shortstory

□不覚ダウン
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 ―――っくしゅん、


 ずず、と鼻をすするが、あまり意味はなかった。

 仕方なくティッシュに手を伸ばして鼻をかむ。


 日頃の鍛錬は怠ったつもりはない、ないのだが、身体は異常を訴えている。


 頭はぐらぐらするし、意識は朦朧、熱と寒気が同時ときた。


「不覚……」


 まさかの出来事に、晶は肩を落とした。




 ピピピ、と脇に挟んだ体温計が鳴り、ベッド横に腰掛けた巧海に手渡す。


「―――38度6分、風邪だね」


 昨日のせいだよねえ、とため息を吐いた巧海に、晶も不機嫌に眉を寄せた。


 不本意なる風邪の原因は、昨日の“水被り”のせいである。

 掃除当番だった晶と巧海は、外の掃き掃除をしていた。

 それ事態は問題なかった。あったのは教室掃除をしていた男子生徒。


 水を捨てに行くのを面倒くさがった男子生徒が、窓から外に流したのだ。

 もちろん、その水というのは雑巾に使った汚水なわけで。


 運悪く水の落ちる先にいたのは晶と巧海だった。

 当然避けることはたやすかった、―――晶には。


 咄嗟の判断を抜かったのが一番の原因だと思っている。


「ちっ」


 舌打ちとともに巧海を前に押しやり―――ものの見事に汚れた冷水被った。


「あ、晶くん!」


 目を剥いて状況を飲み込めなず狼狽える巧海に、晶はくしゃみで返すことになった。




「ごめん、僕が気づかなかったから」

「お前の所為じゃねえよ。元はと言えば怠けて窓から水捨てた奴のせいだし」


 まさか下に人がいると思ってなかったらしい男子生徒には、顔を蒼白にして謝まられた。

 当然晶はげんこつを見舞ってやったが、悪い気がないとわかるぶん、それ一つで済ませたのだから安いものである。


「それに俺も悪い。あの時お前引っ張って後ろに避ければ良かったんだ。判断が甘かった俺の責任もあるよ」


 悔しさから顔をしかめると、巧海が小さく笑った。


「何だよ」

「いや、本当に自分に厳しいなぁと思って」

「別に……普通だろ」

「普通じゃないよ。誰かの所為にしないで自分の非を見つけちゃうんだもん」


 優しいね、とあまりにも自然に微笑まれて、照れ臭くなって顔を逸らした。

 買い被りだ、と言っても巧海は照れ隠しなのがわかって笑っている。


「でも今日明日休みで良かったね。熱と鼻だけみたいだし、安静にしてれば治ると思うよ」

「ん」


 風邪なんてひいたのは何年振りだろうか。

 というか今までに数えるほどしか罹ったことがないのだから、不本意極まりない。


 ずび、とまた出てくる鼻を、枕元に置いてあるティッシュにかむ。


「じゃあ僕はおかゆ作ってくるから。あと果物とかゼリーとか、消化に良いもの持ってくるよ」

「あ、巧海」


 腰をあげた巧海に、はたと思って声をかける。


「なに?」

「お前俺が治るまで部屋戻ってくるな」


 しばらく笑顔のまま固まり、そして怪訝な顔に変わる。


「なんで?」

「移るからに決まってんだろ。寮にいる奴に声かけて泊まらせてもらえ」

「やだ。看病するよ」

「風邪ごときでどうかなったりしねえよ。お前に移る方が問題ある」

「でも」

「いいから。そんな柔な身体してねえし、一晩すりゃ治るよ。良くなったらすぐに連絡すっから」


 食い下がる巧海に、手を振って出ていけと促す。

 正直かなり怠いのだ、言い合うことすらキツい。


 起きあがっているのが辛くなり、ベッドに潜り込んで巧海の方へ向く。


「大丈夫だ。頼むから出てけ」


 火照る顔のままねめつける。今の晶にはこれが精一杯の優しさだ。

 巧海も仕方ない、というようにため息を吐く。


 いつもなら巧海の粘り勝ちになるだろうが、今回ばかりは食い下がれないらしい。

 ひんやりとした手が額に触れる。短い前髪をよけて、そっと唇が触れた。


「……じゃあ、何かあったらすぐに連絡してね。携帯枕元に置いておくから」

「わかった」


 せめてもと微笑むが、巧海は心配そうに髪を梳いた。


 陣地を出る巧海は、後ろ髪引かれるようにこちらを見ていたが、晶があしらうように手を振れば、苦笑してカーテンを引いて出て行った。


 ふう、と息を吐く。


 いつもより熱い吐息と荒い呼吸が、風邪なのだと自覚させる。

 苦しいが、大して不安や寂しさはない。


 これ以上の苦痛は経験しているし、今の自分には心の隙間を埋めている存在がもういるのだ。


 早く治さねえとな。


 優しく触れた手と、巧海の心配気な顔に苦笑しながら、晶は眠りに落ちた。



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