「恋なんて…相手を信じられなくなったら、お終いだろ」
一向に離れようとしない達哉の手を取り、押し戻す。
これが最後かと思ったら、その手を握りしめたい衝動に駆られた。
「もう、会う事もないから――」
少しでも長く達哉を感じていたくて、握りしめられるはずもないその手から俺の指が離れる瞬間まで指先に意識を集中した。
「だから、達哉は普通の幸せを大切にしなよ」
離れてしまったら、もう二度と触れられない。そんな思いが俺の動きを鈍くする。でも…
互いの指の最後の一本のその先が離れる、と思った時だった。
俺の体は強い力に巻き込まれるように、再び達哉に包み込まれていた。
「ごめん。ごめんな、理、俺が弱いばっかりに。こんな事言ったらもっと嫌われるかもしれないけど、俺は本当に理が好きだよ。好きで、好きで、もっと早くに理に出会えてたならって何度も思った」
泣きだすのを堪えるみたいな達哉の声を聞いたその瞬間、祈りにも似た思いが溢れる。
――このまま、時間が止まればいいのに――
そんな作り物の世界でしか聞いた事のないセリフを、俺は心の底から真剣に願ってしまった。
この瞬間だけを生きて行く事ができたなら、それはどれほど幸せな事だろう。
「この先、俺の事なんて思い出してもらえないかもしれないけど、でも忘れないで欲しい。俺が本当に理を好きだって事…それだけは、信じてほしい」
微かに震える達哉の体を感じながら、俺は止まる事のない時間を憎んだ。
誰が悪いわけでもない。
達哉も俺も、達哉の奥さんだって、みんな誰かを愛しただけの事なのに。
震えだしそうな呼吸を飲み込んで、力いっぱい達哉を押し返しその手を振り払った。
「バイバイ、達哉…」
元気で、なんて言えやしない。
そのまま達哉の横を通り過ぎる。
これでお終い。もう二度と達哉に会う事もない。
溢れ出す感情が目尻を濡らす前にここから離れなければ、とそんな事ばかりが頭を過った。
振り返ったりなんかしない、そう思っていたのに…
「さとるっ!」
追いかけてきた叫びのような振り絞った声に名前を呼ばれて、足を止めてしまった。
駄目だと思いながらも、ソッと振り返った俺の目に桜色に染まる景色の中で、ジャージ姿に裸足のまま佇む達哉が写った。
「達哉…」
その姿が愛しくて、切なくて、想いに顔が歪みそうになる。
俺は達哉を振り切るように踵を返すと歩き出し、泣きながら微笑った。
ありがとう。
追いかけて来てくれて。
ありがとう。
最後に、俺を好きだと全身で伝えてくれて。
桜吹雪の中に佇む達哉は、およそカッコいい姿なんかじゃなかったけど、俺は一生忘れない。
どうか、どうか幸せに。
伝えられない想いを胸に、俺は歩いた。二度と振り返る事なく、ただ歩き続けた。
満開の桜舞う道の中、前だけを向いて……
END 2015.04.02