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□東方戦線異常なし
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 春。
 世間一般の企業では新入社員や異動で緊張した新しい顔触れが揃う季節。それは軍部という特殊な職環境でも例外ではない。
 そして、ここ東方司令部もその例に外れることは無かった。



【東方戦線異常なし】


 明日の着任式を前に東方司令部内は見慣れない顔触れでいくつかの人の群れができていた。
 士官学校を卒したばかりの者。あるいは一般兵募の基礎訓練を経て、最初の任官地として赴任して来た者。東部内の別支部から、または別の司令部から異動してきた者。恐らく同じ出自の者同士が固まっているのだろう。
 地元出身で自宅から通える者は別にして、寮に入るものや近所にアパートを借りた者達は余裕をもって着任式前日までに入居して、ついでに明日からの自分の職場を見学しているらしい。

「練兵場は見たし。射撃訓練場の場所も分かったし。あとは…」
「なあ、ちょっと食堂でも行って休憩しないか?」
「賛成!食堂の場所もちゃんと覚えとかないとな」
「入り口戻って見取り図確認した方が…」
「意外と広いなー…」
「ところでココどこでしょう?」
「なあ、それより…」
 少尉をはじめ下士官・一兵卒の階級章を持つ数人のグループがてんでんバラバラに話している。兎にも角にも食堂へ行くことは決まったようだ。しかしその場所が分からない。有り体に言えば迷子になったようなものだった。
「えーと、誰かに訊いて…」
 在勤者に訊くのが一番早いのだろうが、知らない顔ばかりで誰がそうであるか判断がつかない。また、上官にも尋ねにくい。
 いかにもこの場に慣れていそうな下士官でも通りかからないかと都合の良いことを話していた時、後方から迷いのない足音が聞こえ、そのまま一団の傍らを通り過ぎた。
「あ…」
 縦社会の常で、何より真っ先に肩章を確認する。青地に細い金ラインが1本・星無し。『準尉』だ。自信満々な歩き方はきっと在勤者なのだろう。

「そこの準尉!」
 ちょうど良かった、とその後ろ姿に小尉の階級を持つ者が声をかけた。が、その足は止まることなく些かも鈍ることもなかった。
「おい、そこ行く準尉!」
 上官である自分の呼び掛けに全く反応しない。聴覚に異常があるのかと訝しむほどに。そういえば通り過ぎる際も敬礼の一つもなかった。
「お前!そこの、黒髪の!準尉!!」
 カッとした小尉が苛立った声を上げた。遠ざかりつつあった後ろ姿がふいに止まる。
「……私のことか?」
 やっと振り向いた『準尉』の不機嫌そうに顰められた双眸は、艶やかな黒髪と同じく漆黒だった。



 気圧された。
 不遜な言葉使いもそうだが、何より視線の強さや全身から醸し出される威圧感に。全員が息をのみ、無意識に半歩後ずさりかけた。
 しかし相手は下官なうえ明らかに年下だ。グッと踏ん張ると虚勢をはって声を奮い立たせた。
「そう!お前だ!」「こっち来い!」
 手招きをされた『準尉』はしばし呼び掛ける者たちの顔を眺め渡し、自分の肩章を見て、唐突に何かに気付いたように「ああ…」と頷いた。
 黒耀石のような瞳がキラッと輝き、新しい玩具を見つけた子供のような表情でニッコリと微笑んだ。その鮮やかな表情の変化に男達は呆気にとられ、次いでうっかり見惚れてしまった。
 打って変わった愛想の良さを見せながら黒髪の青年が近付いてきた。
 カツンと音を立てて踵を合わせると、士官学校の教本にモデル採用されそうな綺麗な敬礼をする。
「失礼致しました。私に何か御用でしょうか、少尉殿?」
 擦れ違った時には階級章が気になって顔はろくに見ていなかったが、その青年は軍部には不釣り合いな秀麗な顔立ちだった。『美形』というより『美人』と言ってしまっても構わないだろう。身長はアメストリス人成人男性の平均身長を越えてはいるが、線の細さが華奢なイメージを与える。軍人とはいっても自分達のように実戦部隊ばかりでなく、経理や庶務、物流といった非戦闘員の部署はどこの司令部・基地にもある。この青年もいずれその類の所属なのだろう…。異動者たちは各々の心の中でそう結論づけた。
 見た目の年齢と階級からいっても士官学校を卒したのは1〜2年前といったところか。
 品定めをするかのような熱っぽい視線にも、慣れているのか動じることもない。
「何か?」
 首を傾げて上目遣いに見上げられて、知らず赤面してしまう。
 彼らの中から先程までの憤りなど、綺麗さっぱり消えてしまっていた。
「えーと、俺達食堂探しているんだが」
「もしかして、明日着任される方々ですか?」
「そう、それで許可を貰って司令部内を見学してたんだ」
「…そういえば申請書が大量に…」
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