"どうも様子が違うから" そういって、あぶり出された何処そこの密偵の話し相手を任された。 どこの国の人間とも分からない者を生かすというのは、常識的に考えても甘い話なのだと思う。まして情報漏洩を目的とする者ならなおさらだ。 だが、自分はその考え方が嫌いではなかった。それに何より、相手に警戒心を抱かせず接触する、というのは得意な方であると自負していた。 「ひとつ、教えてあげよっか」 一瞬のことだった。 人の死というのが、初めてというわけではない。戦ではざらにあることである。 ただ、それが、あまりにも唐突に訪れたから驚いた。 ごとり、という鈍い音と共に地に落ちたのはなんだったのか。気付いたのは、頬に散った赤を確認してからだった。 (……しんだ、の) 言葉が出ない。恐怖でも怒りでも悲しみでもなく、得体の知れない何か(一瞬張り詰めた殺気にあてられただろうか)に支配された体で、唯一動くのは視線だけだった。 その唯一である視線が捉えたのはひとつの影。 あまりにも場の空気に似つかわしくない声を発したのは、この場を地獄に変えたのは、隠密用の黒装束で忍んでもなお、存在を強調するような橙を持った忍だった。 自分よりも年下なのだろう小柄な身体から発される殺気は、自分の知る人間の中では最も鋭く冷たい。 「あのね、そいつ、元は前田でも武田でもない他所の国の密偵だったんだ。」 名も分からない忍が見下ろす先、転がっているのは、だんだんと温度を失っていく肉塊。 「小さい隣国の密偵で、家臣に紛れ込んでたのを3人捕まえたんだ。だけどそいつだけ、どんなに拷問しても情報漏らさないし、かといって自害もしないわで、ずっとただ「やり残したことがあるからいきたい。なんでもやるから。」の一点張りだったの。」 やけに饒舌な忍の話を聞いて、先程までこの男だった肉塊と交わしていた会話を思い出す。 確か、幼なじみが故郷にいるといっていたのだ。春に生まれたという子供をみたいのだと。 「うまいこと言って、旦那か大将の首でも取りたいだけだろうとおもって。そんな安っぽい作戦でいけるなんて、馬鹿にしてんのかと思っちゃった。だからその場で殺すのも滑稽に思えて、あとめんどくさくなって、それで条件を呑むなら、っていって自由にしてみたんだよね」 「それがこれ…」 「ご名答。ほんとは前田の情勢なんて知る必要なかったんだけどねー。俺としては、自由になったあいつを見張って、隣国の主の命でも果たそうとした時に殺ってやろうと思ってたわけよ。そしたらどう?ほんとに前田の密偵行っちゃうからびっくりしちゃった。」 肩を竦めて、そういう感情を表す素振りをする。だが、今までの話の間、忍は眉ひとつ動かさなかった。相変わらずその目は冷たい。 「しばらく様子をみてたけど、一月くらいしてから、あん時一緒に捕らえた密偵が情報吐いて、主の首もろとも隣国が武田のものになったんだ。そろそろ豹変するかなあ、って思ったら、ご丁寧に定期報告まで欠かさずやっちゃうんだよ。笑っちゃうよね。」 「それだけ必死だったってことだろ」 どれだけそれが自分本意な話であったとしても。裏切り者として、万人から怨まれても。 たったひとりのいい人と、たったひとつの宝物のために必死だっただけじゃねえか。 発したのは一言だけだったが、次から次から溢れる言葉が表情に出るのを押さえきれない。 それを読んだのか、忍はくすり、笑った。 「別にあんたが怒ることじゃないだろう。俺だって鬼じゃないしさ、現に殺すのはおいて生かしてやってたじゃん。でもまあ、今回が限界だよね。2度も密偵として致命的なことをしちまうようじゃあ、そんな危なっかしいやつ生かしておけない。」 「なんで郷里に帰してあげないの?」 「あいつには、普通の人として生きる道は残っちゃなかったのさ。皮肉なことにね、帰りたい一心が強すぎて、あんまり奥まで踏み込んじまってたから。」 眉一つ動かさず淡々と、ひとりの悲劇を語る忍を見て、ひどく哀れなことだと思った。 「じゃあ後はよろしく」 「逃げるの?」 「仕事に戻るの」 後片付けはよろしくね、と言って、くるりと踵を返す。 よく考えるとこの忍とは初対面なのである。だというのに、この馴れ馴れしさはなんだろう。自分もよくそう言われる側であるので、言及は避けるがしかし。 「口封じしないの」 「してほしいの?」 「ちがうけど、いいの?」 「あんたは言わないでしょ」 「なんでそう思うの」 「なんとなく。それに、俺ってば目下売り出し中だから、いまは無駄な殺生はしないようにしてるんだよね。」 有事の際には是非どうぞ。そう言い残して忍は、黒い霧になって消えた。 別に忍に言われたからではない。 だが、忍の言ったとおり、きっと自分はこの目で見たことを話しはしないのだろう。まるで忍の思う壷。自分がこれから叔父に伝えるのは、男の死だけなのだという確信があった。 言葉を交わした時間があまりに短かったせいだろうか。男の命を奪ったことに対する憤りこそあれど、殺された男に対する同情のような何かは、確実に消えはじめていた。 そしてそれに比例するように、男より少ない時間しか接触していないはずの橙に強く惹かれた。 自分が抱くこれは、何と言うのか。それを理解するよりも前に、喜怒哀楽或いは憎しみ或いは恐怖、或いは色狂…どんなものでもいいから、その能面のような顔に感情を見たい、と強く思った。 我ながら、なんと酔狂な話であることよ。 この時出会った忍が実は、後に、甲斐の若虎と畏れられる真田幸村の懐刀。猿飛佐助と呼ばれる男であった、と知るのはまだ先の話である。 不条理に花束を添えて ふたりのなれそめ この先の話が書きたかったのですが、時間がかかりそうだったのでぶつ切りました。またいずれ。 title by_虫食い |