(来た…、) 忍として生きることの代償 「げほっごほっ…がはっ!」 口に当ててた掌が真っ赤な鮮血に染まる。余りの息苦しさに、遠退く意識に任せて目を閉じた。 忍に生まれ、忍として生き、はや二十数年。長年毒に慣らし、毒から主を護り続けてきた躯が堪え切れなくなったらしい。両の肺が悲鳴をあげた。 何のことはない。いくら慣らしているとはいっても限界がない訳じゃないのだから。いつもより強い毒を吸ったのと、その時に負った怪我が相まって、許容範囲を越えただけ。 ここまで弱って唯だひとつ分かることは則ち、己が戦力としては則ち雑兵以下に成り果てたということ。 こうも落ちぶれては忍もくそもない、とさっさと自死しようとしてたところを、旦那の厚意に甘えて…というか半ば押し切られた形で床に臥せった。あれからそろそろ2ヶ月経つ。 特にこの一週間は、今までの比にならないくらい状態がよろしくない。皮膚の色もおかしいし、ご飯はおろか、流動食も喉を通らない。少し頬がこけたのが分かる。 病状は芳しくなく、言うなれば末期、とかいうやつだ。 (おそらく今夜…もって2日ってとこか) 毒が肺を筆頭とした呼吸器にきたもんだから、先のような喀血が茶飯事になってしまった。もうただ息をするのだって辛い。 これじゃ戦で散るよりよっぽど質が悪いんじゃなかろうか。 そうしてげんなりしながら、不意にやってきた気配に重い目蓋を開ける。 まず目に入ったのは、真田の旦那のでも、独眼竜のでもない朗らかで鮮やかな黄色だった。 「はあ、また来てたの?あんたも大概暇人だね、風来坊」 「そう堅いことゆーなよ。好きなコの見舞いに来て何が悪いんだい」 「ばっか堂々と何言ってんの?」 「そんなに照れんなって」 「なに?殴られたいなら素直に言ってよ」 「満更でもないくせにー」 「…はいいきますよー。」 「あははっ!冗談だって」 慶次が来たときに、抱き起こしてもらった身体で腕を振りかぶる。その手すら弱々しくて殴る予備動作、というにはあまりにもお粗末なものだった。慶次はそれに、両の手を挙げて観念する素振りをした。 「…ったく」 「…で、今日は何の話する?」 「そうだねぇ、」 * 実のところ、この男のことが分からない。いったい何なんだろうこの男は。 俺が床に臥せてからというもの、こうして毎日館にやって来る。そしてやって来ては今のように他愛のない話ばかりをして、そうして帰っていくのだ。 最近はへたをしたら、旦那よりも一緒にいる時間は長いんじゃなかろうかと思う。 「今の季節は?」 「春だよ。どこも桜がすっげぇ綺麗だ」 「へぇ。今年は京に引きこもらないの?」 「(引きこもる…)今年こそは佐助に花見をさせようと思ってるんだ」 「毎年旦那や大将達とやってるからご心配なくー。」 「そんなこと言ってー。どーせ佐助は幸村とか武田のおっさんに世話焼くばっかりで、桜なんか見てないんだろ?」 「…地に散った花びらは見てる」 「上も見ろよ…?!」 「桜は桜でしょ?どれ見ても同じだよ」 「それすっごく損してるよ佐助。」 「戦忍だからいーの」 「でもさ、騙されたと思ってひとつ!枝が見えなくなるくらいに満開の桜見てみろよ。感動すると思うぜ?」 「そんなもん?」 「おうよ!」 「じゃあ夏は?」 「縁日とかじゃね?」 「…あれって楽しいの?」 「楽しいよ?縁日行ったことねーの?」 「警護には行ったよ」 「どう?たのしいっしょ?」 「どこが?見たのは、祭の活気に当てられた男共に襲われかけた女の泣き顔とか、財布すられた人間の困り顔とかばっかだったよ…。どこがたのしいの?」 「あのなぁ、佐助はそーやってやなとこやなとこ見てるからしんどくなるんだよ。」 「……」 「裏だけじゃなくてさ、祭ではしゃぐ子供の笑顔とか、屋台のおっちゃん達の元気とか見たことあるか?祭は乱世とか仕事の不安を忘れさせてくれるんだ」 「……」 「…確かに、暗がりに目を向けたらそういう事もある。だけど佐助、お前そいつら助けた時の安堵したみたいな顔見ただろう?」 「うん」 「嬉しかっただろ?」 「…まあ。」 「だろ?佐助はもっと明るみを見てもいいと思うぜ?」 「…ん。」 「ってことでさ、次の夏は2人で縁日に行こーよ!」 「ははっ何でそうなるの?」 「秋は?」 「勿論祭だろ!」 「…また?」 「何言ってんだよ。夏と秋とじゃ全然違うんだって!」 「どこらへんが?」 「夏の縁日も楽しいけどさ、秋の祭には何てったって神輿が出るからなぁ……夏とはまた違うあの活気が何ともいえねーんだよ」 「ふーん。確かに、あんたはそっちの方が好きそう」 「だろ?」 (活気だけなら甲斐も負けないものがあるよ。) などと思ったのは、心にしまっておくことにする。 「てか、佐助は祭いかねーの?甲斐にだってあるだろ?」 「旦那のお付きで、護衛とか財布係とかそんな感じ」 「…財布係って忍の仕事?」 「…さあ。甲斐の秋祭りは京ほど派手じゃないしなあ。月見の方が印象あるかも」 「どうせ佐助のことだから、そこでもまた団子作ったり何だりで月見どころじゃないんだろ」 「俺様はそれで構わねーからいいの。別にわざわざ酒や団子用意して月眺めなくったって、忍の仕事は大体夜だから満月なんてそう珍しくないし改めて見る程のモンじゃないじゃん」 「…風情のカケラもないね」 「いーの。野暮結構。」 「えーつまんねえよそんなの。」 そういってから慶次はしばらく何か考え込んでいた。そうしてしばらくしたあと、閃いたのか指を鳴らして言った。 「そーだ!だったら前田にきてみない?それで月見しようよ!」 「…なんでそうなるの?」 「あんたひとりが客で来たら、真田の世話なんて心配しなくていいし、まつねえちゃんの飯も、月見団子も食える!正に一石二鳥じゃん!」 「まつねえちゃん…て、前田利家の嫁の?」 「そうさ!まつねえちゃんの飯は佐助に負けず劣らずうめえんだぜ?」 「へぇ。たまにはそういうのもいいかもね」 「だろ?」 「冬は?」 「んー、炬燵でみかんとか?」 「意外。雪で遊んでんのかと思った」 「俺を何だと思ってるの?まぁ、遊びたい気もするけど、夢吉が寒がって懐から出ようとしねーからなぁ」 「唯一の遊び相手がいなくちゃねえ、」 「そうなんだよなあ…って、え、佐助今なんて?」 「それはそれは。昔一緒にいたっていうでっかい猿に似ちまったんじゃないの?」 ねえ、ちょっと無視?なんて縋ってくる慶次をまた無視して話を進める。忘れた頃になんとやら。少し前の分の、ちょっとした意趣返しだ。 「でっかい猿って、秀吉のことか?」 「そうそう」 「何だそりゃ。まさか夢吉があいつに似るわ、け、…あれ?」 「どうしたの?」 「そーいえば、あいつも昔、冬は苦手だって言って炉にへばりついてた」 「…え、やだ、ホントなの?」 もはや日課といえそうなくらい、決まって繰り広げられる何てことない話を続けているうちに、今日は終わっているのだ。気づけば日は傾き、宵闇が空に広がりつつあった。 「次は、また春か」 「一周しちゃったね」 「んー、春かぁ。花見の他に思い付くことあるか?」 「そうだね、ぇ、…げほっ!」 「(喀血…)大丈夫か…?」 「うえ、んな訳ない、でしょう。もうむりっぽい…」 口元を覆う手の隙間から流れてきたのは、肺から溢れ酸素を多量に含んだそれはそれは鮮やかな鮮血。それは、床に臥せってからやっと見るようになった、日に焼けてない色白な佐助の素手を赤くした。 「だよなぁ。こんだけ血が出てるんじゃあ…」 そう言って慶次は部屋を見渡した 今までに肺から溢れ出した血液は、傍らにあった手拭いだけでは間に合わなかったのだろう。 畳や枕元、着流し…とにかく至る所に拭い切れなかった血が零れ、赤く染まっている。 最初はそれでも拭おうとしていたであろうそれはしかし、十二分に赤を吸いきった手ぬぐいと、朧げな手つきの前ではただその赤の面積を広げるだけで終わったらしい。 さらに、慶次が来る前から館の庭が見渡せる襖を締め切っているため、血液特有の鉄臭さが部屋中に充満していた。 (……換気すれば良かった) 普段部屋の散らかり具合など殆どといっていい程気にも止めない慶次にそう思わせるような、事情を知らぬ者がみたら腰を抜かしそうな光景が此処にはあるのだ。 ましてや綺麗好きで几帳面な佐助が、こんな空間でただ寝ていることしかできないのだ。知る人が見ればどんなに医術に疎い者でも、佐助の命が残り僅かなことなど火を見るよりも明らかなことであった。 「…もう、時間なのか?」 「お天道様もなかなかにせっかちみたいだからね、そろそろこの世ともお暇する頃みたい」 「じゃあさ、約束ちゃんと覚えといてよね?」 「約束?」 「うん、昨日まで話してきたやつと、今日話した花見して縁日行って、月見でまつねえちゃんの飯食う約束!」 「…あのね、状況分かってんの?もう死ぬんだけど。」 「知ってるさ」 「知ってて今まで?あんたも中々に酷なことするんだね」 「…」 「あんたの話が終わる度、あんたが帰る度、楽しみが去った後はいつだっていつだって崖から突き落とされるような気分だった。俺は、明日の見えない暗がりに置いてきぼり喰らった気分だったよ。」 「わるかったよ。でもさ、佐助」 「何?」 「これで死んでも寂しくなさそうだろ?」 「………」 「ね?」 「……いつから」 「幸村に佐助のこと聞いてから。」 死は、暗くて、冷たくて。いつかのだれかが言っていたそれは、きっと多くの人間が抱く恐怖だ。 それはきっと、心を持たぬという忍とて同じこと。まして、他より感受性豊かな佐助ならなおさらだ。そう思ったから。 それに、例え明日に光がなくとも、帰らぬ路の先に希望がありゃ、幾らか歩き易いだろ? 「…こんな死にかけ構うなんて、ほんとに暇なんだね」 「そんなに卑下しゃだめだよ。半分は俺の我が儘なんだから、佐助は気にしなくていい。」 さいごくらい、肩の力抜いて甘えたっていいんだ。弱音吐いたっていいんだよ。 「…全く、恐れ入るよ」 確かに、暗がりの絶望の中にも、それを上回るくらい心のあったまるような希望があったのは間違いない。あれを意図して、他人に与えようなんて。しかもたかだか戦忍に。 (だから俺は多分、) 「…ああ、眠たくなってきた。そろそろお別れだよ。」 「ああ。俺もそのうち佐助に追いつくからさ、頑張って。だからそれまであっちで待ってろよ」 「どうだか。あんた、人の倍長く生きそうだから、来るなら俺様が待ちくたびれないうちにしてよね」 「善処するよ。じゃあまたな。ちゃんと約束覚えててよ?」 「それはこっち、の台詞、だよ。また、ね…ぁりが、と」 後の世曰く。それは戦で名もなく死ぬが定めの忍に類を見ない、ただただ穏やかな死であったという。 * 段々と失われていく熱を逃がすまいと、この温もりを忘れまいと思って手を握り続けた。 ずっと想い続けてきた愛しい人の手はここ数日ですっかり痩せてしまっていて、自分の逞しいそれとは酷く不釣り合いで それを思うと、繋がったその手を伝って、この数日必死に堪えてきた涙が溢れ出す。 佐助の頬にも零れたそれは、佐助が最期に微かな笑みと一緒に零したそれと合わさって、ただただ静かに、優しく、枕元に流れていった 愛しい四季を 貴方のために ただ捧ぐ (今までよく頑張ったね) (佐助は偉いよ) (だから、これからしばらくは) (何も考えなくていいから、) (ゆっくりおやすみ…) |