「シュウさん、後は俺一人で大丈夫だから」
シュウさんは一言わかった≠ニ、奥に向かって返事をすると、再び拓の方に向き直り言った。
「裕人の奴、ずいぶん頑張ってましたよ。 まぁ、付き合わされる先生も大変でしょうが、今回は裕人の努力に免じて、相手をしてやって下さい」
そう言って、拓に向かってもう一度頭を下げると厨房にいるらしい香月に向かってじゃあ、上にいるから帰る時に声掛けろ≠ニ言い残し、シュウさんはSTAFF≠ニ書かれたドアの向こうに消えて行った。
もう何が何だか よくわからなくなってきた拓は、どうするコトもできず、その場に立ち尽くすコトしかできない。
しばらくすると、香月がティーカップを乗せたトレイを手に戻って来た。
「なんで立ってんだよ? 今日は、拓ちゃんと俺の貸し切りだから。 ほら、そこ座って」
香月があごで示すから、拓は一番近くの丸テーブルの椅子を引いて 言われるままに腰を下ろす。
それを確認した香月はテーブルの端にトレイを置き、妙にかしこまって拓の前にティーカップを置いた。
「これを拓ちゃんに飲ませたかったんだ」
香月の言葉に、このために自分はここに連れて来られたのだと知った拓は、目の前のカップに視線を落とした。
イタリアンレストランだけあって、カップはジノリのべッキオホワイトだった。
学生の頃、拓と同じ学部で仲の良かった女の子が陶磁器好きで、よく薀蓄を聞かされていたから、有名なブランドの物なら判るようになった。
これは確かジノリの一番古いシリーズだったんじゃなかったか、とカップを見ながら考えていると
「冷めないうちに飲んでよ」
と、急かされた。
「じゃあ、いただきます…」
向かいの席に座った香月が にこやかに見守るなか、拓はカップを手に取った。
途端に ふわりとシナモンとリンゴの香りが鼻腔をくすぐった。
「これ…」
カップを持ったまま視線だけを香月に向けると、目が合いニコリと微笑まれた。