shortstory

□うらはら少女に愛言葉
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 一瞬怯んだ千代子だが、すぐに持ち直して眉尻をつり上げた。


「なによ、本当のことじゃない! 結婚したってわかれちゃうんだもん、恋人なんてムリにきまってるもん!」

「っ、千代子、」

「今にわかれるんだからっ! ち、チヨちゃっ、嘘ついてないからっ……」


 いつの間にか溜まっていた涙を堪えて走り出す。

 咄嗟に祖母が千代子の腕を掴んだが子どもとは思えない力で振り切り、勢い余って祖母がよろけた。

 素早く晶が支えた間に千代子の小さな背中が遠のく。


「あ、ああ……ごめんなさいねぇ。今日は本当に何だか色々と迷惑を……」

「追いかけます。巧海、お前はお祖母さんについてろ」

「うん、わかった」


 子どもとはいえこの中で千代子に追いつけるのは晶だけだろう。

 巧海は食い下がらずに頷いた。


「あの!」


 呼び止めた祖母の声は少しだけ震えている。


「悪い子じゃないのよ……ただ、不憫な子なの」


 その言葉には何も返さず、晶は走り出した。




***




 ―――不憫な子なの。


 駆け出そうとした晶を引き止めた祖母の振り絞った言葉。

 祖母としての心配や気遣いや憐れみが含まれたものだった。

 それに返す言葉など晶は持っていなければ、今走っているのは祖母が思っているような理由でもない。

 空は青く、雲はやたら近い。

 その少し下で走る後ろ姿を見つけて、晶は足にほんの少し弾みをつける。

 軽く跳ねれば常人には不可能な高さまで上がり、くるりと一回転して千代子の前に着地。

 千代子は「ひっ」と涙でぐちゃぐちゃな顔を強ばらせた。


「何いきなり走ってんだよ」

「あっ、あんたに関係ないじゃない! なんで追いかけてくるのよ!」

「失礼なこと言い逃げられたんだ、関係なくはない」




「も……、なんなの……っ。見ないでよ、見つけないでよ。あんたなんかに見つけてほしいんじゃないのに……っ」


 ポカ、ポカポカ。

 千代子なりに目一杯の力で晶の胸下あたりを叩く。

 そんな力で晶が痛みを感じるわけもなく、むしろ痛がっているのは千代子だと思った。


 外的なものではなく内的な傷。


 ふえふえ泣きながら、わけもわからずただ手を動かす。

 傷つけたくないのに、傷つきたくないのに、傷つけて、傷つけられて、幼い心が悲鳴をあげているようだった。


「千代子」

「う、な、なに―――っひゃぁ!?」


 ひょいっと軽いからだを米俵のように肩に担ぐ。

 じたばたと暴れる千代子を無視して晶は周囲を見回した。


「なんなの下ろして! 怖いぃ!」

「ん、あれで良いか」

「へ? ―――っ、っひ!!」


 足に力を籠めて地上から足を離した瞬間、悲鳴にならない千代子の声が詰まる。

 だが晶は気にせずしがみつく千代子を落とさないように、右腕に力をこめた。

 重量を無視した晶のジャンプ力に千代子は声を出す余裕もなく息を止めている。

 呼吸をしても落ちないと言っても無駄なのはわかっているので、何も言わず目的ポイントに着地する。

 太い木の枝に足を置いて左腕だけで登っていく。


「おい、もう良いぞ」

「ぷはっ! い、いきなり何……った、たかいっ! こわ……っ」

「ばか下見るな、正面見ろ正面!」

「ま、前なんて何も―――」


 ない。

 言いかけただろう言葉は口から出ることもなく消えた。

 息を飲む千代子を枝に座らせ、支えられる位置に晶も腰を下ろす。

 広がる田園に青空、ぽつぽつと建ち並ぶ一軒家に田舎道。

 見えないものも全て見えてしまうような、視界いっぱいに広がる緑。

 もう千代子の涙は止まっていた。


「すごい……きれい」

「そうだな」

「―――ねえ、なんであんたなの」


 表情を曇らせ俯きかけた千代子の顎を、晶の右手が軽くおさえた。


「下は見るな、落ちる」

「わ、わかったわよ」


 驚いたように顎にかかった手をはねのけて、むくれた顔で前を見据える。

 千代子の問いに晶も前を見据えて答えた。


「言っただろ、失礼なこと言い逃げされたんだから関係なくはないって。文句を言うために追いかけた。それだけだ」

「わざわざ木の上で?」

「どうせまた逃げるだろ」


 図星なのか千代子が黙った。


「お前が何を見てああ言ったのかは知らないし訊く気も無いけどな。勝手に俺らの先を決めつけるな」

「……決めつけじゃないもん。本当のことよ、絶対にそうなるんだから」

「なんで」

「チヨちゃんのパパとママがそうだもん。あんたたちなんかあっというまよ」


 パパとママは仲が良かったのに別れちゃうから。

 夫婦だって簡単に壊れるのに、恋人なんてもっと簡単に決まってる。

 恋人は簡単に壊れる、だから夫婦だって仕方ない―――幼いながらの曲がった理屈。


 千代子が見つけてほしかったのは晶でも祖母でもない、大好きで仲良しなパパとママ。

 気丈に振る舞って強気になって虚勢を張って、我がままで理不尽で嫌な子になった。


 不幸に歪んだ女の子―――でも本当は。



「……ひく、」



 透明な筋が千代子の頬を滑って顎に水滴を溜める。




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