(先輩のためには、俺が身を引くべき……そうなんだろうか?)
もちろん、まだ先輩のお見合いが成立するかなんて分からない。
それどころか、本当にお見合いなのかどうかだって俺に知る術はないんだから。 でも…
「なんつーか、昭和の昼メロみたいだな。 今時、そんな子いるか?」
「昭和の昼メロなんて俺知らないっスよ」
「俺だって見たコトねぇよ。 でもまぁあなたのために!≠ンたいなベタな考え方の子だと身を引きそうな気もするな」
「でしょ? それになんか羽純さんって、そういう自己犠牲タイプの奥ゆかしい子とか好きそうな気ぃしません?」
「あ、それはなんか分かるな。 な、川瀬どうよ? 羽純の彼女ってそんなタイプだったりする? お前、隣に住んでるんだから羽純の彼女見たコトあるだろ?」
突然話を振られて驚いてしまう。
ぐるぐると思考が渦巻いていたせいで、二人の話なんてほとんど聞いていなかった。
確か、先輩の彼女がどうこう言っていたはずだからと、適当に返事をしてはぐらかす以外言えるコトは何もない。
「あ…の、俺はよく分らないです…」
俺の答えに二人はガッカリしたような素振りを見せる。
そんな二人を気にかける余裕もない俺は、それきり黙り込んだ。
浅いままの呼吸は脳に十分な酸素を供給してくれず、更に考えは上手くまとまらない。
それでも頭の中に張り付いた言葉だけが妙に鮮明に思考の表面に浮き上がったままだ。
(身を引くコトが…先輩のため…)
何もかも完全に俺のキャパを越えてしまっていて、俺は藤井さんと小林が立ち上がったコトにも気づかずにいた。
「おーい、川瀬聞いてるか?」
「え?」
藤井さんに肩を叩かれてハッとする。
「そろそろラインの点検終わる時間だから俺ら製造部に戻るけど、お前何か顔色悪いよ。 せっかくの連休なんだし適当に切り上げて帰ったら?」
藤井さんの言葉に曖昧に頷いた俺は、精一杯無理をして笑ってみせる。
それでも口許がどこか強張るのを自分でも感じた。
無理矢理作った笑顔で二人を見送り、資材課に一人きりになった途端、目頭が熱くなり鼻の奥がツンとした。
(ヤバイ…泣きそう…)
会社では無暗に泣くなと先輩に言われているのに、視界が歪むのが止められない。
まだ決まったわけじゃない。 心の中でそう呟いて、数か月前に同じ言葉を繰り返した夜を思い出した。
あの時も未確認の先輩の転勤話に先走って、一人で泣いた。
後になって誤解だと分かって笑い話になったのだから、今回だってそうなるかもしれない。
そう考えているのに、涙が止まらない。
だって俺は気づいてしまったから…
俺は先輩のためには存在価値が何も無い。 それどころか先輩の足を引っ張りかねない存在なんだと、そう気づいてしまったんだ。
今回の出張がお見合いの為だろうが無かろうが、それよりもずっと大きな問題に震える指で俺はケータイを操作する。
短縮の一番で呼び出せる先輩のケータイ番号にコールしかけて、すぐに切った。
こんな状態で俺は何を話そうと言うんだろう?
今は無理だ。
せめて涙が止まるまで。
ケータイを机の上に下ろし、誰もいない資材課の部屋の中で俺は声を殺して一人で泣いた。