一筆箋


◆すみれ 

 
「とっ……!」
「何やってる一年! ちゃんと拾わんかっ!」
「すんませんっ!」
外したボールをあわてて拾いに行く。

「はーっ! 真田先輩のボール強すぎだぜ。腕にビリビリ来やがる」
打ち返したはずが、ラケットごと弾き飛ばされた。
「ボールどこだ、ボール……」
しびれる腕をさすりながら、キョロキョロとボールが来たほうへと小走りに進む。
「そこだよ、ベンチの下」
「あ、すんませんっ! 幸村先輩!」
シャキッと身体を立て直すと、そのまま深々と幸村にお辞儀をした。
「あった!」
はいつくばるようにして覗いたベンチの下に、確かに黄色いテニスボールがひとつ転がっている。
「あ……」
「どうしたの?」
ボールに手を伸ばしたままの姿勢の後輩に、幸村が目を向けた。

「すみれが咲いてるっす」
「すみれが?」
その言葉に幸村も一緒にかがみ込んで、ベンチの下を覗いた。
「ああ、ほんとだ」
「綺麗な紫色っすね」
しばし、可憐な小さな花に見とれた。
「切原っ! どこまで取りに行っとる! たるんどる!」
「うわははいっ!」
切原はボールを引っ掴むと、全速でコートに舞い戻った。
「ふふ」
幸村は立ち上がる前にもう一度すみれを見た。

2009/05/07(Thu) 21:12 

◆雨の朝 

 
自宅前の道路を、走り去る車が水をはねる音で目が覚めた。
「雨か……」
薄目で枕元の時計を見る。午前五時だ。
起き上がると窓のカーテンを開けた。

外は薄暗く、まだともる街灯の明るさが映る路面は濡れて、いくつもの雨粒がはねる。

「はあ、この降りやったら順延やな」
そうつぶやくと、忍足謙也はカーテンを閉め直し、もう一度布団に潜り込んだ。

「謙也ーっ」
「ん〜?」
階下から自分を呼ぶ母親の声に無気力に布団の中から応える。
「運動会は明日に順延やって。連絡網来たから、次の人に回しといたで」
「ん〜おおきに」
ドアを開けて、謙也の母が顔を覗かせると、手だけ振ってそれに感謝を伝えた。

「体育祭なんてタルいわ」
出来れば明日も雨にならないか、と寝ぼけ眼に思う忍足謙也だった。

2009/05/06(Wed) 20:50 

◆信号 

 
「しもた……」
信号の歩行者マークが点滅し始めたので駆けて渡ろうとしたとたん、赤に変わってしまった。

「しゃあないな」
ふうっとひと息吐くと、学校間近の信号機で足止めを食った忍足侑士は、ふと足元に視線を落とした。
「蟻の巣やん……」
歩道際の植え込みと雑草の隙間に、大きめな蟻の巣がぽっかりと穴を開け、忙しそうに蟻が出たり入いったりしている。

「侑士、信号変わったぜ」
不意に向日の声がして背中を叩かれた。
「あ、ああ……」
我にかえると、蟻の巣から青信号へと目を上げた。

いつもならやけに長く感じる信号の待ち時間が、すぐに終わってしまった。
(蟻を見とっただけやのに、同じ時間でも気の持ちようなんやな)
と、朝日の中忍足は思い、向日に笑いかけた。

2009/05/05(Tue) 10:32 

◆下駄 

 
カラコロと乾いたアスファルトに下駄の音が響く。

「おお、千歳やないか。どこへ行くん?」
夕暮れの風が吹き始めた街中で、白石は仲間の姿を見つけると声をかけた。
「夕涼みばい」
その場に立ち止まると、千歳は白石が近づくのを待ってから答えた。
「ほな、特に用事はあらへんのか?」
「ないけん、ぶらぶらと散歩しとるとこばい」
笑って言う千歳に
「ほな、じゃがバター食いに行かへん?」
白石も嬉しそうに誘いをかけた。

「じゃがバター?」
「夏祭りや。駅前でやっとるんやって」
「そういや、腹減ったばい……」
千歳が自分の腹を見下ろしたとたん、小さく鳴った。
「はは、決定やな」
愉快そうに笑う白石と並んで歩き出した千歳の足元から、またカラコロと音が響いた。

2009/05/04(Mon) 18:44 

◆虹 

 
急な土砂降りで練習はいったん休憩に入った。
「やむかな」
薄暗い空を見上げると、丸井ブン太は新しいガムを開けた。
「どうでしょうか。予報では晴れでしたから」
「最近の天気予報って、全然当たってないっすよね」
柳生の言葉に、切原も厚い雲からしたたり落ちる雨を見つめた。

「向こう側から明るくなってきたぜよ」
雨がいくらか小降りになると、仁王が視線を上げた。
「じきやみそうだな」
ジャッカルも嬉しそうに言った。

「あっ! 虹っすよ!」
雲の切れ間から差し込む日差しに、切原が指を差した。

「ああ、綺麗だな」
穏やかに幸村が微笑んだ。

「虹は丸いんだ」
「え! そうなんすか?」
柳の言葉に切原の目も丸くなる。

「おっ! すげーっ! 見てみろよ! もう一本虹が出てるぜ」
丸井の声がひときわはしゃいで大きくなった。
最初の虹の下にもうひとつ、小振りな虹が現れたのだ。

「虹のダブルスぜよ」
皆が笑った。

2009/05/03(Sun) 10:21 

◆緑道 

 
両脇に緑のしたたる線路をまっすぐに列車は進む。
緑色の壁が、真夏の太陽の日差しの中で濃い影を落とす。

手塚は一人、車体の揺れに身を任せ、線路の継ぎ目を車輪が通過する規則正しい音をぼんやりと耳に入れる。

『土産のことは気にしなくていいかんね』
『試合は気になるだろうけど、まず治療に専念してね』
『温泉乾汁の配合も、新たな課題として考えてみるよ』
『手塚がいない間の青学は、全員一丸となって試合に臨むから安心して療養して来てくれ』
『負けないっスからね』

部員それぞれから激励の言葉をかけられて出て来た。

不安があるのは自分にか。テニス部へは、厚い信頼がある。自分がいなくとも大丈夫だろう。

もう一度手塚は車窓へ目を向けた。
緑が途切れ風景が広がった。
気持ちも空へ広がった。

2009/05/02(Sat) 11:24 

◆薫風 

 
「うおっ! やるじゃねぇか、海堂」
世間ではゴールデンウィークだが、青学テニス部では5月のランキング選が始まった。
コートに気持ちのいい風が吹く中、海堂が桃城相手に決めていく。

「調子いいっスね、海堂先輩」
越前も自分のコートへ向かう途中、横目で二人の流れを見て言った。

「ちゃんと努力しているからな、海堂は」
乾もノートに書き込みながら、逆光眼鏡を光らせた。

だが、当の海堂は目の前の桃城を打ち倒すことに集中している。

今は爽やかな風も、褒め言葉も耳に入らない。
ただ、一球を追って走るのみ。打って走って、叩き込む。

≪ウォンバイ、海堂≫

拭う汗に、ようやく海堂も風を感じた。そしてゆっくりと、眩しい青空を見上げた。

2009/05/01(Fri) 14:29 

◆青嵐 

 
爽やかに風が吹く。
緑の葉を揺らし、一年で一番過ごしやすく心地いい季節に入った。

「手塚、休憩にしないか」
「ああ」
青春学園のテニスコートにも、風が吹き抜ける。

「どうだ? 新緑にふさわしい季節限定新作だ」
乾の手元で深緑に揺れるボトルが光る。

「へえ、玉露みたいだね。頂くよ」
「いつもながら、不二は度胸がいいな」
ボトルから注がれたカップを空にする不二に、大石は感心する。
「思ったよりはいけるからね、大丈夫だよ」
にこりと笑うと不二は、カップを乾に戻し、顔を洗いに水飲み場へ向かった。

水飲み場の樹々も風にそよぐ。
「……この木、桜だったよね」
濡れた顔をタオルで拭きながら、不二はサラサラと葉ずれのする木を見上げた。

「花が散ってしまうと、桜だって忘れてしまうな」
ほんのひと月半前、皆で花見をしていたのに、新緑から濃緑へと変わっていく桜の葉に不思議な時間を覚えた。

不二はしばらく風に身を任せ、一人揺れる緑の葉を見続けた。

2009/04/30(Thu) 14:06 

◆桜餅 

 
「やべっ! 食うなら今のうちだ」
そう言うなり丸井ブン太は、部活の練習帰りに目についた和菓子屋に飛び込んだ。

「何が今のうちなんじゃ?」
一緒にいた仁王雅治も、丸井の言葉が気になったのか店に足を踏み入れた。

「桜餅だ」
店員がその桜餅をショーケースから取り出し、紙に包む様子を見ていた丸井が振り向きながら言った。

「まあ、確かに季節限定じゃな」
仁王も、淡い桜色の和菓子をガラス越しに見つめるとそう言った。
「だろぃ? もう柏餅も出てるからギリギリだぜ」
店の袋に入れられた桜餅を受け取ると、丸井は嬉しげに笑顔を見せた。

「仁王?」
戸口に向かい帰りかけた丸井だが、まだショーケースを見ている仁王に視線を送った。
「俺も買って帰るかのう」
「え……」
仁王が和菓子を?
いささか奇妙な取り合わせに思え、帰りかけ、振り返った姿勢のまま丸井は止まった。
「たまには母親サービスじゃ」
そう言って受け取った袋を軽く持ち上げると、柔和な眼差しを作った。
「優しいじゃん」
丸井の笑顔も大きく広がった。

2009/04/29(Wed) 12:50 

◆風 

 
「今日は風が強いな」
よく晴れた青空と、すっかり葉色の濃くなった樹々の梢を見上げ、乾貞治は柳蓮二に言った。
「ああ」
同じように見上げた柳がうなずいた。

「鯉のぼりか……」
その穏やかな眼差しの先に、風に翻る幾匹かの鯉のぼりが見えた。
「子供の日が近いからな」
乾も改めてそちらに視線を移した。

「7メートル……と言ったところか」
「……? 何がだ? 鯉のぼりの長さか?」
鯉のぼりをじっと見つめ、しばらくしてつぶやくように言った柳の言葉に、乾は顔を向けた。

「鯉のぼりが綺麗に泳いで見える風速は5メートルだそうだ。だが、今は泳ぎに乱れがある」
「風速……」
鯉のぼり達は身をよじるようにして、それぞれが風に揉まれながら、口から吸い込んだ風を尾から放り出している。

「なるほど。空の魚にも適度な流れが一番だというわけか」
「何事もほどほどがいい」
それだけ言うと柳は歩き出した。
「そうだな」
同意する乾も軽く眼鏡のフレームを指先で押し上げると、柳に並ぶように足を動かした。

2009/04/28(Tue) 20:48 

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