【暗黒の狂詩曲】

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※第三者視点

梅雨の季節から初夏を過ぎる頃、爽の容態が明らかに悪化してることは医学の世界では素人の純平や春代でさえも分かる。さらに蒼太が帰ってこないことが原因で精神的にも悪化させているのもある。


「あの子は、僕のこと、最初から嫌いだったのかな」

ベッドの布団がシワになるほどきつく掴む爽。眉間に皺を寄せて、何かに耐える表情が痛々しい。

「だったら、最初から、約束を反古にするさ。蒼太は蒼太で律儀なところがあるから」

林檎を器用にウサギの形に切り取る純平。

「律儀なところ?」

「爽の約束を果たそうとしてること。もしかしたらまだ、礼に会えてないのかもしれない」

「にしても遅いよ。まる1ヶ月は経ったというのに…」

それには、純平もフォローのしようがなく閉口する。何か思い当たるのか、さらに眉間にシワを寄せる爽。

「…日差しが、眩しいのか?」

わざと話を逸らす純平。苦しい胸中を無理に吐き出させないための彼なりの手法だ。それを知ってか知らずか、わずかばかり表情を緩ませる爽。

「うん。ちょっとね、太陽は苦手なんだ」

「相変わらずだな」


カーテンを閉めると、さらに閉塞感を感じる。照明だけが2人を照らす光だ。元々白い肌が、病的なまでの白さまでになる。

「あの子…僕が死んだらどうするのかな。せいせいするだろうなぁ。でも、人としてちゃんと生きられるのかな」

引きこもりで、爽の料理や干渉なしでは生きてこれなかった蒼太のことだ。血の繋がってる純平でさえ警戒心を抱いているし、人への不信感も人一倍ある。そんな彼が社会など出ていけないだろうと心配する。でも、そう思っているのに見知らぬ世界に行かせたことに対して不可解な純平。


「だったらどうして、向こうの世界にあの子を行かせたんだよ。どうして…」

「僕の呪縛を解くためだよ。僕がいたらどんどんあの子は、自分の存在を疑う」

「思春期だからと片付けられる問題じゃないのは分かってる。けど、蒼太を向こうの国に行かせたのは、無謀すぎるだろう?」

「だって…兄さんなら受け止めてくれるって思ったからっ…。僕が死んだとしても、蒼太を受け入れてくれるって…。何勝手なこと言ってるんだろ僕。突き放したのは僕なのに…」

いろんな感情が溢れて、言葉がまとまらない。涙が瞳に溜まる。それを見せたくなくて、布団を目深まで被り、体をちぢこませる爽。

「幸せを奪ったのはむしろ僕の方なんだ…。雅也くんを殺したのはサキュバスかもしれない。でも、元部下で従兄弟の玲奈のささやかな幸せをも奪った。雅也くんは、玲奈のすべてを受け入れるつもりだったんだ。昔、彼が地下世界にいた時から、光のある世界へ彼女を連れていくことを願った。玲奈が裏切った理由は雅也くんがいたからだって分かりきってる。でも、悔しかった。玲奈にはそんな人がいたのに、僕には誰ひとりとして導いてくれなかった」

「違うだろ?礼は例え、記憶を失ったとしても、闇一族に染まったお前を手にはかけなかった。彼が記憶を失ったことについてお前は恨んでいたのは分かる。大切な人に自分の記憶だけないなんて、俺も耐えられない。でも、それは礼が全面的に悪いわけじゃないだろ?」

「どうして、僕の内面を探ろうとするの?初めて会った時からずっと…」

涙の溜まった瞳が、敵意むきだしになる。しかし純平はうろたえることなく切り返す。

「お前の内面?」

逆に聞かれて、初めて自分が墓穴を掘ってしまったことに気付く。

「……なんでもない」

すると、爽の視線に合わせるためしゃがみこむ純平。爽に負けじと、冷酷な言葉を浴びせる。

「死んで後悔してもいいのか?」

「逃げ場さえ作ってもらえないの?」

「お前が俺の魂奪って契約したからにはね。こう見えて、根に持つ方なんだよ。すべて許したわけじゃない」

すると啜り泣きが聞こえる。

「やっぱりそうなんだ。僕を全面的に受け入れてくれる人はもういないんだ」

「………」

「これも自業自得だってこと分かってる。兄さんは見捨てなかった。闇一族に堕ちた僕を一度助けにきてくれた。でも、僕は…」

それ以上は言えないのか、黙り込む。いったい彼の過去に何があったのだろうか。いつかは聞こうと思っていたのに毎日があわただしくてあやふやになっていたのだ。すると病室のドアが開かれる。仕事帰りの春代だ。見舞い用にプリンを買ってきたようだ。

「どないしたん。あれ…」

爽と純平の何とも言えない距離感に首を傾げる春代。

「あ…取り込み中やったか。悪いな」

「…いや、そうじゃないけど」

「ふうん」

爽がいる手前で、詳しいことは詮索できない。そう思った春代は病室から退室しようとする。

「待って…」

「ん?子供みたいに甘えてきおって」

爽に袖を捕まれて退室しようにもできない春代は、苦笑する。

「言わなきゃいけないことがあるんだ」

「…えぇけど。うちら、いやうちに話してもえぇことなん?」

「ただし今、連載してる小説には書かないで。未来を変えることは、例え貴女でもできないから」

だとすれば、この世界に行った礼や蒼太が世界に混乱をもたらせばどうなるかわかったものじゃない。その証拠に、純平はタイムスリップすれども完全に傍観者で居続けた。

「混沌に巻き込まれた場合は?死ぬ運命にあるの?」

「本来、その世界の住民でないのならその混沌には関係ないはず。ちょっと待って。なんだか嫌な予感がする」

強烈な頭の痛みと共に、失われたはずの記憶の中にある忌まわしい過去が脳裏から蘇る。

「嫌だ、嫌だ、絶対に嫌だ!!僕はそんなこと認めるもんかぁああああ!!」

錯乱状態に侵された爽は限界まで目を見開き頭を抱え、仕切に首を振り叫び続ける。防音加工はしているがそれ以前に、このままだと爽の精神状況が危険に陥ってしまうだろう。最悪の場合、彼の体が精神の多大な衝撃に耐え切れず停止してしまう可能性もある。そう思ったので、咄嗟の判断で純平は診察室内にいた淳希を呼ぶ。幸い彼の担当する患者は部屋にいなかったのだが、純平の普段見せることのない尋常でない必死な形相に、何事かと思ったのか、脇目も振らずに爽の元に急いで駆け付ける。

「ぎゃあああああああっ」

相変わらず叫び続けていた爽だったが叫び疲れたのか、叫び過ぎて自分の体内が容量を超えてしまったのか、その叫び声の後、爽は、そのまま気を失ってしまう。とっさに彼の体を抱え込み、淳希は脈拍をとる。しばらくの間沈黙が流れたが、脈拍をとり終えたのか、口を開いた。

「フラッシュバックだなこれは」

「フラッシュバック?闇雲ウイルス思念体戦争の?」

「それは、分からない。何かの拍子で忘れていた何かを思い出してしまったかもな」

一度、幼なじみを診た時も同じ症例があったのですぐに、その名称が頭に浮かんだ。

「何か思い出したくない過去でもありそうだな…。純平、お前何か心当たりあるか?」

「死神時代か…成人になってからかだな」

「成人になってからなら、充分癒されたはずやん。わざわざ兄貴の礼がここに5年間もそばにおってんで?」

春代は、闇雲ウイルス思念体戦の後を事細かく説明する。

「だとすれば、成人前の何かが彼を苦しませているのだろうな。ここに入院する前に、フラッシュバックとかなかったのか」

入院する前は、引きこもりの蒼太と実家の宿泊所の仕事が忙し過ぎて、物思いに耽る時間さえなかった筈だ。それに蒼太からそんな話を一度も聞かされたことはない。

「いや、俺達も毎日蒼太のそばにいるわけじゃなかったから分からない」

「本人に聞くにはあまりにも酷やろな…」

「でも墓までその秘密を持っていくには、あまりにも重い話なのだろう。パニックになるくらいなんだから」

「セラピストの本領発揮せなあかんやろ。な?純平」

音楽教師をしてる傍ら、長期休暇は淳希の勧めで、桜蘭総合病院の音楽セラピスト兼カウンセラーとして臨時で働いてる。

「甥っ子相手に?」

「せめて、安らかな晩年を迎えさせてやりたいからなぁ」

「珍しいな。お前がそう言うなんて」

「純平の残された肉親やもん」

両親もいない。従兄弟も双子の姉もすでに故人となっている。爽が亡くなれば、蒼太が孤児になるが、それと同時に純平の肉親が蒼太だけになる。とはいっても、蒼太と純平の関係は、他人よりは辛うじて良好だが、世間一般から見ればただの知り合いみたいにドライな関係であるから、自然と疎遠になるだろう。


「まぁ、最後の最後まで悩ませるけどね」

「ほんま、実の子みたいに手を焼くよなぁ爽は」

当初爽を受け入れるのには、大反対だった。自分の大切な伴侶の命を一度奪っておいて、その被害者である純平と共に暮らすなんて、常識的に考えて有り得ない。そして穏健派の純平とは長きにわたりこのことだけは、口論を繰り返した。しかし、爽達がこの世界に再び帰ってきて、礼が去る際に土下座されて彼を見ることを頼まれて、ようやく爽を受け入れたのだ。

「幸せを奪うから帰ってって酷い言葉を浴びせられたくせに、礼は弟を頼むって…。本当、漣に似た子だったよな」

「礼は生真面目やったもん。瑠宇ちゃんを軟禁してたことずっと後悔してたみたいやし…」

「確かに、それは事実だ。でも彼は真面目一徹で精神衰弱だった彼の代わりに5年間も休まずに蒼太の世話をしてた」

「爽が追い出さんかったら、あの子が自分が父親やって言ってたやろうなぁ」

しかし春代達のいる遥か未来の世界で、現に礼には2人の子供がいるし、妻である景もいる。

「なんだか矛盾せえへん?礼の性格上からして、決して人を見捨てる真似はせんと思う。でも、爽がしきりに見捨てられた見捨てられたって言ってたからさぁ」

「その見捨てられた過去を思い出したくないんじゃないか?自分にとって優しかった兄が見捨てるなんて」

「礼言ってた。自分は決して見捨てたわけじゃない」

でも、長年に渡って彼等は離れ離れだったのだ。

「言ってたで。7歳から、12歳までの記憶は一切ないって。気がついたらひいじいちゃんに拾われてたって」

ここでいうひいじいちゃんは、一代目聖龍にしてクリスタルキャッスルの二代目君主ジュニー・スタンス・KHのことだ。

「爽も3歳から、8歳までの記憶がないって…。あの子らの歳の差は確か、4歳。となれば同じ時期に記憶を消された可能性が高くなる」

つまり、その期間に2人が同じ場所にいた確率も高まる。そしてその期間をふいに思い出すと、フラッシュバック現象が起こってしまう。寿命云々より厄介なものを爽は抱え続けているのだ。

「やとすれば、礼も苦しんでるんとちゃう?消えた記憶のピースが合ったならば、爽を闇一族に染まらせることもなかった」

「紅龍としてなら尚更な」

2人の会話に多少ついていけない淳希は、しきりに首を傾げる。

「紅龍って確か、純平のひいじいちゃんの前妻のハリル・トニーがそうだったよな。礼と何の関係があるんだ」

「淳希。お前なら分かるだろう?ハリルを祖先に持つ俊也と姉さんは結ばれた。そして、漣はトニー一族の美希と結ばれた。自ずと紅龍の血は濃くなる筈だ」

「まさか、あの彼が紅龍だなんてな…。人は見かけに寄らないんだな」

すると、淳希の携帯が振動する。

「悪い。急用ができた。爽くんにまた何かあれば連絡してくれ」

「助かるよ。淳希」

淳希がすまなさそうな顔で、病室から去ると、春代はパイプ椅子に座る。

「爽は蒼太に、礼が現在幸せかどうか聞きに行ってほしいと言った」

「それがどうかしたのか?」

「記憶について関係することを聞き出したかった。記憶を取り戻した上で幸せなら、爽は満足する」

「つまり……礼はまだ記憶を取り戻したわけじゃない。だから蒼太もまだ帰ってこないわけか。通りで遅いわけだ」

ここで漸く、爽の深層心理に辿り着いたのだ。

「そして今日のフラッシュバック。もしかしたら、この日の近くの日に記憶を失うような出来事があったんやろう」

「それが今、爽を苦しめてる」

「残念やけど、うちの力じゃどないもならん…」

肩を落とす春代に、首を横に振る純平。

「いや、お前の協力なしではそこまで真相に辿りつけなかった」

「気休めは止してや。ここからは爽自身が乗り越えるしかないんや。今までの所業を見てきたら自業自得といえば簡単に終わる。でも、死ぬ間際に死ぬよりも苦しい思いさせるんは、あまりにも可哀相や」

「春代」

「………」

「爽はまだ生きている。それに乗り越えられない試練はないだろう?」

思い返せば、純平も波乱続きの人生だった。信じていた筈の両親が実は養父母だったこと。不仲だった俊也との長きにわたる生き別れの生活。そして好意も愛もない女と結婚せざる得なかったこと。もちろん春代と結ばれたのが最大の幸せだが、養母と義理の母の強い反対。そして前妻が春代を殺そうと、高い塔から突き落としたこと。つかの間の幸せ。そして俊也と双子の姉との永遠の別れ。そして自分も一度、命を奪われたこと。

「すべて俺達は乗り越えてきた。爽も乗り越えられないわけがないだろう?」

「せやな。爽の精神力を信じるわ」


命の灯があとわずかな彼にとっては、酷な話かもしれないが、それでも田所夫妻は彼の精神力を信じることしかできなかった。















………be continued


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