予想だにしなかった安川の訪問に 飛び上がるほどに驚いた二人は右往左往しながらも、拓は香月の咥えていたタバコとライターを取り上げ、香月はキャビネット前に広げられたイーゼルの椅子に飛び付くようにして腰かけた。
総てが一瞬で、拓が手にしていたタバコを咥えるのと同時に安川が入って来た時、二人は初めからその位置にいたような顔で安川を迎え入れた。 ほんの少し、引きつる口許以外おかしな所はなかっただろう。
「あ、いた いた――あれ? 西岡先生は煙草を吸うの?」
部屋に入ると真っ直ぐ拓の許へ歩いて来た安川は、開口一番 そう聞いて来た。
「え、まぁ 最近 吸い始めたんです」
そう答えた拓から視線を移した安川は、イーゼルの前に座る香月に気づいた。
「香月君、また ここに来てたの?」
安川は生徒全員を君付けで呼ぶ。
普通なら、舐められてしまいそうで敬遠する教師のが多いのだけれど、安川は慕われこそすれ、生徒から嫌われるコトがあまり無い教師だから、何の問題も無いらしい。
お父さん的風貌と物分りの良さに加え、物腰が柔らかいため生徒の気勢が削がれるようなのだが、何だか言葉づかいが どことなくオネエ言葉を思い起こさせるものだから、初対面の人のほとんどは そっち系の人かと勘違いするらしい。 実は、拓も最初はそう疑っていたのだけれど、実際には、奥さんも成人した娘もいるのだと 他の教師から聞かされた。
「君はホントに西岡先生が好きだよねぇ」
安川にとっては何気ない一言だったんだろうが、拓は それを聞いて妙に狼狽えてしまい、狼狽を隠すために咥えていたタバコに火をつけようとした。
それに気づいた安川が、驚いた顔をして声を上げた。
「あ、西岡先生、そのままだと――」
「え?…うえぇっ」
突然、吐き気を誘うなんとも嫌なにおいが鼻をつき、タバコのそれとは違う 胸の悪くなるような煙が口の中に広がった。
「あぁ、だから止めたのに。フィルターに火を着けちゃダメですよぉ」
激しくむせる拓の背中を安川がさすってくれる。
どうやら拓は、タバコを逆に咥えていたらしい。
あまりの気持ち悪さに、涙まで滲んできた。 ふと目の端に、イーゼルの下から覗く香月の握りしめた両手が、ふるふると小刻みに震えているのが見えた。 笑っているのだ。