【暗黒の狂詩曲3】

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「分かった。もう何も手だてがないのなら、爽と2人にしてくれないか」

いつ死んでもおかしくない状況下、せめて今日だけは、兄弟水入らずで過ごしたいのだ。

「別れの挨拶か」

「そう取ってもらっても構わない」

「カーテンと部屋の鍵を閉めておくから」

「助かる」

未だ意識が混濁している爽を抱き抱えて診察室の奥の部屋に入る礼。それを確認した淳希は鍵を閉めて会議室に戻る。

見上げた空は太陽が昇るその前の暗闇で、どこか地下世界を彷彿とさせる。

「爽」

ほとんど色をなくしたそのか細い手の平を握る礼。その感触はまるで人形のように体温が感じられない。

「鵜呑みにして会いに行かなかった私への罪なのか。なら、どうして幸せだと聞きたがった」

答えることはもはや不可能に近いほど、爽の体は衰弱している。


「目を覚ませ。覚ますんだ。お前と話がしたい」


息も切れ切れでいつ途絶えるか分からないことぐらい、礼も分かりきっている。

「私とは、もう話せないのか。話したくないのか…。だったら何故私のいる世界に来た?直接娘のいる世界に行けばよかったのに」

ゲーム中の参加者以外の侵入は禁じられているが、主催者側だった爽はフリーパスなので、地下世界に行くのも簡単だった筈だ。すると、硬く閉ざされた瞳から一筋の涙が流れる。そして、目を開いてもいないのに、礼がいる方向に手を差し出し、頬に触れる。気がつけば礼も泣いていたのだ。


「泣かないで、僕なんかのために」


頬に添えられた手を握り閉め、何度もほお擦りする礼。

「すまない。爽っ…」

「謝らないで。兄さんが幸せなら僕はいつでも死んだって怖くないよ」

「お前が死んだら、私は…もう…」

「兄さんは生きて。ちゃんと生きて…」

ゆっくりともう一つの手で礼の頬に触れる。か細いはずのその手に何かが宿る。爽の胸にある能力者の証であるの【志】の刻印が、礼の胸に移る。

「自分で何をしてるか、分かってるのか?」

「分かってる。分かってる。でも、これは僕の想いなんだ。絶対貴方を死なせたりはしない。タナトスが死んでも僕は貴方を守るから…」

「馬鹿野郎!!私だけのために自分だけ死のうとするな」

「僕は貴方のためだけに生きていれば、それでよかった。葵も蒼太もとっくにそのことを知っているから、僕を軽蔑した…」

「本当にそう思うのか。葵は、自分と父親を受け入れてほしいと私に懇願したんだぞ」

初めて出会った際、蒼太と名乗る葵にナイフを向けた時、一歩間違えれば殺される状況下で、彼女は確かにそう言ったのだ。そしてゆっくりと礼は爽の刻印を返す。


「お前が屍になったその時に、私がその印を受け継ぐ。それまで自分の命を捨てる真似は許さん」

「どうして…。僕はいろいろなものを皆から奪ったんだよ?そんなの死しか償えないじゃないかっ…」

「実は私も死のうと思ったことがある。でも、できなかった。私を待ってくれる人がいると思うと死ねなかった」

「残念ながら僕にはいない。皆僕がいなければどれだけ幸せだったか。僕が生まれる意味なんて何もなかった」

一度手を離して、手の甲で彼の頬を思い切り叩く。

「兄さん…」

「20年前のお前が、地震がくる日を重ねて景を拉致すると律儀に言った。もし本当に拉致する気ならわざわざ知らせはしない。景にも雨宮にも、言われたよ。私の良心の呵責を利用してると。でも、私はそれだけと思えなかった。初めて2人で飲んだ日、あの時のお前はとても嬉しそうに微笑んだ。操られていようがいまいが、あれは再会できた喜びだと私は思いたい。もしお前が死んでいたらあの夢を見ることもなかった。そして再びこうやって会うこともなかった。私自身、嬉しかった。どんな姿であれお前にもう一度会えたから。だからそんなことを言ってくれるな」

爽の頭を胸に埋めさせる。

「兄さん…」

「お前一人に重荷を掛けてしまったな。もう自分を責めるのはやめるんだ」

「でも、雅也さんは死んだ」

「雅也の最期は知らないだろう?本当は手術さえすればなんともなかった。あいつはあいつで死を選んだ」

「それは景さんが瀕死だったからやむを得ずでしょ」

「いや、ドナーは幸次さんで決まっていた。でも雅也は自ら、自分の命を景に差し出した」

「………」

「運命は自分で切り開くものだ。お前もタナトスに抗い、私達と共に戦ったではないか」

「…兄さん。もし僕が生きることを許してくれるなら、輝樹くん一人でタナトスを殺す責務を辞めてもらいたい。僕も自分の尻拭いをしたい」

つまり、自分の手でタナトスを殺したのちに、死にたいということになる。急に体中が熱くなり、猛烈な吐き気を催したのか口元を押さえ込む爽。礼は慌てて診察室にあったビニール袋を差し出す。

「うぐっ…ぐふっ…」

ビニールに吐き出したそれは、大量の鮮血で、みるみるうちにビニールぎりぎりまであふれ返り、彼を見ると上昇した体温が急に冷え切り、握り締めた手がするりとすり抜けていく。

「中川先生!中川先生!」

その叫び声で診察室で爽のデータを調べていた淳希は、甥の透と、子孫の淳に連絡をして救急用のヘリを要請し、礼のもとに駆け付ける。

「致死量域に達している。今、病院行きのヘリを呼んだ。礼、爽に血を分けてやってほしい」

「私の血では爽を殺す可能性もある。むしろ…」

闇雲ウイルス思念体を大量に含む爽の体内に自分の中に流れる紅龍の血液を与えると、拒絶反応するかもしれないと危惧する礼

「やってみなきゃ分からない。人体実験をしているようで気乗りしないが、爽には葵に直接会う義務と責務がある。俺のように大切な人を看取れなかった悲しみと悔しさをあの子に味わってもらいたくない」

「なら私の血を爽に与えてくれ。それで爽が一日でも生きながらえてくれるなら」

「大量の血を輸血しないといけなくなるけど」

「構わない。それで爽が助かるなら」

輸血しても爽の命が一時的に助かるだけで、根本的な解決法にはならない。だが、それでも藁に縋り付く思いで自分の右腕を差し出した。淳希は輸血するために彼の腕に注射し、抜き取った血を一度、ビニール袋の血液に流し込む。幸いにも異変は見られず融合できたので、献血用の注射に変える。規定値である400mlの血液を抜き取る。健康診断を受けた以来血を抜かれるのはこれが最初のため声には出さないが、苦悶する礼。

「まさか注射が苦手なのか?」

「切り傷など外的な傷の痛みには慣れているが、断続的な痛みには弱い…。さあ、その血を爽に…」

すると、透の知らせを聞いたのか、彼と淳と共に景が診察室に入ってきた。

「私も彼に輸血します!礼さんと同じPDG型なので、適合するはず」

「景!」

「礼さんだけに負担をかけたくない」

「分かった。そこに座って」

礼と同じ手法で採血し、2つの血液を掛け合わせて拒絶反応がないことを確認すると、爽に輸血する。そのままベッドごと運び、大型ヘリに乗せる。

「景、お前は、皆のもとに戻って大事を取るんだ」

「礼さんは?」

「一日だけ爽と兄弟水入らずで過ごさせてくれないか。こんな状況で大変なのは承知しているが」

「…分かりました。作戦のことは私が指揮を取ります。どうかお気をつけて」

景の手から渡されたもの。それは、かつて父親である漣の誕生花である勿忘草だった。

「ありがとう。ゲームが終わったらすぐに戻る。できればそれまでに皆に説得してほしい」

「分かりました。できるかぎりのことはやります。さあ、乗って」

景に促され、ヘリに乗る礼。それを確認した運転手はドアを閉めて、一気に下降し、桜蘭総合病院に向かう。一度会議室戻ると、爽を連れていける状態ではないということがすでに満場一致で決定した後で、景一人で覆すことができない状態になってしまった。

「皆さん…」

「闇一族云々より、あいつはもう動ける状況じゃない」

担架で運ばれた彼の肌色は青白く、生きているか死んでいるか判断できないくらい儚い姿だった。

「…じゃあ、もう助からないのですか」

「残念ながら、彼の寿命はもう風前の灯だ。ましてや戦わせるなんて無茶すぎる」

「そんな…」

「君だって、本来は死ぬ運命にあったんだ。雅也君の犠牲あっての命を忘れてないか」

昏倒状態から奇跡的に目覚めた時、すでに雅也は帰らぬ人となっていた。闇雲ウイルス思念体に爽の血液を注入し、逆に彼に大量のウイルスを挿入させ、体ごと闇に染まらされた。そして思念体の洗脳から解放された彼はその代償として、大量の血液を失い、闇雲ウイルス症候群になってしまった。それでも生きながらえたのは、景にとっては空白の5年間である、礼と一緒に過ごせたからである。

「分かってます。ですが最期は尊重してあげたい…。戦う意思があるのなら、這ってでも戦います」

実際、藤波は下半身不随になった体で、闇雲ウイルス思念体に応戦した。

「…そうかもしれない。でもわいは不愉快や。殺害者と手を組むんは」

「爽さんは殺害者ではないわ。もし、兄を手にかけたなら私はあの人を殺した。だって私があの人を殺す動機なら沢山あったもの」

しかし、幸か不幸か爽の愛憎は完全に、礼に向けられていたせいで、雅也を自らの手で殺めることもなかった。

「それに礼さんのそばにずっといたもの。兄さんは一度も爽さんについて言わなかった。遺言は私や玲奈さん達に向けられたから、2人は出会わなかった」

胸に手を当てる景。

「彼にとって私は憎い存在だった。でも…最後に言われた。もう少し早くに出会えたら好きになってたって。複雑でしたけど、私は家族として受け入れられたなって思った」

「礼さんと景さんって共通点ありますよね」
「確かにパパもママも似てる」

雅と瑠唯の発言に、誰もが耳を疑う。

「だってうちのパパもママも純粋やし、初やし。それに生真面目で頑固やもん」

「確かに景さんは比較的穏やかだけど、こうだと思ったら聞かないよね」

「確かに…私と礼さんは似てると思う。だからかしら爽さんを失ったらこの人はきっと悲しむに違うと思った。私は爽さんを尊重したい。だって前と違って世界を救うんでしょ?」

「でも、それは四龍であるあんたらも滅びてしまうことになる…」


会議室の窓を開けると、むわっとした風が流れ込む。夏特有の生命力が満ちあふれた雰囲気ではなく、生物の死を感じさせるこの空気が暑さを忘れさせてしまう。

「人として生きることを決めたなら、私達は生きられるはずです」

「それは、自分の存在そのものを否定することになる」

「四龍でも四龍でなくても、私達は巡り会えた」

「人としての幸せを私達は得られないのでしょうか」

「これは世界規模の戦いでもある。でも自分を取り戻す戦いでもある」

レーネッドの言葉に、頷く香純と景。

「お父さん。ごめんなさい親不孝な娘で」

「本当。兄妹揃って無茶しいやな」

頑固な景についに折れたのか、苦笑しながら承諾する。

「景。精一杯やるんやで?お前の思うがままに」

「うん」

すると、青龍と瑠唯が歩み寄る。

「私達は海溝へ翌日の昼に向かいます」

「瑠唯さんもレーネッドも、無理しないようにね」

「ありがとうございます」

瑠唯は景から佐伯夫婦に向き直る。

「父さんごめんなさい。やっぱり、私行かなくちゃいけない」

「…そう。本当なら止めるべきだと思う。でも、行かなきゃ君は後悔する。あの時どうして、彼のもとに行かなかったと」

「ありがとう。お父さん…お母さん…」

自分が両親を残してあの世へ向かうことま想定して、瞳に涙が浮かぶ。

「どうか生きて帰ってきて。輝樹くんと共に新しい人生を歩むんだ」

「うん」

一方、藤波と香純は会議室から席を外し、バルコニーで朝日を眺めている。ふと視線が合うと悲しげに微笑む香純。

「貴方と過ごせて本当に幸せだったわ」

「共には行かせてもらえないのですか」

「貴方は四龍じゃないもの。私達の責務を貴方に負わせることはできない」

「でも、私はあの時、母に墓前で誓いました。貴女と共に生きることを。だから、もし死ぬことをお考えでしたら、私も連れていってください」

藤波の言葉に香純の瞳が揺れる。彼に気づかれないように空を見上げるふりをして、顔を逸らす。

「馬鹿言うんじゃないわよ。貴方を巻き込みたくないの。分かって」

「もとはと言えば、私が貴女を巻き込んだのです。徳川屋屋敷に帰る際、貴女に言わなかったらそれまででしたから」

「今度ばかりは駄目よ」

「私を一人になさるのですか?」


高校時代に香純との縁を人為的に断ち切らされた時に覚えた感覚は絶望と空虚である。実際彼の姉から聞かされて、再び会った自分の誕生日に向けられた死んだような瞳はまさしくそれだ。

「貴女を失えば、私は生きる希望を失います。こんな役立たずの体でも生きたいと思ったのは、貴女がいたからなんですよ」

力の入らない拳を握って涙を堪える藤波。

「分かってよ!大切な人だから巻き込みたくないの!!」

「それを私が望んでいなかったら?」

「とんだ大馬鹿よ…」

「馬鹿で結構だ!それでも私は貴女についていきたい」

縋り付くような瞳に断る理由が見つからなくて困惑する。

「嫌だと言ってもついていく。わがままだと思ってもらってもいい」

「本当自分勝手でわがまま!こっちの気も知らないで…」

いろんな思いが込み上げて、抱きしめる香純。それに応えるかのように彼女の背中に手を添える藤波。

「一人で抱え込まないで。あの時のように」

「馬鹿ぁっ…」

「私も一緒ですから、泣きたいときは泣いて」

「…うっ…」

自分が四龍だったからこそ、こうやって生きながらえた。しかし今度は四龍であるがゆえに滅びるかもしれないのだ。一人では何もできない藤波を置いて死ぬのも心残りだが、藤波を巻き込んで死ぬのも嫌だ。いろんな感情が交錯して涙が溢れる。


「香純さん、生きて帰りましょうね」


タナトスを滅ぼせば、四龍は消える。生きて元の世界へ帰ることができる確率は1%もない。しかし、僅かな可能性があるかぎり、藤波は香純と共に戦おうと心に誓った。その思いが伝わったのか、ようやく香純は首を縦に振ったのだった。












………be continued


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