長距離海路

□蒼い炎の蝶は今日も舞う
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平和島静雄は田中家を守護する腕利きの武士であった。
普通、家の守護を任される身になるには、かなりの年月と腕が必要だったが彼には年月は必要なく、腕は生まれつき神に与えられた脅威の力が在った。


それは人間離れした怪力。


平和島家は昔から細々と活動してきた武士の家系で、病弱で大人しい弟を養うために人の数十倍の鍛錬を重ねた結果、彼はその化け物じみた力を手に入れたのだ。

風の噂では、ある高名な寺のお参りで田中家の奥方の護衛を任されたとき、盗人に奥方の財布を盗まれ、静雄も刺されるという事件が起こったが、静雄は力も強靭ならば肉体も玉鋼のように硬く屈強だ。
左脇腹に浅く刺さった小刀をそのままに、逃げる盗人に向かい、罰当たりにも程があるが何処かの家の墓石を片手で投げ、見事盗人の身体に命中させたのだ。
盗人は静雄よりも重症でひっ捕らえられ、墓石は静雄の給料から天引きされる事となったが、貯えはある方らしく別段気にも留めぬ事に収まったと言われている。

そんな平和島静雄は、今御曹子斗夢(トム)の吉原までの護衛を頼まれていた。
田中家は吉原の一角を担う取立てを生業としており、現在で言う“ヤリ逃げ”を阻止する役柄だ。
その為に逆恨みと言う奴で斗夢を初め田中家の殆どが恨まれる立場にあり、ただ見回りに来ただけなのに一歩一歩踏み込むだけでも命が削られ増えを繰り返す。

「どういう経緯で俺はあんな家に生まれたんだろうな」

煙管からふわりと薄く煙を立ち上らせて斗夢は小さく静雄に愚痴る。
斗夢は基本的に争いや命を賭けるようないざこざは苦手な方だ。
しかし、家の役職の為嫌でも命を狙われなければいけない。
運命の悪戯か何かは知らないが、自分の不運さに自嘲の笑みを浮かべる。
静雄も煙管で煙草を吸いながら、華やかな吉原の風景を見る。
艶やかな遊女が客を引き、木造の牢窓からは乾草色の柔らかな灯篭の光に照らされた遊女が自分の好き好きに時を過ごしている。
親の形に売られた者が多く居るこの吉原だが、慣れればこっちのものであり各々借金を返すまで綺麗な着物で着飾って、酒を飲み、煙草を吸い、痴話で話を盛り上げる。
そう考えれば汗臭い着物を着て田んぼを耕すより何倍もマシであろう。

まぁ、世の中には純情すぎる男女が天満宮や川に身を投げ心中する事件も少なくは無いのだが・・・。

「お兄さんちょっと寄っていかないかぃ?」

斗夢が1人の遊女に目を付けられている頃、静雄は遠くを歩く不可思議な格好をした遊女をその視界に捕らえていた。

女にしては短い髪の毛。
そしてふくらみの無い胸に他の女たちより少し高い背。
着ている着物は豪華だが、化粧は薄く、白粉のみで紅も差さない。
しかしその目は憂いで満ちており、なんとも言えない色香をかもし出していた。

静雄はすぐに遊女の素性を察した。

「遊夫か・・・」

纏わり付く遊女たちを何とか引き剥がし、斗夢が静雄と同じ視線に向かう時には、既に遊夫は遊郭の明かりの向こうに消えてしまっていた。

しかし、斗夢は全てを見透かした。

「ありゃ池屋の帝人太夫だな」
「帝人?随分な芸名じゃないですか」
「まあな、さ次いくべ」

斗夢に急かされ彼は何も言わず遊郭の暗闇に身を浸した。

しかし静雄には先ほどの帝人太夫の憂いた瞳が忘れられず、仕事終わりには溜め息ばかり付いていたのに気づき、金色の髪の毛をガシガシと乱暴に掻くと星々の輝く空を見上げた。

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