「ねえ佐助」 「んー」 「これからどっか行くの?」 「んー」 「ちょっと聞いてるー?」 「んー」 ファミレスのボックス席に座って、メロンソーダが入ったグラスのストローを遊ぶ。 カラン、カロン、カラン、カロン 立方体の氷が、互いにぶつかって、グラスにぶつかって、溶ける。俺は随分前からそうしていて、少しずつ炭酸の抜けた緑色が、溶けた氷に薄まっている。 向かいに座る佐助は、俺がそうするよりずっと前、この椅子に座ったときから携帯と睨めっこをしていて、それ以外をしたといえば、オレンジフロートを頼んだことくらいだ。 もっとも、それっきり行動を起こしていないのだから、そのオレンジフロートだって一度も手をつけられないままだ。 フロートがそれはそれは見るに耐えない様になっている。 傍から見たら、野郎ふたりが向かい合って、ものも言わずで、まったくなにやってんの状態だ。さながら倦怠期のカップルのようである。 しかも、そのおかしなボックス席で展開しているのは、携帯のボタンをカチカチ鳴らす音と、いたずらにグラスを鳴らす音の地味なデュエット。地味に気に障ることやまのごとし。 「おーい」 「んー」 「さすけー、きいてるー?」 「んー」 「……おさるさーん」 「…うっさいよ」 なんだ聞いてんじゃんか。 そう零すとまた「んー」と返ってきた。いつになったら、会話になるのだろう。 いつも忙しなくボタンを叩いている佐助は、何をしているんだろう。 携帯なんて、データなんて、0と1の組み合わせでしかないのに。 佐助はいつもそれが気が遠くなるくらい重なった、ネットやメールっていうハンディな媒体に一喜一憂してる。 その間は現実世界をなおざりにして、ビットの海から帰ってこない。 「ねえーさーすーけー」 「んー」 「おーい」 「んー」 「はあ」 「んー」 「……」 いい加減痺れが切れてきたので、諦めてメールを送ってみることにする。 すごくいろんなものを放棄した気がしていけないから、癪ではあるが、仕方ない。いつもの最終手段である。 ――――――― sub:これから どっかいくの? ―END― ――――――― 送って、送信完了の画面を見て、携帯をたたむ。 ディスプレイを見た時にはもう、返事がきていた。目の前の佐助は、こちらに一瞥もくれずにずっと携帯のボタンを叩き続けている。 いつからいつまでが、俺のための作業だったのだろうか。 ――――――― sub:re.これから いきたいとこある? ―END― ――――――― 「なんで普通にしゃべんないの?」 「行きたいとこないの?」 「あるけどそれより」 「じゃあ行こうよ」 言って佐助はやっとこさ携帯をたたんだ(きっと5分もしたらまた開く)。そうしていきなりちゃきちゃきと支度をして、立ち上がろうとした佐助を、引き止める。 せめてオレンジフロートを減らしてからにしろと。 携帯を机に置いて、佐助がオレンジフロートのストローを咥える。 それを視界の端に留めて、先程まで握られていた黒い長方形を見た。 黒くて、シンプルなストラップを付けただけのそれは、ふたつに畳めば俺の手の平より小さくなる。 これこそまさに、先端技術が目覚ましい発展を遂げた証なんだろう。そうかんがえると、今までの進歩の立役者に、すこし八つ当たりをしたくなった。 「ねえ、携帯すき?」 「うん。便利だし…慶次はすきじゃないの?」 「好きもなにも」 使うといったら最低限の連絡と、着うたを取るときくらいだ。 佐助ほど、執心しないし依存もしてない。 「もったいないの」 「携帯にそんなに求めないよ」 「なんでー。使えるもんは利用しなきゃ」 また極端なことを言う。 へらりと、久方ぶりにこちらを一瞥して言った佐助だが、またすぐに、オレンジフロートを飲みながら携帯を開けた。 ここまで蔑ろにされると、いいかげん心が折れそうだ。 「佐助はさ、いつから取り憑かれてるの?」 「なにに?」 「携帯の磁波に」 普通の会話は成立しないのに、 携帯の中だけ饒舌で。 佐助は磁波の中に引っ越したの? 「俺はずっとこうじゃん」 「えー全然違うよ」 「どこが?」 怪訝な目をして、佐助が問う。 気付けば、オレンジフロートは八割方なくなっていた。 「昔は俺のこと見て話してくれたじゃん。もっと笑ってたし。俺も楽しかったし。」 「……はあ?」 意味わかんない、といった風に佐助が眉間にしわを作っている。 本気で分かってないのなら、本当に末期だと思う。 携帯を手に入れてから、佐助は、人が変わったみたいに、携帯しか見なくなってるのに。自覚がないから質が悪い。 「あのさ、今度一回けいたい家に忘れてみようよ」 「はあ?なんで」 そんなの携帯じゃないじゃん。といって佐助は、今度こそ立ち上がった。その手には携帯。 見るとそこには空のグラス。 大分とけて無残になったそれは、きっと良い味じゃなかったんだろう。 けど味わうとかなんとかしないんだろうか。 かわいらしいメニューも外見も、ただ消費されるだけというのは、なんとなく哀れだ。 とにもかくにも、もう引き止める手段がないのだけは確か。 「昔みたくさ、してみたいなーって、たまにはさ」 「…昔って、ニコチン時代に戻りたいの?」 「あー…」 佐助が言うのは、義務教育中のはなし。携帯を持つ前、屋上でこっそりとふたり、ニコチンに依存してた時のことだ。 ばれたところで学校をクビになる訳でなし。先生のつまらない説教を右から左に受け流すだけでいい。 先のことにてんで関心もないからして、恐れるものは何もない。興味もないから、法律とかなんとか、そういうのに対する罪悪も全くなかった。 (それに、簡単に見つかってやる気もなかったから、結局一度だってみつかったことはなかったし。) そんなもんだから、ニコチン時代に終止符を打った理由も、いたって簡単だった。 ある日保健体育の教科書で見た、真っ黒の肺にドン引きしたのだ。 きったねえこりゃ病気になるよ。やだねえ女の子にモテない。 と、各々が好きなように考えて、そうしてふたりで禁煙したのだった。 (まあ確かに、あの頃でもいいかもしれない。) なんとなくで手を出して、兄貴の煙草を拝借して、授業をさぼって屋上に行く。 隠れながらライターの火打ちを鳴らし、紫煙を燻らせる。 終わったのだって、きっかけこそあれどなんとなく。 リスクもスリルもでかかった分、たのしかったし。あれくらいのが気楽で好きだ。 (何より佐助の世界はまだここにあった。) 「確かにそれもいいかもね」 「えー」 「…いやなの?」 「べっつにー」 「ふーん」 そんなに携帯が好きなのか、過去の思い出よりも俺よりも。 半ばやけになってきた俺を背に、佐助は会計を済ます。 そういえばまだ、行き先を考えてなかった。 どこにいくんだろう。 これからも、この先も。 皆目検討がつかない。 「つかさ、慶次が見てんのってさ、いつの俺?」 「いつって?」 「あんた曰く、携帯持つ前の俺とか。」 「ちゃんと今もみてるよ」 「でも少なからず、気に入らないとこがあるんでしょう?」 「は?」 「だからむかしの俺を捜すんでしょう?」 慶次は保守派だよね。 そうやって、昔に思いを馳せて、昔の記憶を旅して、今の時間を蔑ろにするの。 さいってー。といって佐助は笑った。 気付いたら、ファミレスの自動ドアをくぐっていて、閑散とした町の歩道を、あてもなく手を繋いで歩いていた。 携帯を持ってなかったら、確かにいつもの、むかしからの佐助だ。 だからいっそう、携帯依存の佐助をみると、そう思うのかもしれない。 でも確かに、自分のこの思考は、確かにここしばらく過去に依拠している。 そうやって、佐助がビットに埋もれるように、自分も思い出に溺れているのだとしたら…。 なるほど確かに佐助のいうことも間違っちゃあないのかもしれない。 だとすると、俺達のやじろべえは、何を軸にして平衡を保っているんだろう。 (なんにしても脆いことにはかわらないけど) 薬に依存出来るように 酒に依存出来るように 煙草に依存したように 磁波に依存するのだって容易い話だから 「あ、思った」 「どうしたの?」 「慶次ってさあ、」 「うん」 「携帯に妬いてるの?」 「……」 そう尋ねる佐助に、他意を伺うことができない。ただ純粋な疑問だった。 だからなおさら、俺は磁波の世界にいる佐助に返す言葉を思いつかなかった。 「できれば俺は有機物に嫉妬したかったかなあ」 井の中に飛び込んだ蛙 ひろくてせまい世界 ひとつの波紋はどこまでもひろがり せまい世界で反響し大きな波になる そうして錯覚する ここが己のある場所だと *** さみしんぼ慶次のはなし。 |