小説ですよ〜

□言葉より伝わる思い
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 懐かしい匂いがした。
 誰しも、そう感じるものが一つはあるはずだ。
 母さんの匂い。
 父さんの煙草の香り。
 我が家の匂い。
 何かしらの思い出がある場所の匂い。
 人それぞれ様々だと思う。
 俺にとっての懐かしい匂いは、故郷の風の匂いなんだ。
 いつも吸っているはずの匂いなのに、今日はヤケに懐かしさが感じられる。
 夕焼け色に染まった空の下、いつものように田んぼ道を歩く。
 見慣れた景色に、聞き慣れた鳥やセミたちの鳴き声。
 ここが三須村だということを実感させてくれる。
 俺は、この村から出た経験がない。だから、故郷を懐かしむなんて気持ちはわからない。
 でも、自分にとってここが居場所なんだという事はわかる。
 この村を出て行く人は大勢いるが、俺は出て行く気はない。
 高校だってあるし、それなりに充実した生活だっておくれる。
 なにも問題なしだ。
 田んぼ道をしばらく歩くと、住宅街に着いた。
 都会に比べれば寂れているが、この村で一番活気付いている場所だ。
 駄菓子屋もあるし、最近ではコンビニもできた。
 みんな良い人ばかりで、ゆったりした雰囲気が流れている。
 何人かの知り合いと挨拶を交し、家へと急ぐ。
 家の前には、一台の車が止まっていた。
「……なんだ。親父、帰ってきてるのか」
 俺より早く帰ってきてるなんて、本当に珍しいなぁ。なにかあったのかな?
 首を傾げながら引き戸を開けると、そこには親父の靴が置かれていた。
「ただいま。……親父?何してるんだ?」
 ガタガタと音が聞こえる台所に入ると、親父は包丁を握って魚を捌いていた。その表情は真剣そのものだった。
 たぶん、声を掛ければ手を滑らせて指を切ってしまうだろう。
 だから、俺は黙ってその一部始終を見守ることにした。
 包丁を色んな方向に傾け、どうすべきか悩んでいる。
 見るに見兼ねて、声を掛けた。
「……まずは、腹を捌くんだよ」
「おわっ!?紗輝、いつの間に?」
 俺の声に、親父は驚いたように振り返った。
「……あっ」
 注意を促そうとしたときは、すでに遅かった。
「ぎゃぁ〜〜っ!!」
 親父が握っていた包丁は、正確に親父の人指し指を切っていた。
「……まったく。なにやってるんだよ。不器用だなぁ」
 ため息を吐きながら、救急箱から絆創膏を取り出す。
 俺、絶対母さんに似たんだな。
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