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□幸せはわたし
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目が覚めたら知らない部屋に居た。

飛び起きて周りを見渡すとソファーで知らない男が寝ていて思わず自分が衣服を身に着けているかを確認すると、スカートどころかきっちりストッキングまで穿いていたのでどうやら心配したようなことは微塵もなかったようだ。
だけど、もし見知らぬ誰かと寝てしまったとしても後ろめたく感じる存在などもう居ないことを思い出した途端気が抜けて、もう一度ベッドに体を沈めた。

目の周りがやけに腫れぼったいしアイシャドウはよれまくっている気がするし、そういえばつけまつげも無い。
頭の隅っこの方に微かに残った記憶を辿ると、2年付き合った彼氏に浮気されていた上にふられてその勢いで初めて行ったクラブでひたすら飲んで騒いで。そんな私の手を引いて連れ出してくれて、子供みたいに泣いていた私の背中をさすってくれたのは、きっと今ソファーで寝息をたてている彼だ。
じっと見ていたら寝返りを打った彼が小さく唸り声をあげて目を開く。目があってしばらく不自然な沈黙が続いた後、彼がおはようと呟いた。


「おはよう」

「おはようって時間でもないか」

「じゃあこんにちは?」

「うん、こんにちは。はじめまして」

「ふ、順番おかしくない?」


体を起こして欠伸をひとつ落とした彼に、コーヒーでも飲む?と尋ねられて思わず頷いてしまったけど、そういえば飲めないんだった。
急いで追いかけたら、お湯を沸かしてる最中の彼が振り返って不思議そうな顔をする。


「どうしたの」

「そういえば私コーヒー飲めないんだった」

「カフェオレは?牛乳あるよ」

「じゃあそれで」

「了解」


隣に立って、電気ポットの中の水が音を立てるのをぼうっと眺めてみる。
座ってていいよと言われたけど、誰かの傍にいないとまた泣きたくなってしまうような気がして不安で仕方が無い。傍に居てくれるなら見ず知らずの男でもいいなんて相当末期だ。


「ねぇ」

「ん?」

「なんでセックスしなかったの?」

「うーん…泣いてたから、かなぁ」

「優しいんだね」

「普通だよ、こんなのは普通。浮気しない男なんてきっとたくさんいるし、君のこと大事にしてくれる奴だっているよ」


昨日、酔った勢いでそんなことまで話してしまったのか。
彼の言う事がその場かぎりの慰めであったとしても、それを信じてしまいたいくらいに私は疲れていたしうんざりしていた。髪も化粧もぐちゃぐちゃなまま静かな水滴が頬を伝っていく。昨日あれだけ泣いたはずなのにまだ涙が出るのか。
髪に触れた彼の手の重さに導かれるままもたれかかると、こめかみがごつごつした鎖骨に触れる。
いつの日かこの瞬間を振り返って、くだらないことで一生懸命だった自分を笑うことができるんだろうか。わからないけど、いつかそんな日が来たらいい。
名前も知らない彼が子供をあやすみたいに私の頭を撫でる傍らで電気ポットが沸騰を知らせる音を鳴らす。なんて清々しくて優しい朝だろう。







幸せはわたし







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