いただきもの

□それは、ひどく柔らかい温かさだったとか。
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目を覚ますと、そこは異世界だった。
 なんていうできの悪いファンタジーみたいな前書きは、できればしたくない。しかし、今の小野寺律の状況を表すのに一番適している言葉がそれしか見当たらなかった。
「これは、一体――――」
 カラフルな内装のスタジオ。並べられた回答者席。そして、無数のカメラ。裏方のスタッフやカメラマンは一人もいないが、無人というわけでもない。
「小野寺、何やってるんだ。早く席に着け」
「え?」
 見ると、正面の回答者席は見慣れた顔ぶれで埋まっていた。
 二人組のセットになった回答者席は、全部で七セット。どうやらペアで座っているようだが、一つの席が空いていた。
 そしてその席の隣にどかっと腰を下ろしているのは、自分の上司にして元・恋人という邪気の塊――――高野政宗だった。
「はぁあ!?」

 それが、始まりだった。

「あ、律っちゃんだー」
 なぜか席に座らされていた木佐が、そんな律に向かってニコニコと手を振る。
 律はバッと立ち上がり、正面衝突しそうな勢いで彼に食ってかかった。
「木佐さん! どういうことなんですかこれは!」
「そう言われても・・・・・・俺たちも、よく分かんないんだよね」
 ね、と同意を求めたのは、隣に座っているいかにも王子様みたいな好青年だった。
「ハイ。他の方々も、詳しいことは知らないらしいですよ」
「他の人、って――――」
「あ、小野寺さん。お久しぶりです」
 三人の会話に、身を乗り出すようにして入ってきたのは吉野千秋だった。新年会で挨拶をしたときに顔が割れたが、それ以来わりと屈託なく話しかけてきてくれる。
 しかし、こんな妙ちくりんな状況で平和に笑いかけられても困るというものだ。ペアにされている羽鳥も、呆れたような表情だった。
「えっと、吉野さんも・・・・・・?」
「はい。なんて言うのか、『話に乗らなくちゃいけない』気がして」
「はぁ」
 たしかに、そんな気もしないことはない。
 というか、強引にテンポに流されてしまっているような。
「おっ、七光りー。お前で最後か」
「井坂さんもですか!?」
「うん、なんか。よく分かんないけど流れで。お前らもそうだよな?」
 そう言って井坂が振り返った先には、
「んだよアンタ! 気安く話かけるんじゃねぇ!」
「あー、忍ちん。せめて俺じゃない年上には敬意を示しなさいね」
「っていうか本当になんなんですか! 俺、本気で論文終わってないんですけど!」
「こっちにもいたか」
「ヒロさん、大丈夫です。俺が応援します!」
「お前が応援して何になるんじゃ!」
「少なくとも弘樹のモチベーションが上がるな」
「上がるか! 黙れ秋彦。つーか橋、そいつの口なんかで塞いでろ!」
「・・・・・・・そんなこと言われても・・・・・・」
「唇で塞いでみるか」
「黙れクソウサギ!」
 なんか、もう色々と混沌地帯だった。
 とりあえず――――皆に共通していること。『何かに流されている』。逆説的に最悪な状況だ。

▲▽▲▽

『・・・・・・放してください』
 事の発端は、うまく思い出せない。
 ただ、いつものように他愛のないやりとりで――――ふっとスイッチが入ってしまったのだと思う。
『やだ』
 あと一歩、いや半歩で自宅であるマンションの玄関に逃げ込めるというのに、目の前の男はいっこうに拘束した腕を解放してくれない。
 外気は刺すように冷たいのに、首筋からツゥッと汗の球が伝った。
 喉が強ばったように、笛の音を上げている。
『あのさ』
 頑なに目を合わせないでいると、男の低い声が鼓膜を揺らした。
『お前、本当に――――』

▲▽▲▽

『第××問。大正十年に雑誌「赤い鳥」で発表された芥川龍之介のシナ上海をモデルにした小説の題名は』
「はいっ、アグニの神です!」
 素早く解答ボタンを押した律に、三ポイントがプラスされた。
 傍らで解答権を放棄した高野が、
「お前、適応早いな」
と独り言のように呟いた。
「律っちゃんすごいねー」
「い、一応得意分野だったもので・・・・・・」
「宮城、テメェ教授だろ!」
「オジサンの専門は芭蕉だからなー」
『日本国内で、松尾芭蕉の銅像を建てている場所を九つあげよ』
「中尊寺境内、氣比新宮、大垣市「奥の細道」結びの血、松尾翁生家、上野市駅前、伊賀市役所伊賀支所、慶雲館、浄土寺、新大仏寺」
「教授それ反則じゃないですか!」
「冷たいこと言うなよ、上条」
「あーあーあー、こういう話になると一般はハブられるんだから」
 眼を細くした木佐が、完全に無視されつつあるその他大勢の気持ちを代弁した。
 すでに一般人はついて行けないレベルになっている。
『では次に、ジャンルを変えて。画家であるヨハネス・フェルメールの代表作、別名青いターバンの少女と呼ばれている絵画は?』
「真珠の耳飾りの少女!」
 そして舌の根も乾かぬうちに一般人の括りから外れた木佐だった。
 果たして、このジャンルは「普通」なのかどうか皆が思案していると、不意に雪名が呟いた。
「・・・・・・あの、それってもしかして俺が好きな画家だから・・・・・・?」
「なっ!?」
 木佐の肩が、大仰なほどびくんと跳ねた。返答をしたも同じである。
 何やら静まりかえったスタジオで、みるみるうちに雪名の瞳が輝いて――――
「嬉しいです木佐さん!」
「うぎにやぁぁぁぁああああああ! 放せ放せ放せぇぇえええ!」
 いきなり抱きすくめられ、木佐が熟れた林檎のような顔色になってばたついた。
「・・・・・・腹が立つ」
「えっ、ちょ、ウサギさん!?」
 とある菊川小作家が呟き、
「なんか、デジャビュがあるな」
「え? どうしましたかヒロさん?」
 とある幼なじみがぼやき、
「・・・・・・宮城・・・・・・」
「触発されるなよ、忍。オジサンに変な期待しないように」
 とある大学教授が隣から発せられる鋭い視線から目を逸らした。
 とたんに険悪な雰囲気になったスタジオに、
「えーっと、あー、その辺にしとけ? 代わりに心が温かくなる話をしてやるから」
 一応、取締役としての責任感からか、井坂がスクッと立ち上がった。
「そんな心の狭いところでぐちゃぐちゃしてても仕方ないぞー。あのな、昔々あるところにいた某七光りは好きな奴にキスしようとしたら思いっ切り拒まれた上に黙って出て行かれて、挙げ句の果てには引っ越し宣言した上に大昔の鉢植えを押しつけ――――」
「龍一郎様、貴方がお黙りなさい」
 剣呑な空気は悪化してしまった。ここら辺で、明るい問題でも出してもらわないとどうにかなってしまいそうだ。
『では、次は本当にメジャーな問題。肉じゃがを作る過程は?』
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
『・・・・・・え?』
 一瞬にして凍り付いた。
 気まずい空気の中、果敢に手を上げたのは某百万部少女漫画家だった。
「あー、えっと、ジャガイモを切ります」
「・・・・・・」
「肉を切ります」
「・・・・・・・・・」
「いろいろと煮込んで、おしまい?」
「お前もう口を開くな」
 そして、できの悪い息子の授業参観日に来たお母さんみたいに暗澹と息を吐く羽鳥。
「小野寺、お前いってみれば?」
「たっ、高野さ・・・・・・! えっと、鶏肉ですか? 豚肉ですか?」
「いいや。黙ってろ」
「えぇっ!?」
「野分、あの半透明の液っぽい調味料は入るのか? あの味がないやつ」
「ミリンのことですか?」
「そうそれ!」
「忍ちん、君は何か――――」
「俺はキャベツ専門だから分かんない」
「さいですか」
「龍一郎様はお分かりですか?」
「はぁ? んなのお前に作らせれば万事解決だろ」
「木佐さんは、俺が作るから万事解決ですよ?」
「もうこれ以上、王子様にならないで・・・・・・」
 ざわつく回答者陣に、滞る解答。
 そんな中、
「・・・・・・そもそも、根本的に間違ってる・・・・・・」
 ぼそっと低い呻き声と共に、ゆらりと立ち上がる人影があった。
 苦労性の大学生、橋美咲はぐっと拳にした両手を震わせて、レベルの違う回答者達を睨めつけた。
「煮込む順番は、肉が先なのは必須! 食中毒になったらどうするんだよ、野菜なんか生でも食べられるんだから肉が優先! そしてミリンだけドバドバ入れても苦いだけでしょうが! めんつゆと砂糖をベースにしてミリンは様子を見ながら! そしてキャベツが専門なら何で煮物が分かんないんだよ、キャベツの煮物とかあるじゃん!」
「キャベツの煮物!?」
 ガタンッと忍がいきり立った。
「何それ、煮るのか? 煮るのか?」
「エノキとか薩摩揚げとかと一緒に。あと、鰹節とかも絡めて。今度教えようか?」
「うん!」

 ちなみに、この解答で宇佐見・美咲組のポイントは五倍に跳ね上がったという。
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