shortstory

□雨と傘
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 雨が降る。

 何処まで、何時まで、どれほど。

 問いかけなどに答えるわけもない。

 ただただ天高くある雲から下に向かって落ちてくる。


 ―――あの日も、こんな雨だった。

 全てが絶望に染まった日。
 喪失感は狂気に変わり自分が壊れた。

 目を覚ました時、晶がいたのは里の屋敷にある自分の部屋だった。

 ぼんやりと麻痺した頭でじわりと記憶が蘇る。

 途端に呼吸がおかしくなった。

 失ったものの大きさを、失う前から分かっていたつもりなのに。

 分かっていなかったのだ、自分は。

 こんなにも己が壊れられることをその時になってようやく知る。

 終わらない世界が煩わしく疎ましかった。

 目に映るもの全てが酷く濁り、綺麗なものは痛いだけ。

 光などない。
 あいつがいない世界に―――巧海がいない世界に光などない。

 自分を酷く痛めつけたい衝動に駆られたのを覚えてる。

 何故守れなかった、何故自分はこんなにも弱い、何故、何故、

 ―――何故、好きになどなった。

 何もかも自分の所為だ。

 心がこんなに痛むのも、あいつが消えたことも。

 思えば思うほど苦しくなるばかりだ。

 心というのはこんなに痛く苦しくなるのか。

 逃げるように、縋るように自分の首をしめた。

 体の痛みが欲しい。
 そうすればこの苦しみは和らぐ。

 思った通り痛感は首に集中し意識が遠のく。

 だがすぐにそれは阻止された。

 晶が起きたことに気づいた伊織が目に見えぬ速さで晶の手を拘束した。

 離せと晶は叫び散らす。

 喉が枯れるほど、声が狂うほど、悲痛な叫びは限りなく木霊した。

 力の出る限り伊織の腕から逃れるようにあらがうが、伊織も手加減無しに晶を縛り付ける。

 一瞬の隙を突いて鳩尾に一発入れれば晶は気を失った。

 次に目を覚ましたのは蔵の中だ。

 両手を柱に縛り付けられ、抜けられぬよう特殊な結び方をされている。

 腹部に走った鈍痛に顔をしかめた。

 どこまで残酷なんだ。
 この世界は自分に。

 死ぬことすら許されないのか。

 恋したことにそれ程の罪があるのか。

 だったら何故巧海と会わせた。

 何故俺に媛の運命を定めた。

 ―――そんなに、俺は罪深いのか。

 浮かんでは消える巧海の笑顔。
 姉を自由にすると舞衣から離れようとしていた巧海。

 自分の力で、歩こうとしていたのに。

 しとしと、しとしと

 自分の目から水が滴り落ちる。
 だが拭えない。

 しゃくりあげる嗚咽も止まらない。

 いつも作りすぎたと言って夕飯を持ってくる巧海。
 晶は軟弱だと罵った。

 でも飯は旨くて、暖かくて。

 一緒に付いてくる笑顔が優しくて。優しすぎて怖かった。

 静かにいなくなる気がして、そばにいたくなかった。
 失うならば、近づきたくない。

 それでも、決まっていたのだ。
 この運命は。

 巧海が自分と同じ部屋になった時から。

 晶を秘密の忍者さんと言うようになったあの時も、既に決まっていた。

 耳に残っている、巧海の言葉。

『いいよ、晶くんとなら』

『僕に生きたいって気持ちをくれたのは君……だから』

 巧海は晶と出会って生きることに価値を見いだした。

 晶は巧海と出会って愛することを知った。

 2人が出会ったことに、罪などないはずなのに。

 晶は泣くしかできない。

 叫んで、叫んで、浮かんでは消える想い人の名を声が枯れるまで何度も叫んだ。

 数日後、狂った世界に晶は泣くこともできなくなった。

 運ばれてくる食事は喉を通らず、あるはずの生理現象は何も口にしていないせいか全くでない。

 無意識に、虚ろな世界で晶が口にするのはたったひとりの名前だけ。

 壊れた人形のように、何度も、何度も、何度も―――。



***



 打ちつけられる雨粒の冷たさも感じない孤独の中、晶は突然名前を呼ばれ我に返った。

 声の方へと顔を向ければ巧海が傘を差しこちらへ小走りで向かってくる。

 教室に忘れ物をして取りに行こうとしていたらしい。

 濡れていることに頓着していない晶に驚きながら傘に入れてやる。

「なんで傘さしてないの?今日折りたたみ渡したよね?」

 責める口調で晶に言うのは風邪など引いたらどうするんだ、という心配からだろう。

 それがわかるから晶は素直に謝った。

「……なんか、気づいたら雨にうたれてた」

 そう言って晶は空を見上げる。

 ハンカチで濡れた顔を拭おうとして、巧海はようやく気づいた。


 ―――晶が、泣いている。


 あまりにも静かな涙で雨かと思ったが、確かにそれは晶の瞳からこぼれていた。

「……」

 巧海はハンカチをしまって指で涙を拭った。

 ふと晶は巧海へ視線を移す。

 当たり前のようにある笑顔にまた涙腺が緩む。

 ―――あの時は、誰も拭ってはくれなかった。

「巧海……会えて、良かったか?」

 会えて、自分と、出会えて。


「良かったよ」

 ゆっくりと静かに、だけど揺るぎのない声音で巧海は言った。

 その言葉で晶はようやく微笑んだ。


 罪ではないと信じていいのか。
 出会ったことに感謝してもいいのか。

 愛して、いいのか。

 俺は、お前を。


 巧海は傘を下ろして地面に放った。
 そのまま晶を抱きしめる。

「巧海? 何やってんだ、風邪引いちまう……」

「僕が傘になるから」

 腕から抜けようとする晶にそう囁けば、晶はぴたりと止まった。

「濡らさないように、素直に君が涙を流せるように、もう独りで濡らさせない」

「―――ああ……」

 かすれた声は巧海に届いただろうか。

 巧海の胸に顔をうずめて晶は泣いた。

 きっと明日は晴れるよ。

 呟いた巧海の言葉にそうなればいいと強く願った。










FIN.




巧晶はどシリアスについついしてしまいがちですね〜。晶くんにとってどれくらいトラウマになったのかなーと。いやほんと、ハッピーエンドになってよかったねぇ…。ちなみにこれ書いてる間、坂本真綾さんの「雨が降る」をリピートして聴いてました。
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