夏目

□闇に踊る
1ページ/1ページ


的場静司の影武者として会合に出る。
口で言うのは簡単なそれは、実際のところは凄まじい混沌の渦に足を踏み入れることと同義だった。

千尋は自らを叱咤しながら七瀬に感心されるほどの「当主」を演じ、その一方で的場の敵が攻撃を仕掛けてくるのを今か今かと警戒している。
声まではごまかせないので挨拶や交渉事は七瀬が代行してくれているが、表面だけ取り繕うのにすら千尋は必死で、話せと言われてもなにも喋れないだろうと思う。
この一晩だけで神経が焼き切れてしまいそうだというのが正直な感想だ。

(静司は…こんなものと、戦って…)

気を緩めることは許されない。
あちらこちらから突き刺さる羨望、打算、嫉妬、怨恨。
的場一門の力に縋る者、取り入ろうとする者、憎しみを抱く者。

どんな感情を浴びせかけられても平然と振る舞い、眼の奥に負の感情を宿した者たちと相対しても顔色を変えてはならず、一瞬たりとも気は抜けなかった。
隙は見せられない。的場の名を辱めることはもっとできない。

(誰も守ってくれない、一門を守らないといけない、周りは敵しかいない)

ある種の極限状態の中、いつも的場静司が湛えている、あの冷たく暗い底の知れない眼差しをなぞっていた。
この場を切り抜ける最適な方法だと思ってやっていただけのことだったが、気付けばそれは的場と同じやり方だった。


人のほうが怖い。妖怪よりずっと。

きっとこれが静司の言う、的場の闇。

的場静司のあの底冷えする冷たい眼は、こういうものたちと戦っている顔だったのだ。

同じところに立ってみて、今やっと、的場静司を理解し始めることができたのだと千尋は思う。




闇に踊る




一通りの挨拶周りが済んで、千尋扮する「的場」は少し離れたところから参加者たちを見回した。
ひとまず影武者だということには気付かれなかったらしい。信じられないことだが。
的場にまとわりついてくる者たちにとっては「的場」の看板しか目に入っておらず、中身なんてどうでもいいのかもしれない。

「七瀬さん、どう?」

そばに控える七瀬に小声で耳打ちをする。

「まだ奴に動きはない。辛抱しな」

「はあい…」

千尋の緊張は常に張りつめて、普通の状態ならとうに限界を超えているところまで達していた。
極限状態に晒されているからこそギリギリ保っていられるのだ。なんとも皮肉な話である。

来るならさっさと来い。
そう念じて参加者の群衆を睥睨する千尋。
冷たい目つきが随分板に付いた自分に悲しくなる。

もう、この会場にいるのは息苦しくて堪らない。
早く問題を解決して「当主」の鎖から逃れたい。

(……息苦しい…って……あ、れ……?)

なんだか様子がおかしくはないか。
雰囲気に呑まれたにしてもこれは…本当に息がしにくい。

(呪詛!?)

気付くと同時、ぐらりと足下が傾いたような感覚に襲われた。
倒れるわけにはいかない。今千尋は「当主」なのだ。的場当主が無様な真似を晒してはならない。精神力だけでぐっと堪える。

そこで七瀬が千尋の異変に気付いたようだった。
さりげなく大衆の目から千尋を隠すように移動しながら、

「どうしたんだい」

鋭い視線を投げ掛けてくる。

「呪詛が…」

一体いつの間に。…否、恐らく会合が始まった瞬間からだ。誰にも、千尋自身にすらも気付かれないくらいに少しずつ呪詛に侵されて今に至るのだろう。
じわじわと忍び寄る的場の敵は、長い時間をかけて確実に命を狙ってくるほどに本気なのだ。

(……本当に命を狙われるんだ、「的場当主」は)

こんな時、静司ならどうするだろう。
術で、或いは式を使って敵を追いつめるのか。もっと冷酷に、呪い返しでも仕掛けてしまうのか。

あの冷たい薄い笑みが頭にちらつく。

助けて、なんて思えなかった。
彼はいつも一人で戦っている。

これに立ち向かわなければ、もう的場と対等に話す資格は千尋には無いと思った。
唇をぐっと噛んだ。そして決意する。

「七瀬さん、外の空気が吸いたい。一人にさせて」

「馬鹿を言うんじゃないよ。そんなことさせられるものか。それより呪詛を」

「呪詛は自分でなんとかする。静かなところで集中すれば平気だから。それより、「当主」が一人で会場を離れたら敵はきっと動くと思う。そこを押さえれば…」

はじめこそ拒んだ七瀬も千尋の眼が真剣なのを見て思い直したようであった。
渋々とではあるが頷くと、式を待機させておく場所と合図の送り方を簡単に打ち合わせる。




さりげなく、を装って千尋は会場を離れた。

人気のない縁側にひとまず腰を下ろす。目の前にはよく手入れされた庭があるはずだが明かりが少ないせいでよく見えない。

取り繕う必要がなくなった途端、千尋の呼吸が荒くなる。呪詛に苦しめられて息がしにくい。
青白い顔で肩を上下させながら印を組み浄化の術を唱えはじめる。

呪詛は厄介な種類のものだったが、徐々に息が楽になってきた。

と、その時。

明かりのないはずの庭に、ぽう、とぼんやりとした光が浮かび上がる。
直感的に危機を感じて、千尋は浄化の術を中断し結界の術に切り替える。
音もなく飛来する青白い光。…狐火!
千尋に迫った狐火は危ないところで完成した結界に弾かれ、虚空に霧散する。

しかし、息をつく間もなく、またしても狐火が庭をおどろおどろしく照らす。今度は複数。

「くっ…!」

千尋は小さく呻いて結界を強固にするべく呪を紡ぐ。
その傍らで七瀬に合図を送ろうと右手を高く掲げた。

これで式たちが助けに現れるはずだった…が。

それよりも早く。

「失せなさい」

千尋の背後から呪符が放たれた。

それは狐火を打ち払い、さらに姿の見えない術者にも届いたようで、暗闇からぎゃっとくぐもった悲鳴が聞こえる。

遅れてやってきた七瀬と式たちが術者を捕らえたようだったが千尋にはそれを気にする余裕はなく、助かったという安堵に足をふらつかせて背後に倒れ込みそうになる。
その肩を誰かの手が支えた。

「大丈夫ですか?」

千尋のうしろにいたのは本物の的場静司だった。
呪符を放って千尋を助けたのも彼だ。
いつもはどちらかというと恐ろしいと感じる的場に、今は安心感を覚える。

「なんで…ここに」

礼を言うかどうしようか迷って、結局千尋が口にしたのは憎まれ口。
眉間にシワを寄せてしまうのは認めたくはないが照れ隠しだった。

「ギンジに様子を報告させていたんですよ。それにしても驚いたな。まさか自ら囮になるような真似をするとは思いませんでした」

「…それは、」

千尋は眼を泳がせる。
影武者を引き受けた時点でもう囮でしかないでしょう、と言い捨ててしまえばいいのに、なぜかそれが躊躇われた。

「静司が、一人で戦ってきたのがわかったから。私も一人で立ち向かわなきゃって」

この会合で見たもの、感じたことを、今ここで的場に伝えなければならないような気がした。

「凄いと、思ったの。的場の当主って立場があんなに重いと思わなかったし、あんなところで戦える静司は凄い。凄すぎて、無理も我慢も誰にも悟らせないんだってわかって」

「…………」

「だから私はせめて同じ場所に立ちたかった。静司と同じように戦わないとって思ったの」

「……っ」

千尋の身体を支える的場の手が急に離れた。
不思議に思って振り返る。

的場は下を向いて口元を片手で覆っていて、僅かに伏せられた眼は潤んだように揺れていた。

どき、と心臓が跳ねる。
なんなのだろう、この色香は。

こんな的場は見たことがない。

「貴女はなんと言うか…本当に予想外だ。会合に当主として出て考えたことがそれですか」

「え…?」

「私の所業を糾弾してくるか、怖じ気づいて逃げ出すかと思いましたが、ね」

芯を取り戻した的場の瞳が千尋を捕らえた。
危険な雰囲気を漂わせておきながらも、冷徹だとは感じなかった。
妙に落ち着かない。熱っぽい視線、とも形容できるかもしれない。
また心臓が跳ねて、千尋はたまらずに装束の胸元の部分をぎゅっと握りしめた。的場の装束を。

視線の交錯はほんの僅かな時間だけで、的場はすぐに踵を返して廊下の向こうに姿を消してしまう。

追いかけて、逃げることなんて絶対にないと宣言してやりたかった。
千尋はもうとっくに、戻れないほどの深みに嵌まっている。覚悟もできている。
正しいものばかりではないけれど悪いものだけでもない。的場の戦いを知って尚、逃げない気持ちは強くなった気がする。

けれど、的場の背にはそれ以上踏み込むことを許さない危うさのようなものが滲み出ていたから、千尋は立ち尽くすしかなかった。

動悸がするのはまだ浄化しきれていない呪詛のせいだろうか。

胸の高鳴りを押さえ込むように、千尋は装束を握る手の力を強めた。













20120511
祓い屋業界のドロドロした雰囲気って妄想の種としては大変おいしくいただけると思ってます。
いつぞやの的場の台詞「今は金を出す奴と仲間のためにやっています」ってかなり意味深。
的場一門を背負うっていうのは静司だからこそ涼しい顔でやってけるのかなと。
的場のアブナい目つきは、素が半分、一門を背負うためが半分だといい。


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ