夏目

□「…平気。一人で立てる」
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「…平気。一人で立てる」

一度はふらついた足元をぐっと踏みしめる。

二人と一匹は心配そうに千尋の様子を見守っていたのだが、ふらふらとでも千尋が自力で歩き出したのでなにも言わず帰路についた。






は、と短く息を吐き出して、千尋は長い髪を掻き上げた。

(的場……静司……)

胸の内を占めているのはもやもやとした想い。
あの横顔がいつまでも瞼の裏に焼き付いて離れない。

聞きたいことがたくさんある。
なぜ逃がしてくれたの。
冷たい瞳でなにを見ているの。

近しいはずなのに誰よりも遠かった的場静司。
なにもかもがわからない従兄弟のことを……今やっと、知りたいと思っている。











的場の本邸に招かれざる客が訪れたのは、それから1週間ほどが経った日のことだった。

「的場静司!」

スパァン!と勢いよく開かれた障子。
文机で書き物をしていた的場は、感情を露わにしない彼にしては珍しく驚きに目を丸くした。

「す、すみません的場さん…」

「一応お止めしたのですが…」

あとからドタバタと門下の者たちが駆けつけてくる。
彼らのその困惑の表情に、玄関先でじゃじゃ馬と繰り広げたやり取りはさぞ壮絶だったろうと想像して、ふっと口の端を持ち上げた。


来訪者、千尋は彼らのことなぞ意にも介さず、つかつかと部屋の中に踏み込んでくる。
妙に険しい表情。少なくとも疎遠だった従兄弟と旧交を暖めにきた、という顔ではない。

対照的に、調子を取り戻した的場はいつものように冷たい笑みを貼り付けた。

「珍しいこともあるものだ。貴女がこの家に来るなんて。いつ以来でしょうね」

「さあね。少なくとも何年って単位で来てないと思うけど」

まるでそれが的場の者の証であるかのような長い黒髪が、艶やかに陽に映える。
同じ黒髪でも夜の闇を連想させる的場のそれと、どうしてこうも違うものか。

陰と陽。静と動。
どこを切り取っても対極なのだ。
的場の理解が及ばないのも当然とも言える。


あなたたちはもういいですよ、と的場は門下の者たちを下がらせた。

千尋は文机の真向かいに腰をおろして姿勢を正した。
彼女が上目遣いに睨んでくるのが妙に可笑しく、的場の笑みが深まる。

「なんの用です?」

「……この前の、あの妖怪は……夏目と名取が封印した」

「そうですか」

「……て、それだけ?」

「最早どうでもいいことですからね。それで?まさかこれだけの用ということはないのでしょう?」

意地悪く先を促してやると、千尋がぐっと言葉を詰まらせる。
ああ、可笑しい。
いじめ甲斐があるのだけは昔も今も変わらないのだ。
ただ、それ以外のことは昔も今もわからないのだけれど。

黒曜の如き艶やかな瞳がなにを映すのか。それだけは的場にとっていつも不思議だった。
同じ世界を生きているはずなのに、まるで違う世界を見ていて言葉すら通じていないのではないか。そう思わせるほど。

違うならそれはそれで仕方がない、と考えた。どうせ力も強いわけではないのだし、向いてもいないし、祓い屋の世界から出て行ってしまえばいい。
そう結論づけて千尋を引き離した……はずなのだけれど。

(どうして自分から…戻ってきてしまうのでしょうね)

無意識のうちに漏れる嘆息。



的場の胸中を知ってか知らずか、千尋は決意を秘めた強い眼差しで的場を見据える。

「私……もっと知りたいの」

なんとか声が震えないよう抑えている。そんな力みの垣間見える声音。
千尋が膝の上で拳を握りしめているのにも気づいたが、見ないふりをしてやった。

「的場の…家のことも、なんだけど……。あんたのことなにもわからないまま、このままでいたくない、って…思って……」

「……ほう?」

的場は口だけで笑った。
千尋の真意が読み取れないが故の笑みであった。
ただ、この時の千尋の瞳に宿った強い光からは目を逸らせなかった。



「私は……的場静司のセカイが、見たい」



今度こそ。

的場は絶句する。


この従姉妹の奔放さは知っているつもりだったが、ここまで予想の斜め上をいくなんて。


突き放したのは一つは己のため、もう一つは千尋のためでもあったというのに、彼女自身の意志でその断絶のすべてを飛び越えてしまう。



「……ふふ、」

望んだのは千尋だ。
ならば此方も……それ相応に応えよう。

「貴女は本当に、面白いことを言いますね」

自然と口の端がつり上がるのがわかった。
たまらなく愉快なのだ。的場の気も知らず、自らこちら側に踏み込もうとする千尋が。

貼り付けたような冷たい笑顔が剥がれ、隠されていた顔が……もっと暗く深い、夜の闇が形を成したような笑みが、露わになる。

唇を噛み、喉を上下させる千尋。

「千尋」

流れるようにたおやかに、的場は右手を伸ばした。
千尋が目で指先を追いかけてくるのが好ましい。


そうだ、追ってこい。


「ならば此処までおいでなさい」


千尋の喉笛に掴みかかる。
一瞬だけ眉を歪ませた千尋だったが、気丈にもこちらを睨み返してきた。


それに気をよくした的場は薄い笑みを浮かべ、そのまま千尋を強引に引き寄せる。


ガタンッ!


体勢を崩された千尋は危ういところで的場と千尋の間にあった文机に手をついた。


千尋の瞳には的場の姿だけが映り込む。


「陰も闇も、いくらでも見せてやる。手加減はしない」


「……はっ、望むところよ…!」


先刻から変わらない強い眼差し。
このまま喉を掻き切ったとしても千尋は表情を変えないのだろう。


的場の好きな眼だ。


その黒曜の瞳にいつまでも此方を向けさせてやりたいと、的場は薄氷の笑みを深める。








20120320


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