夏目
□「名取…立たせて」
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「名取…立たせて」
「はいはい。ご指名とは光栄だ」
胡散臭い俳優スマイルを顔に貼り付けて、名取は千尋のすぐそばに屈んだ。
膝裏と背に手を回して千尋の身体を抱き上げる。
「ちょ、ちょっと!?」
いわゆるお姫様抱っこ。
暴れようにも消耗したせいで軽く手足をばたつかせるのが精一杯。
外野に助けを求めるべく視線を送っても、夏目は頬を染めて、ニャンコ先生は目を剥いて、二人とも放心状態にあるので助けはまったく期待できなかった。
「…っ、名取……!」
「ん?」
「お、降ろして…!」
「抵抗できないくらい弱ってる子がなに言ってるんだい」
さくさくさく、と下草をかき分けていく足取りは軽やかで、人一人抱えているとは思えない。降ろしてくれる気はさらさら無いらしい。
千尋はぎゅ、と名取の和服の襟元を握りしめた。
なんでこんなに逞しくなってしまったのだろう。
これが昔一緒に遊んでいた周ちゃんだなんて。
見上げるほど差のついた身長もそうだし、引き締まった胸板も腕も、すっかり大人の男といった雰囲気で。
離れている間に俳優になんかなっているわ、祓い屋としても名を上げているわで、すっかり遠い人になってしまった。
なんだか取り残されてしまったような気がして、寂しいような悔しいような。
久しぶりに会った名取がこんなに変わってしまっているのに戸惑ってつい素っ気ない接し方をしてしまうのだが、そういう態度しかとれない千尋の本心すら名取に気付かれているような気もして、もうどうしたらいいかわからない。
「千尋」
やがて沈黙を破ったのは名取だった。
「今度うちに遊びにおいで」
「…なんの用があってあんたのとこなんか」
「手厳しいな。まあ、気が向いたら来るといい。柊たちも喜ぶだろうから」
「うん…」
生返事をしておいて、名取の言葉の不思議な耳触りはなんだろうと考える。
ああ、そうか。
柊たちが…妖怪が喜ぶ、なんて昔の名取なら絶対に言わなかった。
「……変わったよね、名取」
「そうかい?」
「私が覚えてる名取はもうちょっと怖い、妖怪のよの字を聞くともう殺気立つような男の子だった」
年の差こそあれど千尋と名取とは気が合い、例えば祓い屋の会合でも子供二人は端の方で一緒にいることが多かった。
そういう場で、ふとした拍子に妖怪が人に悪さをした類の話を耳にした時の名取の険しい表情を、千尋はよく覚えている。
だから千尋が妖祓いという行為に疑問を抱くようになってからはどちらからともなく二人は離れた。
その上、的場家と名取家という家の問題も重なった。
今こうして話ができることだって、まるで奇跡のような偶然だ。
「変わった、か…。まあ、そうなんだろう。…あまり妖怪にひどくすると嫌がる子がいるからね」
「夏目のこと?」
「……それもあるかな」
言いにくそうに苦笑する名取。
その視線はどこか遠くに向けられている。
「もっと前に同じ事を言っていた女の子がいたのに…昔の私は余裕がなかったんだろうな。聞く耳持たなかった。……今になって夏目の言葉が妙に引っかかって…君のことが気になるなんてね」
心なしか、千尋を抱える名取の腕の力が強まった。
「昔の私にはできなかったけれど、今ならきっと君に寄り添える。だからもう一度…そばにいるチャンスをくれないか?」
「な、とり……」
ツンと眼の奥が痛むのはなぜ。
取り残されたのではなく、追い付いてきてくれた。
妖怪をよく思わない名取とはきっと共有できないと諦めてしまった、千尋のセカイに。
(私だって……祓い屋は嫌だったけど、周ちゃんのことまで嫌いにはなれなかったよ……)
「と、とりあえず…遊びには行ってあげる。今度気が向いたら」
「ああ。いつでもおいで」
「ただし、柊たちに会いに行くんだからね。名取はついでだからね」
「あははは、そういうことにしておこうか」
離れていた時間は、嫌いにならないためだったのかもしれない。
それでも今からいきなり昔のようになんてできないのは、きっとお互いにわかっている。
だったらもっと、追いかけてきて。
素直になれない私を捕まえてよ。
20120320