夏目
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「夏目様、どうかお助けください。私の友が挟まって動けなくなってしまったのです」
狐のような獣の形をした妖に引っ張られて来てみれば、なるほど同じ姿の妖が動けなくなっていた。
ううん、と夏目は唸る。
挟まれている、に違いはないのだが、祓い屋の紙人形によって地面に縫い止められてしまっているのだ。
「これは厄介なんじゃないか…?俺は術のことはわからないから…」
そう言いながらも剥がそうとしたり破ろうとしたりしてみるのだが、連なって縄のようになり妖怪を拘束する紙人形はびくともしない。
簡単な術なら単純な力業で破ってしまえる夏目だが、どうもこれはそう簡単に済む代物ではなさそうだ。
「先生、これどうにかできないか?」
端で高見の見物を決め込んでいたニャンコ先生に、ダメもとで尋ねてみる。
「なぜ私がこんな下級のために働かなければならんのだ。頼むなら饅頭寄越せ!」
「じゃああとで買ってやるからコレをどうにか…」
「…む!七辻屋のにおい!」
「え?」
ニャンコ先生が猛然と振り向き道の向こうに狙いを定める。つられて夏目もそちらを振り向いた。
確かに人がいる。
髪の長い女の子で顔はよく見えないが、手に持つ袋が七辻屋の饅頭なのか。
まずい。ニャンコ先生の目の色が変わっている。
まさか饅頭を強奪しにかかったりは…そこまでの分別…いやでも食い意地の張ったニャンコ先生のことだし…。
悶々としながらもニャンコ先生の様子を伺い、もし襲いかかるようなら止めに入るつもりだった。
が、だんだん近付いてきた人影をよく見てみれば、なんと知った顔である。
「あれ、夏目。それに斑も」
「……千尋か」
向こうもこちらに気付いて駆け寄ってくる。
淡いグリーンのチュニックにスキニージーンズ、足元は華奢なサンダルという軽快な服装。
休日にわざわざ遠出して七辻屋の和菓子を買いにくるあたり、なかなか物好きだ。
これにはさすがのニャンコ先生も戦意を喪失したらしい。
飛びかかろうとはせず、ただ恨めしそうに七辻屋の袋を睨みつけている。
「なに、饅頭欲しい?あげないよ。こんな所でなにしてんの?」
夏目とニャンコ先生、獣の妖怪たちの間で目を行ったり来たりさせながら千尋は首を傾げた。
彼女に話してみようか。夏目は考えた。
常に他人を巻き込むまいとする夏目にしては珍しい発想だということに、夏目本人はこの時全く気付いていなかった。
自分と同じものが見え、しかも妖怪に対して好意的な千尋なら快く手を貸してくれるだろう。ただその考えだけが頭にあったというだけのことだった。
「実は……」
「なるほど。囚われのお狐様か」
「いえその、我らはそのような高等な妖ではありませんが……」
「まあまあ、言葉の綾ってやつ。それよりコレ、随分高度な仕掛けみたい」
屈んでまじまじと紙人形を検分する千尋。
不安そうにしている獣の妖怪と夏目はその手元を覗き込み、問いかけた。
「わかるのか?」
「まあ、ね」
歯切れ悪く、ふいっと目を逸らす。なんだかいつも自信に溢れた千尋らしくないなと思った。
千尋は下がってと夏目に言うと、なにやら印を組んでぶつぶつ呪を唱え始める。
「……解印」
パン、と手のひらを打ち合わせる。
と、紙人形がバラバラに破れていって狐妖怪の拘束を解いた。
自由になった狐は夏目のもとへ助けを求めてきた狐としばしじゃれ合った後、ありがとうお二方と恭しく礼を言って茂みの中へ消えていった。
それを手を振って見送り、千尋と夏目は揃って首を傾げる。
「一体なんだったんだろう。紙人形ってことは…祓い屋なのか?」
「ううん…でもこんなの仕掛けられるのって……」
と、その時。
ガサガサと道の端の茂みが揺れて、二人は勢いよくそちらを振り向いた。
ニャンコ先生もピンと耳を立てて警戒する。
「君たちそこで何を……夏目?」
茂みから姿を現したのは和装の人影。
目深に帽子を被っていようと決して見間違えることはない。名取だ。
「な、」
「名取っ!?」
夏目がなにか言おうとするのを遮って、千尋が人差し指を突きつけながら声を上げる。その上ひどく険悪な雰囲気を醸し出して名取を睨みつけた。
「なんで名取の若サマが夏目を知ってるの!」
「千尋か!?どうして君が夏目と一緒にいるんだい」
「えっ、名取さんと千尋って知り合いなのか?」
それぞれ騒ぎ立てたあと、収拾がつかなくなって妙な空気の沈黙だけが残る。
まさに三竦み状態。
夏目が困惑する足元で、ニャンコ先生が呑気にあくびなんかしていた。
3人と1匹、この妙な取り合わせはひとまず雑木林の中の落ち着いた場所で七辻屋の饅頭を食べながら話すことにした。
饅頭はその大半がニャンコ先生の腹の中に消えていくわけだが。
「千尋は…その、祓い屋の家系の子でね。私とも幼い頃からの顔馴染みなんだ。こんな所で久しぶりに会ったから驚いたよ」
「ということは千尋も……祓い人、なのか」
「違う。こんなのと一緒にしないで。私はもう一門を抜けてる」
黒髪を掻き上げ千尋は言う。半眼の黒瞳は冷ややか。
「昔はよくわからないままに修行させられて、いくつか術も覚えたけど…」
「ほう。夏目の祟りを祓ったのもそういうことか」
ニャンコ先生がニヤニヤと目を細める。
夏目とて、初対面で助けてもらった時のことは忘れるはずがない。祟りは簡単に祓えないと先生に聞いて不思議に思っていたが、今ようやく合点がいった。
「浄化や結界の術が中でも得意なの。まあ今はそれも、妖怪たちとうまく付き合うための手段の一つでしかない」
「うまく付き合う、か。相変わらずだよ、君は」
「うるさい名取」
祓い人の知識を持ちながら、祓い人にはならず、人にも妖怪にも分け隔てなく接する千尋。
……ああ、やっぱり眩しい。
「夏目?」
ニャンコ先生がこっそり声をかけてくるのだが、微笑だけを返す。
大丈夫、と口にできなかったのは、きっと本当は心がぐらぐらしていたから。
「それより祓い屋がこんなところでなにを?」
そんな夏目をよそに千尋と名取が話を進めている。
明らかに年上の名取にタメ口、呼び捨て、機嫌悪そうに組んだ腕。
旧友のような幼なじみのような関係だと聞いたものの千尋の態度はとてもそういうふうに見えないのだが、これも親しさ故なのだろうか。
「もちろん仕事だよ」
「…へえ。場合によっては……」
「おっと勘違いしないでくれ。今回の獲物はヒトの作った妖だ」
とある一門が、妖気や悪意のような実体を持たないものに形を与え式として使役する術を使うのだ、と名取は言う。
しかし術が不完全だったのか、式となるはずの妖怪が暴走し人里近くまで下りてきてしまった。
それを祓うか封じるかするのが今回の名取の仕事。
狐妖怪を捕らえた罠もその妖怪を狙って仕掛けたものらしい。
「祓い屋一門の術で被害が出たなんてバレたら失脚騒ぎだからね。ただの妖怪退治と見せかけて祓ってしまおうという魂胆さ。千尋、文句は無いだろう?」
「……それは、心を持たない妖なんだよね?」
「正確には妖ですらない。衝動と力だけが一人歩きしているようなものだよ」
「そういうことなら、まあ。でも名取の若サマって噂に聞くといつも貧乏くじを引いてるようだけど、本当みたいね」
「はっはっは、名取の若サマだなんてツレないなあ。昔みたいに周ちゃん、って…」
「わーっ!わーっ!」
千尋は名取の台詞をかき消すように慌てて声を荒げた。
その必死の表情は夏目の見たことのないもので、さらに言えば今まで千尋に対して抱いていたイメージとはかけ離れたものであったのだが意外としっくりくる。なんだか微笑ましい。
こっちを睨んでくる千尋の目線が「なにニヤニヤしてる」と非難しているように見えて、そういうのは苦手なのにと思いつつも助け船を出すべく夏目は話題を変えた。
「えーと、名取さん、さっき言っていた『とある一門』ってもしかして…」
「知らない方がいい、夏目。私も知らないことになっている」
「はい…」
ただ、事の次第を聞いたときに感じた嫌なえげつなさには心当たりがあるような気がしたけれど。
あの隻眼の祓い人を思い浮かべた。
…が、名取を困らせてまで探ろうとは思わない。杞憂であればそれでいいのだし。
と、そこへ。ひゅう、と軽やかに空を切って、名取の手元に一枚の紙人形が舞い戻ってくる。
どうやら偵察用らしい。
名取が紙人形へ注意を向けているその隙に千尋が親指を立てウインクしてくれた。よかった、ちゃんと意志疎通できていた。
「捜しモノが見つかったよ」
こちらを振り向く名取の帽子の下は、先程とは打って変わって真剣な顔つきだ。
「君たち、手伝ってくれるかい?」
「はい」
迷いなく即答したのは夏目。
「なっ!お前はまたそうやっていらんものに関わりおって!」
今まで黙っていたニャンコ先生が足元で騒ぐ。
夏目の足首に噛みつかんばかりの剣幕だ。
それでも夏目は譲らなかった。
「いいだろ先生。悪いものがこの辺りにいるなら、ほっておけない」
「…まったく。仕様のない奴め」
ニャンコ先生も近頃は夏目のこの性分に慣れてきたようで、憮然としたままではあるがあっさり許可を出してくれる。
この大妖怪は、結局は夏目に甘いのだ。
そんな様子を見ていた千尋がケラケラと笑った。
「あははは!じゃあ私は、夏目なら守ってあげる。さっきの借りがあるしね」
「おや千尋、私は?」
「若サマには式がいるでしょう……ってこら!いちいち頭を撫でるな!」
「いやあごめん、つい昔を思い出して」
「何年前の話だ!はーなーせー!」
20120229