや紅茶の缶とそれに付随するフレーバーの類で、全部合わせても大きめの紙袋二つで事足りてしまった。
職員室など もっと少なく、ほとんど何も置いてないのと変わらないくらいだった。
紙袋を机の上に置くと、拓は美術準備室の中を見回した。
この学校に勤務した2年弱の けして短くは無い時間のほとんどを、この部屋で過ごした。
それなのに たった紙袋二つの私物を持ち去ってしまえば、もうそれで拓がここに居た痕跡は消えてしまう。
いろんなコトのあった2年だった。
教師としての挫折も味わったし、給料分だけ働くサラリーマン教師に準じた期間も短くは無い。
何より、香月と過ごした最後の5か月間は、それまでの日々の記憶を朧げにしてしまいそうなくらい密度が濃かったように思う。
突然、香月との日々が鮮明に思い起こされて拓は慌てた。
こんな所で感傷に浸っている場合ではない。 拓には、まだやらないといけないコトがあるのだから。
机の一番上の鍵付の引き出しを開けて、拓は少し前に用意しておいた辞表を中から取り出した。
これで、拓の私物は全部だ。
紙袋の持ち手に手を掛けると、もう一度だけ部屋をぐるりと見渡した。
もう、感傷的な想いは湧いてこなかった。
拓は切り替えた気持ちを後押しするように、小さく息を吐いて紙袋を持ち上げる。 それと同時に、突然 準備室のドアが乱暴に開かれ、飛び込んで来た人影に拓は目を見張った。
「香月?」
「拓っ!」
駆け寄る香月に驚いて、手にした紙袋を机の下に押し込んだ。
「拓、シュウさんから、聞いて、っ俺――」
一体どこから走って来たのか、香月はぜいぜいと聞いている方が苦しくなりそうなほど上がり切った呼吸に、言葉を詰まらせた。
「大丈夫か?」
慌てて背中を擦ると、そのまま抱き寄せられた。
「アイツ、学校行ったって…シュウさんがっ、拓に関係してるらし、って…」
どうやら父親が学校へ来たことを知ったらしい。
何から どう説明するべきなのかを模索する拓の体を、香月が力任せに抱きしめた。