shortstory

□愛しき人を想ふ
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【巧晶】愛しき人を想う

*時間軸/中3、夏休み/尾久崎家に滞在中




 ―――それは、優しくて懐かしいぬくもり。



「ねえねえ、晶くん」


 少し興奮気味に、押し入れに入り込んでいた巧海が駆け寄ってきた。


「何だよ、こっちはまだ片付け終わってねぇぞ」

「そうじゃないよ、これ!」

「はあ?」


 久しぶりに実家に帰ってきて早々、父親から命じられたのは家の荷物整理だった。

 お正月は挨拶まわりが忙しく、片付けがなかなかできなかったのだ。

 それにしたって何もこんな真夏にやらんでもと渋い顔をした晶だったが、共に尾久崎家へ連れてきた巧海はワクワクとした表情で「やろうよ、僕も手伝うから」と言ってきたのだ。

 どうやら忍者屋敷特有の抜け穴や秘密の部屋なんかも探してみたい好奇心から出た言葉だったらしい(そもそも尾久崎の屋敷はテレビで見るような作りではないのだが)。

 かくして、尾久崎家の荷物整理が始まったわけである。

 とりあえず巧海には晶の部屋にある押し入れの中味を出すように頼んだのだが。

 何をそんなに興奮しているのかと巧海が突き出してきた一枚の紙切れを見ると、それは少し古くなった写真だった。

 そこには女性が1人、見慣れた尾久崎家の庭で佇み微笑んでいた。

 見覚えのない写真だったが、何より驚いたのは女性の顔立ちだ。

 晶に瓜二つな顔が、こちらに向かって笑っているのだ。


「この女の人、もしかしなくても晶くんのお母さん?」

「たぶん……。まだ20代前半の頃じゃねえ?」

「すごい。晶くんそっくりだ」


 晶の母は病弱で、晶を産んで5年も経たぬうちにこの世を去った。

 アルバムを見て亡き母を想うなどということもなかった晶には、もう母の姿ははっきりと思い出すことができない。

 幼少の頃―――ゲンナイと出会い媛の運命を背負ったときから男として育てられてきた晶にとって、既に亡くなっていた母に想いを馳せる余裕はなかった。

 常に自分には乳母やお付きの者がいて、甘えたい盛りには厳しい修行の日々を送っていたのだ。母親を恋しいと思う隙がなかったのだから仕方ない。

 だが、戦が終わり女になることを許された今、こうして亡き母の写真を見ると胸の奥底で何がくすぶる。


「巧海、この写真どこにあった?」

「ちょっと待ってて」


 言うなり押し入れの方へ駆け出した巧海は、すぐに小さな箱を抱えて戻ってきた。


「押し入れの奥の方にね、綺麗な箱があるなぁって思って。開ける前に晶くんに訊こうと思ったら、この写真だけはみ出ちゃってたんだ。そしたら晶くんそっくりな人が写ってるんだもん、驚いたよ」

「俺も驚いた。こんなのがあったなんて知らなかったし。―――俺、母親似だったんだな」


 声も、口調も、仕草も、何も思い出せない。

 そう思うと、少しだけ感傷的になる自分がいた。

 和紙で飾られた木箱の中には、昔の写真がびっしりと詰められていて、晶は引かれるように手を伸ばした。

 写っているのはほとんどが若き日の母親ばかりで、たまに風景が写された写真があるだけだ。


「あ」

「どうしたの?」

「これ伊織じゃねえか?」

「どれ? ……ああ、本当だ。高校生くらいかな。伊織さん、あんまり変わってないね」


 伊織と写っているのはやはり晶そっくりな母親で、楽しそうに笑って伊織をカメラの前まで引っ張っている。


「これ、誰が撮ったんだろうね」

「さあ……。………ん?」

「次は何見つけたの?」

「え、いやぁ……やっぱり別人か?」

「?」


 ひょいっと晶の横から顔を覗かせた巧海が、驚いた声をあげた。


「この人、晶くんのお父さんじゃない?」

「……やっぱりそう見えるか?」


 庭を背景に、今よりずっと皺の少ない父親の姿が写っていた。

 何より驚いたのは、いつも難しい顔をしている父親が優しい表情で微笑んでいることだ。

 微笑んでいるとは言っても、口の端を僅かに上げているだけで、よく見ないとただの仏頂面だ。

 それでも、普段から眉間に皺を寄せている厳格な父親しか見たことのない晶には、その表情が笑っているのだとすぐにわかった。


「晶様、巧海様、どうされたんですか?」

「伊織。ちょうど良かった、ちょっと来てくれ」


 部屋の前を通りかかった伊織を手招きする。

 不思議そうな顔でこちらに寄る伊織に、写真を見せて詰め寄る。


「これ、撮ったの誰だ? こんな顔した父上なんか見たことねぇぞ」

「―――これはまた、懐かしいものを発掘なされましたね」


 驚きを見せたのも束の間、伊織は懐かしそうに目を細めた。


「撮影なされたのは晶様のお母様ですよ」

「母上が?」

「ええ。それはもう、周囲が憧れるほどのおしどり夫婦でしたから。ご当主様も、奥様の前では1人の男性でした」

「ふーん……」


 あの父親がこんな顔を見せるなど、いまいちピンとこない。

 ただのそっくりさんでした、というオチの方が納得できるくらいだ。


「それにしても、晶様は奥様に本当に似ていらっしゃる。こうして写真を見ると生き写しのようだ」

「僕も最初、晶くんかと思いました」


 懐かしむように写真に魅入る伊織に、晶は少し迷ってから口を開いた。


「あのさ……、母上ってどんな人だった?」

「そうですね……」


 過去を振り返っているのか、顎に手を添えた伊織が小さく笑った。


「とても活発で笑顔の絶えない方でした。凛とした立ち姿は男達を魅了し、他人と関わることを臆さない積極性は同性の者をも惹きつけていました。少し男勝りなところもありましたね。晶様の強気なところはお母様譲りでしょう」

「へえ」

「最期まで、あなたを心配なされていました」

「……そっか」

「晶様が聞きたくなれば、いつでもお話しますよ。いつかお父上にも聞いてみるといい、きっと話してくださいますよ」

「んー……。気が向いたらな」


 はい、と伊織は微笑んで、「さあ、片付けを再開してください」と手のひらを合わせた。


「明日はお二人ともお出かけになられるのでしょう。車は私が出します。今日中にやることをやってしまった方がいい」

「はいよ。―――ありがとな、伊織」

「はい」


 部屋を出ていく伊織を見送って、写真を箱にしまう。


「晶くんのお母さん、綺麗な人だね」

「そうだな」

「晶くんも絶対、今よりもっと綺麗になるね」

「……それは知らねえ」

「ご謙遜。今だって充分綺麗なのに」

「おだてても何もでねえぞ」

「本音を言っただけなのに……。いいよ、僕はそう思ってるから」

「勝手にしろ、ばか」


 最後の罵倒が照れ隠しだと、巧海にはバレているのだろう。

 小さく笑った巧海が「うん、勝手にする」と隣で呟いた。



***



『―――たぶん明日、私はいなくなる』


 白い布団で横になっている妻が、何てことないような口振りでそう言った。

 溜まっている仕事の合間を縫って訪れた妻の病室でのことだった。

 言葉を無くした男に、女はいつもと変わらぬ笑顔を見せた。


『……医者が、そう言ったのか』

『ううん。私の勘』


 それならばただの杞憂になるかもしれない、とは思えなかった。

 むしろ現実味が増した。

 今まで妻の勘が外れたことはない。


『晶が辛いとき、私はもう傍にいてやれない。だからあなたが守ってあげて。晶がちゃんと、一番好きな人を見つけるまで』


 悔しいよ、と妻はめったに見せない悲しい表情で悔いを口にした。


『もっと、晶に教えてあげたいことがあるのに。もっとたくさん、一緒にしたいことがあるのに。まだ甘えたい盛りだろうに、私は病院から出られやしない。―――この手で、抱きしめてもやれない』


 高く上げた両腕は、何も掴むことなく彼女の下へさがる。

 最後のお願いよ、と涙で潤んだ双眸が男を見た。


『晶が運命に立ち向かえるように助けてあげて。私の分まで、あの子を見て上げて。―――あなたがその役目を終えて、もう疲れたと思ったら、ちゃんと私が迎えに行くからさ。それまでは、頑張ってほしい』


 それは妻の、最初で最後の我が儘だった。

 こみ上げてくる熱いものを押し込めて、男は妻のやせ細った手をとった。


『―――わかった。約束しよう』


 ありがとう、と妻は涙を流し、宣言通りに翌日の朝にこの世を去った。


 あれからもう、何年経っただろう。

 男は縁側に立ち、よく妻を写真に撮った庭を見つめた。

 もう少しで自分の役目も終わるだろう。

 あとは、妻の迎えを待つだけだ。

 晶を助けなければと自分が娘にしてきたことが、妻の意に沿ったかはわからない。

 もしかしたら叱られるかもない。だがそれもいい。

 久しぶりに聞く妻の罵声というのもなかなか乙なものだろう。


 ああそうだ―――それまでに、孫の顔くらいは見ておきたい。


 迎えに来る妻に、それほどいい土産話はないだろう。

 何やら言い合いをしているらしい娘と、恐らく近い将来に義理の息子になるであろう少年の声に、男はほんの少しだけ口の端を上げた。










FIN.




巧晶、というよりも晶くんのお母さんとお父さんがメイン。晶くんのお母さんてどんな人だったのかなぁ、と思って書いたお話です。晶くんはお母さん似で、お母さんは明るく元気で聡明な人をイメージしました。おしどり夫婦だったら素敵だな。
 

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