03/17の日記

21:09
悲しまないこと
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UPDATE infoではないけれど、書き込みを。

数日前から、街がいつもより暗いですね。
コンビニやファーストフード店が、必要最低限の光源で営業してくれているからです。

私の住んでいる地域は全くといっていいほど被害がなく、電力会社からも「予備電力を送電しているので普通どおりの生活を」と言われています。
それでも、みんな節電してます。

私は数日前まで、自分に出来ることを、と考えていました。
でも気付いたのは、何かしていないと気が狂いそうになる自分がいるから、ということです。
勤務先で募金を呼びかけたり、SNS上で励ましあったり。
ある意味、ものすごく自分勝手なことで、同時に無意味に等しいことかもしれません。

地震があったとき、すぐに母親から電話がきました。
状況を全く把握していなかった私は、その連絡で現状を知りました。
情けないことです。

最近私は私情で関東方面に行く機会が多く、さらに今一人暮らしなのもあり、心配性の母親はまっさきに私に連絡してきました。
電話を切ってから、考えました。

家族のこと。
友達のこと。
今まで出会ってきた人のこと。

つまりは、
私の大切な人のことを、考えていました。

私には、大切な人がいて。
その大切な人にもまた、大切な人がいる。
その大切な人にも……
それが繋がっているのなんて明白な事実なんだから、やっぱりみんな助からなければならない。

母からの電話を切ったあとのあの余韻は、今そんな気持ちに繋がりました。

偽善が嫌いで、ボランティアができなかった私が、今こうして、ボランティアの一環と呼ばれる行為を行なっています。
時々、偽善かもしれないと思う瞬間があります。
でも、きっと、やめないと思います。

ニュースで、「暗い街を見ていると気分が沈む」という女子高生のコメントが載っていました。

言いたいことはわかります。
でも、そんなはずないって思います。

大切なことは、目には見えないんです。
暗い街が意味していることは、きっとそういうことだと思います。

もっと、ちゃんと見て。
目に見えるものの向こう側を、もっとちゃんと。

暗い街を自転車で帰っていると、いつも泣きそうになります。
みんな、大切な人がいるんだ、って思います。

with much love,
JORNADA



☆コメント☆
[さき] 03-18 01:34 削除
こんばんは、以前BBSで恋人との関係について相談(勝手に…)させていただいたものです。あのあと音沙汰がなくて申し訳ありませんでした、レスはすぐに拝見していて、結局彼とも別れました。今は受験が無事に終わり、結果は思うようにいきませんでしたが一段落というところです。

そんなときに起きた今回の震災、私は横浜なのですが、幸いにも地元には何の被害もなく、なにか挙げるとすれば父が帰宅難民になり東京から歩いて帰ってきたことくらいでした。しかし少し場所が違えば停電、断水、地割れなど…東北の方々に比べればほんのちょこっとですが被害があったようです。
計画停電も何故か我が家には回ってこず、それでも地元は節電のため暗いです。暖房も使わず、寒いです。関東の高校生で集まっての募金活動も、交通機関が不安定なのでまだ行ってはいませんが、警察や各駅に確認をとりつつ水面下で動いています。偽善に思える、という仲間もいます。私には今この状況で何が善で何が偽善なのかわかりません。「偽善」という言葉がなかったらいいのに、と思います。

大学の新入生イベントも各校で相次いで中止になってしまいました。卒業式が中止になった高校もあります。大学の入学式さえ、すでに〜大学は中止になったと、嘘か本当か、聞こえてきます。それでも、東北に比べたら、津波の被災地に比べたら、関東なんてまだまだ大丈夫です、平気です。(みんな放射能にビクビクしているくらいで…)

トップのキャンドル、本当に励まされました。そんなまだまだの環境にいる私でも励まされたのですから、もっともっともっと励まされる方は多くいらっしゃると思います。偽善かもしれないだなんて思わないでください。きっと、心に届きます。

長くなってしまって申し訳ありません。スペースお借りしました、ありがとうございます。JORNADAさんはじめ、ここにいらっしゃるみなさま、そしてその大切な人たち…すべての方々に。私たちは、ひとつです。

[JORNADA] 03-19 18:57 削除
お久しぶりです!
さきサンも、無事で何よりです。そして受験お疲れさまでした。思い通りの結果にならなくても、それは何か次に待ち受ける『縁』に繋がっていると思います。だから、胸を張って次のステージに行ってください。そして次こそ、ステキな彼氏を!応援しています。
私がボランティアを避け、「偽善」に対して敏感になったのは、あるドキュメンタリーでした。とある女優さんが途上国を訪ねて、路上生活をする幼い子供を見て涙する場面があったんです。私は幼いながらに、「何か違うな」と思いました。綺麗な服やアクセサリーや、化粧を身につけ、「かわいそう」と泣くなんて、絶対違う、と思いました。私は欲しい服も買うし、化粧もします。それを放棄できません。ならばこの幸福な状況を精一杯生きることが、私のできる最善だと思いました。
今回、もし私がその類の贅沢を諦め、実質的な救援に繋がるなら、そうしていたと思います。でも、そうじゃないんです。物資も義援金も、救援団体を通じてスムーズに行う必要があり、私ひとりが足掻くことは、ともすればその作業を妨げてしまう危ない行為です。それを考えた末に、勤務先での募金活動に落ち着きました。だから、私の中では一応、「偽善」から一線を引いているのですが、行為自体は何も変わらないし、それも自己満足だと思います。
でも、そうですね。届くといいです。ありがとうございます。
被災地の友人が、「ため息ではなく深呼吸を」とメールしてくれました(逆に励ましてもらっている私。苦笑)深呼吸していきましょう!それでは仕事に行ってきます。バーカウンターにキャンドルを灯してきます♪
長文失礼しました。本当にありがとうございました。

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