ばさらしょーと

□他人事ばかりのあなたへ
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手放したくないもの、
手放されたくないもの、
俺は今日その両方に
別れを告げる



地面に横たわったまま動かない身体、迷彩の忍装束に染み込む血、霞む旦那の姿にもう半刻ももたないと悟った


霞む視界でも分かる紅が俺の傍らに腰を下ろすのが見えた。動作を見る限り旦那に怪我はないらしい。

だとしたら鼻につく鉄の臭いは恐らく相手のものだろう。

尤も、自分の血に塗れた五感ではそろそろそれも分からなくなる頃なのだが



上空を春の風に乗った鴉の飛ぶ気配がする

さすが俺の鴉。こんな森の中まで旦那を連れてきてきてくれたのは、どうやらこいつだったようだ。

ひらり、落ちてきた1枚の漆黒に
ひとつ、言の葉を乗せた


そういえば先程まで怒号やら金属音やらで騒がしかったのに、急に静かになった。戦局はどうなったのだろう。


「旦那、戦は?」

「俺がここにいる、ということは、そういうことではないか?」

「分かんないよ?俺がこんなだから今此処は黄泉の入口で、旦那がそこに来たってことは、そういうことかもしれない」

「…お前はどうしてそうのだ」

「それが俺だから。でも良かったじゃん、また大将の天下に近付いたよ?」

「…応!」

返ってきた力強い声に思う。旦那は今、得意げに笑っているのだろうか。
それを確かめる術を失いつつある俺には分からない。


「…お前、見えてはおらぬのか」

「どうして?…まあ、見えないけど。血出し過ぎたし。」

「まったく。忍隊長ともあろう者が無茶をしおって馬鹿者が。何をしておるのだ」

「あは、ごめんね?」


戦の最中、策の裏をかかれて窮地に陥った部隊があった。

武田の勢いに問題がなければよかったのだけど、如何せん窮地に追い込まれたのが旦那率いる騎馬隊だったから、だから俺が囮になって飛び出した、それだけのこと。


確かに忍も多い敵に単身で乗り込んだのは無謀だったけど、あれがあん時の唯一の突破口だし、そーいうのをするためにいるのが忍だし。

如何せん主は甘すぎる。今みたく労る必要なんてないし、眉をひそめる必要もない。使い捨てるくらいの気持ちでいてくれたっていいのにさ。

なんて言うと優しすぎる彼のことだ。真剣に怒るのは目に見えるから、心のうちに留める。


「才蔵もえらく怒っておったぞ。もうあの件はなしにしてもらう、と申しておった」

「あの件?…あぁ、あれね。それはなしにされると困る、かも」

あいつにしてはどう考えても言伝には場違いな内容。これに意図があるとするなら、あいつはホントに頭が切れる奴だ。

(柄にもないことしやがって。明日は雨だな。)

「あの件とはなんだ」

「んー?団子当番計画。旦那のお団子のお遣いを忍隊で当番制にしよっかなーって話してたの」

「……そうか。」


俺様もなかなか忙しいから、なんて笑ってやると、しばらくの間と共に曖昧な返事が返ってきた。

旦那はきっと何とも言えず複雑な顔をしているのだろう。ありありと目に浮かぶ。


それを考えるだけで自然と口角は上がる。
旦那に気付かれないように、としばらく仰向けで空を仰ごうと春の空を眺めた。

だがすぐに、それは間違いであったと思い知らされることとなる。

最期の最期に犯した失態だった。

「…ねぇ、旦那」

「何だ」

「空、青いね。青がどこまでも吹き抜けてる。空が青くて、木や草の葉は緑で、花は…旦那や風来坊みたいだ。これが"綺麗"ってやつ?」

「ああ」

「そっか。俺は今までこんなセカイにいたんだね」

「何だ今頃気付きおったのか。まったく呆れた。今までどこに目をつけておったのだお前は。」

「しょーがないじゃん。強いて言うなら職業柄?不可抗力だよ。

はなから気付くつもりなんてこれっぽっちもなかった。むしろ気付いてしまった事実を、今だって信じられずにいるくらいだ。

「今までずっとお天道さんがつくる影やら木やらに隠れては人を殺して鮮やかな花を鈍い血の赤に染めて…って随分長い間その繰り返しで。証拠を隠すために生き物を使うことだってあったし、一々気にしてたらやってられなかった訳よ。」

だから今まで見て見ぬふりを決め込んでたのに、なかなか上手く行かないものらしい。
どうして今頃気付くんだか。

この時、胸を焦がすような「何か」がこぽり、と現れた気がしたけれど

「…まぁ良い。甲斐は此処よりもっと良い所だろう?」

旦那が、幼い頃新しく見つけた内緒の隠れ家を俺にだけ教えてくれた時のように、嬉しそうな声音で語り始めたから。
旦那の話に集中しようと思い、気にしないことにした。


何故だろう、日常茶飯事すぎて普段話半分にしか聞かない旦那の身内自慢を、今は何故だか聞き逃したくない、そう思った。

「そうらしいね。旦那がずっと体張って守ってたの、分かるよ」

「お前も、だろ?もっと胸を張らぬか」

「今張れと?また無茶なことを。」

「またそうして屁理屈を言う。分かっておるのだろう?」

自身の存在を認められるのがむず痒くてごまかした言葉は旦那にあっさりと流された

「……まぁ、そうだといいね」


風が2人の髪を揺らす

此処が風下なら良かったのに、と佐助は切に思った。

春のゆるりとした風は、、戦の疲れを、痛みを、全てを攫っていこうとする。"穏やか"という言葉を具現した様である。

(だからだろうか。最後の最期にどうして嗅ぎ慣れたあの雰囲気が遠い)


こぽり、現れた「何か」は大きくなった


「あ、」

「どうした」

「旦那に言いたいことがあったんだ」

「何だ?」

「いくら太らないからってあんまり団子食べ過ぎちゃ駄目だよ?あと、年がら年中お腹出して寝たり大将と殴り合いやって城壊したり雨の日に外で鍛練しすぎて身体冷やしたりもだめ。後の世話なり後始末する忍が不憫だからね。それに独眼竜には気をつけなよ?何だかんだ言ってあいつすぐ旦那に色目使うんだから」

「…お前は俺の母親か?」

「伊達に武田のおかんとは呼ばれてないよ」

「しかし何をいきなり薮から棒に」

「あぁ、なーんか急に色んなこと思い出したんだよね。新しいのから旦那に会う前くらいの随分古いのまで。多分、走馬灯、とかってやつ?」

誰かのいうには、走馬灯は瀕死の時に苦楽に関わらず色々な思い出を引き出して、死を回避しようとするために見るものらしい。

人間の防衛本能。
忍の俺がそれを見たってことには、果たして何の意味があったのだろう。


こぽり、また少し大きくなった


自嘲気味な思考回路がものを考えていると、旦那がはっ、と息を呑む気配がした。

「もう…旦那がそんな顔しなくていいの。」

「だが、走馬灯は死の近付いた者だけが見ると聞く」

「そうだよ。事実そうだと思う。」

「…」

「だけどおかげで最期に旦那に言い残すことができたんだからさ、いいんじゃない?、

「なれば他に言い残すことはなかったのか」

「大事なことじゃん。何?もしかして好き愛してるの1つでも言ってほしかった?」

「ばっ!こんな時に何を申して」
「ははっ、冗談だよ」


旦那が深呼吸するのが聞こえた。

すっかり熱くなった顔の熱を冷ますためだろう


「…それにしてもお前はいつも、今こんな時であっても相も変わらず危惧するのは他人の事ばかりなのだな」

「それが忍だろ?」

「そうではない。たまには己の我が儘でも言ってみたらどうなのだ?」

「はは。何言ってんの?相も変わらないのはそっちじゃん。昔からたかが忍にそんなの言うのは旦那くらいだよ」

「俺はただお前がしつこいくらいに線引きに使う"身分"の縛りに納得できないだけだ」

「変な所で頑固だよねぇ旦那って」

「よく言う。ここだけはお前も頑として譲らぬだろう」

「そうだっけ」

「惚けおって。いつも忍、忍とこちらの耳にタコができるくらい言っておったではないか」

「そこまでこだわってないよ」

「どうだか」



何故か走馬灯を見たあの時から、自分が担いできた存在意義が急に軽くなって、自分が存在していた影が急に明るく薄くなり、遠く陽炎の向こうに揺らぐような気がした。


その理由が分からず考えようとするのに、ただ、早く気付いて、と言わんばかりに「何か」だけが大きくなり。鈍った頭の回路の動きを悪くする。

(かまびすしい…)


「そういや、旦那。皆はどうなったの?」

「皆、とは?」

「兵は?」

「お前が囮になった分犠牲は少なかった」

「忍隊の奴らは?」

「誰ひとり欠けておらぬ。今は祝宴の準備でもしておるのだろう」

「甲斐の人たちは?」

「兵の犠牲が少なかった分。先の農作業への影響はすくないだろう。飢えの心配はいらない。」

「大将は?」

「勿論ご無事だ。今は祝宴支度でもしておられるのではないか」

「皆無事なんだね」

「ああ、心配ない。お前以外は皆ぴんぴんしておる」

「そっか。良かった。」


長年浸っていたあの人情に溢れる空気がそうさせたのだろうか。

誰に掛けるでもなくぽつりと言ったそれは、安堵の言葉だった。

気が緩んでいたのか、気付くのに時間がかかる程無意識下に零してしまったそれは、紛れも無い自分事である。何の前触れもなく現れたそれに驚いたの旦那だけではなく、一番驚いたのは自分自身だった。

それと同時に今まで大きくなり続けていたった「何か」がぱりん、と弾けて、今度こそはっきりとこいつの正体が分かった。

そして、導き出された結論。

証明終了の決定打になったのは他でもない彼の言葉だった

「…お前も、忍である以前にやはり"人"ではないか。この世の美しさに気付き、自分事を言える、まだ拙くとも立派な」

「ふっ、みたいだね」


もう零れた笑いを隠すことはしない

瞳の最期に映る景色がこの空の青と旦那の紅であるように願いながら

目に焼き付けるようにゆっくりと眼を閉じて、段々と遠ざかっていくせかいを浮かべて想った




ひらり、
そのから零れ落ちた

ぽつり、
在るセカイに告げられた

うなら、




(旦那は気付いてないんだろーな)

(零れた笑いも最後の肯定も、全部が全部俺自身への嘲笑だった、なんて)

(世の光に気付いたことも、戦場からこの身が縁遠くなったことも最後にうっかり零れてしまった自分事も、旦那が俺を"人"と言ったことだって)

(つまりは俺は今までずっと生きてきた"忍"って世から見放された、ってことなんじゃない?)

(なんてそんな事)

(ここぞって時には結局いつも他人事ばかりなあの人にどうして言い捨てられようか)






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