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□護りたい旋律
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静まり返った店内に、彼女の歌声が響き渡る。
優しく寄り添うでもなく、強く鼓舞するでもなく。されど、凛として重厚な響きは、場の空気を媒介として人々の心を確かに揺さぶる。
攘夷の戦に身を投じる者たちの疲れも、痛みも、この瞬間だけは透明になる。
一曲を歌い上げた後、拍手までの僅かな間の静寂は、聴衆が現実に戻るための時間か。
惜しみなく注がれる拍手の中、一人の黒ずくめの男がステージに歩み寄っていった。
「今宵も、見事なものでござる」
「万斉…」
「ぬしの歌は相変わらず美しい」
「ふふ、いつもありがとう」
差し出された手を取り、ステージを降りる。ふわりと浮かべた笑顔は歌姫としてのものではなく、ただ一人、河上万斉にのみ向けられたものだ。
護りたい旋律
「なにか悩み事でござるか?」
「え?」
二人並んでカウンターに腰掛け、自慢の喉をカクテルで潤していると、唐突に万斉が問いかけた。
サングラスの下の真意は、読めない。
「歌声はいつものように美しい。だが、魂の旋律は輝きを失っているように聴こえるでござる」
「…あなたに隠し事は、できないんだね」
「拙者の耳を、他の聴衆と一緒にしてもらっては困る」
まるで表情を変えないでそう言うのが可笑しくて、クスリと小さく笑った。
「歌がなにになるんだろう、ってね。時々思うの」
「ほう…」
「お店にいても戦いを感じるのよ。常連さんがパッタリ来なくなったりね。私の歌で元気になるって人もいるけれど、人を戦場に送り出すだけの…うた、なんて……」
「…無理をするな」
「っ……」
「辛いのならば歌わなければよい」
「万斉……」
「ぬしから不協和音は聴きたくないでござる。本来の旋律を取り戻すまでは、休め」
「……歌わない歌姫は、どこにいればいいの?」
涙を溜めた瞳が、サングラスを見つめると。
不意に肩に回された手にぐいと引き寄せられ、気付けば万斉の腕の中にいた。
「ここにいるのは、音楽プロデュースのプロでござる。ぬしの歌は、拙者が蘇らせてみせよう」
されるがままに、万斉の胸に頬を寄せる。
与えることに疲れた心に万斉の鼓動が優しく浸透し、満たしてくれるような感覚。それが心地よくて目を閉じれば、涙の一滴が静かにこぼれ落ちた。
20110319