いただきもの

□俳優パロ
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「高野ォ! 吉野千秋が脚本直すって本当か!」

 バタン、と防音扉がすさまじい勢いで開いて、舞台監督である横澤隆史がズカズカとホールに入ってきた。
「台本読みの最中に入ってくるな、ったく」
「関係ねぇ。むしろこっちが優先事項だ!」
 演出の高野政宗が、溜息を漏らしつつ芝居を止める。
 ホールでは今、できたばかりの台本を手に役者達が台本読みをしていた。パイプ椅子で主要のキャラが台本を片手に円になり、動きはなしで台詞だけを追っていく練習である。
「あーあ、また始まった」
「また・・・・・・って、日常茶飯事なんですか? これ」
「うんわりと。律っちゃん、お茶飲む? せっかく休憩なんだから、みんなの分も持ってこよっかなー」
「あ、俺が行きます」
「小野寺さん、手伝いますよ」
「ありがとー。羽鳥は? いる?」
「いや、いい」
 稽古着姿の小野寺律と、芝居の練習中だというのに普通に私服っぽい服装をしていた雪名皇が、ほぼ同時に台本を置いて立ち上がった。
「ま、今回はマシなほうなんじゃないの?」
二人の後ろ姿を見送りつつ、木佐が隣の羽鳥に話しかける。
「まだ配役決まって、立ち稽古もしてない段階じゃん」
「マシなわけあるか!」
「うぇっ・・・・・・」
 耳ざとい舞台監督に怒鳴られ、木佐は慌てて口を閉じる。
「演出と役者の感覚でカウントしたら『まだマシ』な段階だろうが、宣伝用のポスターやらパンフレットやらを任せられてるこっちは公演の何ヶ月も前から仕込まないといけねぇんだよ!」
「あーあー、悪かった。今度からは知らせる」
「今度ってお前――――」
「うちの脚本家が、一回の手直しだけで気が済むとは思えねーからな。だよな、羽鳥?」
「・・・・・・すみません。よく言って聞かせます」
「高野さん、台本が変わるならスタッフ陣にも知らせてほしかったんだけどなー。照明は、もうこないだ渡された台本で考えてるんだけど」
「あぁ、すまない」
 ホールの隅にいた人物に指摘され、高野は今度は素直に謝った。
 ニコニコと柔和な笑顔を浮かべていたのは、音響や照明の仕込みを担当している美濃奏だった。
 キャスト陣の後ろに控えていたその他大勢のエキストラも、一気に弛緩した空気で雑談を始める。高野は「仕方ないな」と呟いて、
「いったん休憩だ。ちょっと、舞台監督と話してくる」
「話を付けてくる、の間違いだろ」
 物騒なことを言い合いながら、舞台劇における二大勢力(しかも思考は両極端)である演出と舞台監督がホールから姿を消した。

 俳優養成所から独立したプロの俳優を扱う「エメラルド事務所」は、今年の春の公演に向けて稽古を始めていた。
 エメラルド事務所は、舞台劇だけにとどまらずテレビドラマや声優、ビデオナレーターなど幅広い活動に取り組んでいる大手のプロダクションである。今の情報化社会において主な「芝居」といえばテレビドラマだが、エメラルド事務所が重要視するのはあくまで舞台劇だ。毎年、春夏秋冬の年四回の定期公演は欠かさない。
 今年も、三回目の秋公演に向けてキャストとスタッフが集い稽古を始めたばかりなのだが、

「まぁ、俺も台本が渡された次の日に七ページ分ごっそり訂正が入るとは思いませんでしたけど」
 今年、養成所の青年部を卒業して事務所入りした新人の小野寺が、お茶の紙コップを片手にぼやいた。
「ふぅん。でも、律っちゃんって養成所の頃からドラマとか映画とか出てたじゃん。その時はなかったの?」
「稽古中に細かい台詞回しが変わることはありましたけど、あらすじまで変わってしまうというのはあまり・・・・・・。っていうか、舞台劇ではこれが常なんですか?」
「いーやー? これは、吉野千秋大先生のなせる技だよ」
 木佐の揶揄するような言い方に、暗い溜息を吐いたのは羽鳥だった。
 吉野千秋とは、エメラルド事務所の舞台劇を中心に活動している脚本家である。舞台劇だけにとどまらず、ドラマのシナリオやゲームのプロットにまで着手しているという人気脚本家だ。
 エメラルド事務所の定期公演は全て彼の脚本を使っているのだが、どんなジャンルでもオールマイティーにこなす大先生には致命的な欠点がある。それは、極端に締め切りを守らないことだ。
 自分に厳しいのかただの優柔不断なのか、台本が完成しても何度も何度も書き直す。下手したら公演の三日前に全体の三分の一くらい直したりするので、役者泣かせと評判の人だった。
「本当に、キャストと先生の橋渡し役である羽鳥がいなかったらどうなっていたことかって感じぃ」
「・・・・・・・・・」
 そして、そんな脚本家の不手際は幼なじみにしてキャスト陣である羽鳥芳雪に回ってくる。いい迷惑だった。
「今回は早めに書かせるというか諦めさせる。初参加の面々もいるしな」
「あー、だねー。でも、正直律っちゃんとかは始めてって感じしないんだよなー」
 ぽてっと律の肩に頭を置いて、木佐はにこーっと笑いかけた。律はとたん苦い顔になって、
「やめてくださいよ。今までのはほとんど俺の力じゃないですから」
「まぁ、宣伝しやすいしね」
 美濃がすんなり話に混ざってきて現実的な発言をする。
「有名な演出家さんの一人息子って、かなりベタでいいし」
「美濃、いきなり入ってきたくせに黒い発言するよな」
 木佐のつっこみは掠りもせずに受け流された。
 律は、大手劇団を創立させた有名演出家の一人息子で、養成所時代からドラマで主要な役をもらったりしていた。そのまま芸能界でテレビ俳優として活動することも充分可能だったが、あえて経験のない舞台劇の世界に入ってきたのである。
 ここでは一番の新入りとされているが、ネームバリューでは格違いである。全国版のテレビとは違い、舞台俳優は舞台の中でしか輝けないのだ。
「でも、顔が売れてるってことで言ったら雪名さんの方がすごいじゃないですか」
「・・・・・・っ! ぐはっ、」
 不意打ちのつもりは全くなかったのだが、その名前を聞いた瞬間今まで余裕面をしていた木佐が盛大にお茶を吹き出した。
「木佐さん? どうかしましたか?」
「律っちゃんサイテー・・・・・・」
「えっ!? 何か分からないけどすみません!」
 混沌としてきた。休憩時間だというのに、なぜかちっとも心が安まっていない。
「もういいよ、俺、一人で台本読みしてくるよ・・・・・・」
「だから何ですか!」
「そういえば、今回の定期公演にアイドルグループ所属の雪名皇が出るって話を聞いたときも一番慌ててたな」
「羽鳥、黙らない? 提案なんだけどさ、口閉じない?」
 だんだんと木佐が真顔になってきた。
「でも、顔が売れてるからってこの中では俺が一番初心者だと思いますよー。ドラマならまだしも、舞台劇の経験とかなかったですし」
「あー、テレビと舞台だと発声の仕方とか違いますしね」
 律もしみじみと頷いて、
「さっき、台本読みしててびっくりしましたもん。木佐さんなんか声色も変わってましたし」
「地声で小学生の役なんてできませーん。もうそういう役ばっか回ってくるから慣れたけど」
 舞台俳優で小柄で童顔という属性は、わりと重宝される。滅多に演じきれる者がいない子供枠に回されていくのだ。
今回の劇でも、当然のように小学三年生の役を言い渡された木佐は半ば諦め気味で「あー、ハイハイ」と受け入れていた。
「そういうときって、子役使ったりはしないんですか?」
 雪名の問いに、木佐はうーんと呻って、
「テレビならいいけど、舞台だからさ。子供だとちゃんと声が届かないじゃん、マイク使うわけでもないのに」
「なるほど」
「まぁ、発声の仕方が違うのはこっちも同じだが」
 羽鳥の呟きに、律は首を傾げる。
「そうなんですか? 声量落とすだけなら――――」
「その落とすっていうのが難しい」
「分かる! 動作も台詞回しも大げさになっちゃうしねー」

 話がまともな方向で盛り上がってきたちょうどその時、

「くそっ、練習再開するぞ!」
 すごく機嫌が悪くなって帰ってきた演出に、キャスト陣はぞっと背筋を冷たくした。

 秋の公演は、今までと趣向を変えてほのぼのした人間ドラマとなった。
 演目は、『五色すみれ』。田舎の学校に赴任された新米教師が、下宿先のアパートで様々な人と交流する話である。主人公の教師役は、小野寺律。宣伝部の方で話題を呼ぶためにと配役を決められてしまったらしく、当の律はひどく悔しがっていた。
 羽鳥は、アパートの大家であり案内人でもある町人の役。雪名は、アパートに新しく入ってきた都会から越してきた若者の役である。
 そして、

「木佐さんの役って、思いっ切りヘレン・ケラーですよね」
「ん? あー、そだね」
 立ち稽古の直前、雪名に言われて木佐は曖昧に苦笑した。
 木佐の役柄はマンションに住む未亡人の息子という設定だった。小学三年生だが学校には通っておらず、アパートに幽閉されたような生活を送っている。そして、彼は幼い頃の病気が原因で視力と聴力を完全に失っているということだった。
「でも、ほら。障害を持ったのが六歳くらいだっていうから、言葉くらいは使えるし。ちゃんと最後の方に台詞もあるから」
 ホールの隅で喋っていると、
「おら! キャスト陣、早くポジションにつけ!」
と機嫌最悪の演出家から指示が入る。はいはーい、と返事をしながら、木佐は舞台に入った。
「第一幕の、教師がアパートの住人に挨拶するところから。小野寺の台詞、『昭和ロマンという感じで、趣がありますね』からシーン終わりまで」
「はいっ」
 パタパタと走って、律もポジションに入る。
「じゃあ、行くぞ。よーいっ」
 エキストラもそれぞれの場所につき、第一回目の立ち稽古が始まった。
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