Other Novel

□願い事
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*時間軸/高校二年生




 ―――ガチャ、と部屋のドアが開いて、誰かが入ってくる気配がした。

 学校が夏休みに入ってからというもの、夜遅くに寝る癖がついてしまった未夢は、まだはっきりとしない意識の中で「お母さんが起こしにきた」と思った。

 毎朝元気いっぱいで未夢を起こしに来るのは母親の未来で、父はあたたかい朝ご飯を作ってくれる。

 だが今日はいつも以上に眠い。何せ昨夜はホラーの特集番組がやっていて、ついつい最後まで観てしまったのだ。

 布団につく頃には既に時計の短針は1時を過ぎていた。


「起きろ、未夢。夏休みだからって寝過ぎ」

「……やぁ、もう少しだけ寝かせて、ママ」

「はあ? 誰がお前のママだ。まだ寝ぼけてんな……。未来さんなら今日から出張で、もうとっくに家出たぞ」

「ふえ……? あれ、彷徨?」

「……それ以外の誰に見えるんだよ。今日は寝起き悪いな」


 なんで彷徨がここに。

 なんて考えられるほど、まだはっきりと起きてはいない。

 とりあえず、ほぼ蹴飛ばしてしまっているかけ布団から出て、目をこしこしとこする。

 ぱちりと目を開けば、やはり目の前で呆れた顔をしているのは彷徨だ。


「おはよ……。なんでいるの?」

「未来さんが起こしてあげてくれって、朝出かけ際に頼まれた」

「そうなんだ」

「朝飯、俺もまだだから作るけど。一緒に食べるか」

「食べる」

「じゃあ着替えてから下りて来いよ、台所借りるから」


 言うなり部屋を出て行ってしまう彷徨の背中をぼーっと見つめてから、未夢はもぞもぞと着替え始めた。



 着替えを済ませて冷たい水で顔を洗うと、ようやく頭の中がクリアになった。

 お味噌汁の良い匂いに誘われるようにキッチンに足を運ぶ。

 光月家の台所では、彷徨が勝手知ったるといったようにテキパキと朝食を作っていた。

 娘の彼氏とはいえ、寝ている娘しかいない家に男をあっさりと入れてしまう母親は、なんというか、危機感がない。

 未夢も人のことをとやかく言えるような危機感を持っていないことは端に置いておく。

 ……いや、まあこれが初めてじゃないし。いまさらだけど。

 彷徨と未夢の交際は、すぐに、あっさりと親たちにバレてしまった。

 ぼやぼやしているように見えて、ちゃんと子どもことを見ているのだ。あの親たちは。

 何か言われるかという危惧は杞憂に終わり、2人は親公認のカップルになった。

 未夢の父は嫉妬やら寂しさやらに打ちひしがれていたが、未来と彷徨の父には大喜びされた。

『こんなに素晴らしいことはないわ! これでみんな一緒に仲良くいられるわね』

『良かったなあ、彷徨。未夢ちゃんのような可愛い彼女ができて。今日はお祝いだ! 赤飯だ!』

 あまりのはしゃぎように、彷徨と2人で親の暴走を止めるのは大変だったが、喜んでくれたことは素直に嬉しかった。

 それ以来、未来は彷徨を義理の息子同然に接するようになり、今まで以上に彷徨のことを信頼し思うようになった。

 なので、両親がいない日は彷徨が未夢の家に来ることはそう珍しいことではないのだ。

 ……だからって、人の家の台所を我が家のように使えてしまうのはどうかと思うけど。

 ………いや、今さら気にしても仕方ないか。


「彷徨、着替え終わったよ」

「ん、もう出来るぞ。皿出して」

「はーい」


 言われるがままに未夢はお茶碗やら箸やらを用意する。

 魚用のお皿を指定されて、どこにあるのかと探していた未夢に、「魚のは棚の右下奥」と言ってのけるものだから、未夢はガクリと肩を落とした。

 もはや未夢よりも彷徨の方が光月家の台所に詳しいとは、まったくここはどちらの家だかわからない。


「―――いただきます」


 テーブルに並べられた立派な朝食に、朝だというのに食欲がそそられる。

 ほかほかツヤツヤのお米、香ばしい匂いの焼き魚に、ワカメと油揚げのお味噌汁。そして白菜ときゅうりの浅漬け。

 主婦顔負けの献立だ。


「……美味しい」

「そりゃよかった」

「う〜、なんでこんなに美味しいご飯が作れるのよ」

「毎日やってるからだろ。お前も親父さんにやってもらってばかりじゃなくて、たまには作れよ」

「だって、私が作るよりパパが作った方が美味しいもん。私は美味しいのが食べたい」

「お前なあ……」


 呆れて何かを言おうとした彷徨は、しかし諦めたように言葉を飲み込んだ。

 どうせあとに続くのは小言なので、未夢は追求はせずに味噌汁をすすった。

 あたたかい味噌汁に身体がぽかぽかと温まる。夏だというのに、心地の良いあたたかさだ。

 ご飯も絶妙な炊き加減で箸が進む。

 未夢が炊くと、どうも毎回微妙な仕上がりになってしまう。前に一度彷徨に「どうしていつも美味しく炊けるのか」と聞いてみたが、「誰がやっても美味しくなるだろ」とあっさり返された。

 それは毎回水加減を失敗する自分への嫌みか、と殴りたくなった。

 ぱく、と浅漬けを口に含む。

 と、未夢はゆっくりと目を見開いて固まった。

 そんな未夢に気づいた彷徨が、自身も箸を止めて「しょっぱかったか?」と眉を顰める。

 違うの、と未夢は口元を緩めた。


「この塩加減、ワンニャーそっくりだなって」


 ああ、と彷徨が安心したように軽く息をついて、未夢と同じように口元を緩めた。


「ワンニャーのさ、美味かったから。参考にした」

「そっか」


 ―――今でもこうして、彷徨と会話をしていると、ルゥやワンニャーの名前が出てくる。

 懐かしい思い出話、だけど少しだって忘れたくない大切な、宝物のような記憶。

 最初は、2人の話をするたびルゥとワンニャーに会いたくなって苦しかった。

 だけど、痛みから逃げて、ルゥとワンニャーとの思い出を忘れることはしたくなかった。

 自分たちを「パパ、ママ」と慕ってくれた、小さな赤ん坊。

 懐かしくて温かくて、―――少しだけ胸が痛む。

 今ルゥはちゃんと、本当の両親に愛を注がれて、日々を過ごしているだろう。

 大きくなって、喋られるようになって、友だちもたくさん作って―――その頃には、未夢ことを忘れてしまうのだろうか。

 仕様がないことを考えてへこんでしまう。

 悲しい。


「未夢?」

「―――ね、彷徨」


 箸を持ったまま俯いてしまった未夢を怪訝に思った彷徨が、未夢の言葉を待つ。

 独り言のような感覚で、未夢は呟いた。


「子ども、欲しい」

「―――……は?」


 丸く見開かれた彷徨の双眸を見て、未夢は自分の発言に我に返った。


「えっ、や、違うの! 変な意味はぜんぜん……っ!」

「―――ああ、……わかるけど」


 心臓に悪い、と彷徨が重いため息をこぼした。

 ごめん、と未夢は赤い顔で謝った。

 高校二年生。今の発言は捉え方によっては「お誘い」に聞こえるだろう。

 まさか未夢がそんな意味合いで言うなどと彷徨も考えはしないだろうが、思春期真っ只中の少年が冷静に聞ける言葉ではない。


「ご、ごめんね。今、ルゥくんたちのこと考えてたから、つい」

「ああ、そういうことか」


 納得したように、動揺を落ち着かせた彷徨が力を抜く。

 わかるよ、といつもの平坦な声で彷徨が頷く。


「やっぱり、さ。親父がいない日の朝起きて、誰もいないとこの家こんなに広くて静かだったっけって思う。朝飯の匂いとか、ルゥが笑ったり泣いたりしてる声とか。ワンニャーとお前が騒いでなかったり。前だったら何も感じなかったのに、静かじゃない家を知ったあとだと物足りなく感じるときがある」

「私も、おんなじ」


 ふ、と顔を見合わせて笑う。


「……今は、無理だけど。いつか、作れたらいいなとは思う。家族、欲しいよな」

「―――うん、私も欲しい」


 まだ、大人にすらなっていない、成長途中の子どもが夢を見る。

 いつか来るであろう、来て欲しいあたたかな未来。

 きっと、ルゥとワンニャーがいたときのように、すごく幸せな未来。


「……ま、まだ気の早い話だ。まずは高校卒業しないとな」

「だね。私も勉強頑張らなくちゃ」


 気恥ずかしくなって、固い話に話題を逸らす彷徨に未夢も乗っかって頷く。

 白々しい話題の換え方にどことなく気まずくなる。

 ぎこちない空気のまま、朝ご飯食べ終えて片付けを終わらせる。

 どう話かけていいかわからず、お茶でも淹れて誤魔化そうかと考えた未夢の手を、不意に彷徨が掴んだ。


「彷徨?」

「今日、お前予定ある?」

「ないけど……」

「じゃ、どっか出掛けるか。せっかくの夏休みだし」

「―――行く!」


 食いつくように身を乗り出した未夢に、一瞬驚いた表情を見せた彷徨がとろけるような優しい笑みを見せた。

 そして、未夢の前髪をよけて額に軽く唇をおとす。


「……支度、早くしろよ」


 いつもの意地悪な顔で笑って、彷徨は自分も支度をしに光月家を出て行ってしまい、未夢は真っ赤になって唇が触れた額をおさえた。










FIN.



原作の彷徨×未夢。隣も隣じゃ劇的な生活の変化はなさそうかなーと。未来さんは彷徨が息子になること大喜びしそうだなぁと思いました(笑)熟年夫婦のようで初々しい2人かわいい!
 

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